ヨハネ福音書には、所々、分かりにくい文章が出てくる。今日、説教のテキストとして指定されているこの箇所も、その一つである。一体、ヨハネはここで何を言おうとしているのだろうか。
先ず、弟子たちがイエスの言葉を聞いて、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(60)と言った、とある。「ひどい話」とか、「こんな話」とかいうが、彼らは「どんな話」を聞いてこのように憤慨したのだろうか?
6章のはじめから目を通してみよう。1節以下に「パンの奇跡」のことが書いてある。五つのパンと二匹の魚で5000人を満腹させたという、あの不思議な出来事である。このことは群衆の記憶に残った。しばらくたってから再びイエスを見つけたとき、彼らはとても喜ぶが、それは「この方のそばにいれば喰いはぐれることはない」と安心したからではないか。イエスは彼らの心中を見抜いて、「あなたがたがわたしを捜しているのは・・・パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(26)とたしなめられたのである。
それから、イエスと群集の間に、「パン」をめぐるやり取りが始まった。彼らは、「私たちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。・・・わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました」(30-31)と現実のパンを求めるのに対して、イエスは、ご自分こそ「天からのまことのパン」(32)であると言い、さらに、「あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし・・・わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」(49-51)と言われる。話はどうも噛み合わない。対話の内容もさることながら、このチグハグなやり取りを聞いて、弟子たちは「誰がこんな話を聞いていられようか」とイライラしたのだろう。
ここで、念のために「マンナ」、あるいは「マナ」について説明しておこう。出エジプト記16章にある話である。モーセの指導の下でエジプトを脱出したイスラエル民族は荒れ野の旅を続けるが、その内に食糧が尽きた。その時、一同はモーセに向かって、「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだほうがましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに」(16,3) と不平をぶちまける。神はこの民を憐れんで奇跡を起こされる。すなわち、「夕方になると、うずらが飛んできて、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた・・・露が蒸発すると・・・地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた」(13-14)。それは「コエンドロ(香草、コリアンダー)の種に似て白く」、食べてみると、「蜜の入ったウェファースのような味がした」(31)。中々いける。これをイスラエルの民は「マナ」と名づけ、毎日食べて荒れ野の旅を生き抜いたのである。しかし、これも所詮、ただの食べ物に過ぎない。それを食べても、死ぬときは死ぬ。
さて、イエスはこのマナの話をきっかけにして、人々の目を向け変えさせようとした。「わたしは、天から降って来た生きたパンである」と言い、さらに、「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」、また、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(53)とまで言われたのは、そのためである。だが、弟子たちはこのイエスの意図を理解できない。「話がさっぱり分からない」などと不平を言い、ブツブツ文句を言っていた。イエスはこのことに気づいて、「あなたがたはこのことにつまずくのか」(61)と嘆かれる。
私たちはここで躓いて、再び彼を嘆かせてはならない。イエスは、「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」と言われたが、これは私たちが日常使っている言葉の枠を超えている。ここでは、聖餐式のことが暗示されているのだ、と言われる。聖餐式のパンとぶどう酒は、イエスが私たちのために十字架上で肉を裂き、血を流されたことを象徴するものである。罪なき方が私たちのために苦しんで下さった! このことを心に刻む。それが、「このパンを食べる」という言葉の意味だ。そうすれば、「その人は永遠に生きる」。「永遠に」といっても、時間的に「いつまでも」という意味ではない。一日一日が永遠につながる、意味のある人生を生きることができる、ということである。
このような言葉は、ただの口先の言葉ではない。それは「霊であり、命である」(63)。「霊」とは、本来、「息」とか「風」を意味する。「風は思いのままに吹く」(ヨハネ3,8)と言われるように、霊は自由である。囚われない。
先日の「西南支区だより」に、9月に行われた木村公一牧師(日本バプテスト連盟)の講演要旨が載っていた。その中で彼は、1999年のクリスマス・イブに、インドネシア全土で21の教会に対してイスラム過激派によるテロ攻撃が行なわれ、爆発で多数の死傷者が出た悲劇について述べている。しかし、その後で彼は、ある感動的な出来事について紹介した。すなわち、事件の直後、一人のイスラム指導者が爆破の跡に立ち、「この責任は我々イスラム教徒にある」と告白した、というのである。それだけでなく、被害者救援のために献金を集め、翌年のクリスマスにはイスラムの青年たちがガードマンとして教会を守った、という。――「霊」は思想や宗教の壁を風のように軽々と乗り越えて、世界のどんな所にも現れる。私は、このイスラム指導者にも、その「霊」が働いていたと信じる。世界は捨てたものではない。