2005・3・20

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「ナルドの香油」

村上 伸

イザヤ書50,4-9マルコ福音書14,3-9

 今日から、「受難週」、もしくは「聖週間」が始まる。主イエスの地上における最後の一週間を記念する週である。金曜日の午前9時ごろに彼は十字架にかけられた。昼ごろから全地は暗くなり、午後3時に、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という悲痛な叫びを残して絶命されたと伝えられる。

 今日の日曜日は、主がこの苦しみを覚悟してエルサレムに入られた日である。群集は、数日後には一変して「十字架につけろ!」と怒号するのだが、この時はまだロバに乗った主イエスを「ホサナ、ホサナ」(我らに救いを)と叫んで歓迎していた。「自分の服を道に敷いた」人も多い。これは即位する王、あるいは高貴な方を迎えるときの礼である。「また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた」(11,8)。ヨハネ福音書によれば、これは「なつめやし」の枝であった。見事な葉を持つ枝なので、戦勝軍を迎える場合など特別の祝祭によく用いられた。今日の日曜日が「棕櫚の日曜日」と呼ばれるのは、「なつめやし」を「棕櫚」と取り違えたからであろう。

 さて、主イエスは一旦エルサレムに入って市内の様子を見て回られたが、その後、ベタニア村まで退かれた。「イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席についておられた」(3)のは、この時のことである。「らい病」というが、これは今日のハンセン病と同じではない。しかし、「重い皮膚病」である。モーセ律法には、この皮膚病にかかっている患者は、「衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない」(レビ記13,45)、と定められていた。その症状がある限り、その人は「汚れた者」であって、共同体の交わりから除外される。「独りで宿営の外に住まねばならない」(46)。

 むろん、この律法はイエスの時代も生きていたから、「らい病の人シモンの家」で一緒に食事をしたということは、律法を絶対の尺度として重んじていた当時の社会的常識に著しく反していた。もちろん、「シモンの病気は既に治っていたのだろう」とか、「この時は偶々不在だったのではないか」というような解釈もあり得る。しかし、仮にそうであったとしても、その家は「らい病の人シモンの家」として知られていたのである。そこに入って一緒に食事をするというのは、尋常なことではない。

 しかし、こうした行動は、イエスの生き方の特徴の一つであった。宣教活動を始められた当初、彼はらい病を患っている人に「手を差し伸べてその人に触れた」(マルコ1,41)ことがある。イエスは、律法違反であることを承知の上で平然と「汚れた者」に手を差し伸べて触わり、「清くなれ」(41)と語りかけることもできる方であった。そのように、目の前で苦しんでいる人への愛のためには、彼は敢えて社会の常識を突破した。安息日に病気を癒すことも律法違反だが、彼は敢えてその日に病人を癒した(同3,2)。正にそれゆえに、彼は「原理主義者」たちによって断罪されることにもなった。そのような方として、主イエスは今、「らい病の人シモンの家」におられるのである。

 その時、「一人の女が」入って来た。ただ「一人の女」とあるだけで、素性は全く不明である。そもそも、このような男たちの食事の席に、手伝いでも家人でもない女性が突然入って来るというのは、当時の社会的常識に反することであった。しかも彼女は、「純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた」(3)という。

 歓迎、もしくは敬意のしるしとして頭に香油を注ぐことは、詩編にも「あなたは・・・わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせて下さる」(23,5)と歌われているように、別に珍しいことではない。だが、壷を壊して全部注いでしまうというのは、そこにいた客たちの度肝を抜くような、常識破りの行為であった。彼らは驚き、呆れ、憤慨し、そして互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」(4-5)。当時、三百デナリオンといえば、労働者の賃金ほぼ一年分に近い額である。だから、彼らの憤りは理解できないこともない。

 だが、主イエスはその時、「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか」(6)と彼女を弁護された。これは単なるお座なりの弁護ではない。「するままにさせておきなさい」という言葉は、かつて弟子たちが子供らを邪魔にしたときに、イエスが「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」(10,14)と言われた言葉と同じなのである。そして、あの時もイエスは口先で子供たちを弁護したのではなく、むしろ、積極的に評価したのであった。それは、彼が子供たちを抱き上げて「神の国はこのような者たちのものである」と言われたことからも分かる。

 今日のところでも、主イエスは、彼女は「わたしに良いことをしてくれたのだ」(6)と言い、それをさらに詳しく説明して、「この人はできる限りのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた」(8)と言われた。彼女の「非常識な」行為を温かく、積極的に、しかも、「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(9)という最大限の賛辞をつけ加えて、評価したのである。

 このことは何を物語るのか? いきなり部屋に入って来て高価な香油を全部主イエスの頭に注いでしまったこの女の「非常識な」行動は、当時の常識を突破するようにして「らい病の人シモンの家」に客となった主イエスの行動に対応する。人を愛するためには敢えて律法をも破り、愛のためには十字架につけられることもいとわなかった主イエス! この方への渾身の感謝。これが、今日の箇所の内容なのである。



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