私が今回行くところは、旧東独チューリンゲン州のヴァイマールという美しい町である。ドイツを代表する文豪ヨーハン・ヴォルフガンク・ゲーテ(1749-1832)が住んで、盟友フリードリッヒ・シラー(1759-1805)やヨーハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)らと共に「古典主義」による文芸活動を活発に展開した所である。ゲーテはヴァイマール公国の政治家としても活動したから、当時のヨーロッパで第1級の文化人がここに集まった。そういうわけで、先日火事で貴重な資料を焼失したという有名な図書館も含めて、この町は「ユネスコ世界文化遺産」に登録されている。
我々の関係で言えば、「ドイツ東亜伝道会」が120年前に(1884年)ここで創立されたことも、この町の自由な文化的雰囲気と無縁ではない。この伝道会は、当初から中国や日本の古い文化的伝統と対話しようとした。そのために、学問的にも優れた宣教師を派遣して、日本人、殊に若い学生たちにヨーロッパの最新の学問、ことに新しい神学を伝えたのである。
第一次大戦でドイツが敗北し皇帝が退位した後、1919年にはこの町で国民議会が開かれ、近代の民主的な憲法の一典型とされる「ヴァイマール憲法」が制定された。「ヴァイマール共和国」の成立である。これもドイツ文化の重要な一面である。
だが、1930年代に入ると「ヴァイマール共和国」の民主主義を生温いと批判するナチスが急成長する。確かに、民主主義には欠点もある。会議ばかり開くが、物事は一向に進まない。内輪もめも盛んだ。それに飽き足りなかった国民の不満に訴えるような形で、ナチスは急速に勢力を拡大した。1924年には僅か32議席に過ぎなかったこの政党は、30年の総選挙で一挙に102議席を獲得、さらに32年には230議席を得て第一党になり、33年1月末には遂に政権を奪取する。党首のヒトラーは帝国宰相になり、「大権付与法」によって事実上なんでもできるようになった。
その後彼がやったことは、ヴァイマール体制の徹底的な破壊であった。民主的憲法に代わって軍事的独裁が、命をいとおしむ香り高い文化に代わっておぞましい死の技術が支配するようになる。その典型的な表れは、ゲシュタポによってヴァイマール郊外に建設された、悪名高い「ブーヘンヴァルト強制収容所」であろう。ここには、最も効率的に人を殺す技術と、死体を短時間で完全に焼くために開発された死体焼却炉が導入された。そして、ナチスに批判的な人々――ヒューマニスト、労働組合運動家、社会民主党員、共産党員、キリスト者――が多数収容され、拷問され、虐殺されて焼かれたのである。ドイツ共産党の指導者テールマンが殺されたのはここだし、パウル・シュナイダー牧師が殉教したのもここである。ボンヘッファーも最後の数日をここで過ごし、ここから連れ出されて別の強制収容所で処刑された。
要するに、ヴァイマールに象徴される文化がナチスに代表される暴力によって圧殺されたのである。「ナチ親衛隊」(SS)の隊員は、帽子の正面に髑髏の徽章をつけていたが、これも「いのち」を軽んじ「死」を賛美する精神を示すものだ。
これは、当時のドイツに限らない。似たようなことは当時「日独伊防共協定」を結んでいた日本でも軍隊や特高警察によって行われたし、その後も世界の各地で繰り返されている。スターリン支配下の旧ソ連で、アフリカの各地で、そして今日のパレスチナやイラクで。特に9・11後、テロは世界中に拡散し、「テロを根絶するため」と称して無差別の先制攻撃が行われている。これも同じことだ。我々の世界では、昔も今も暴力が文化を破壊している。「いのち」は軽んじられ、死が賛美されている。先日北オセチアの学校で起こった事件は、そのことの最も悲惨な例証であった。
このように、我々の世界は死に支配されている。そのことを思うとき、我々は打ちひしがれる。9・11後、太田一郎氏はこう詠んだ。「生はかくて 瓦礫の底に埋め込まれ 朽葉いろなる 朝が又来る」。
コロサイ書3章3節で、パウロは「あなたがたは死んだのであって」と言う。それが昔も今も人間というものの現実なのかもしれない。死の力に圧倒され、死に呑み込まれたようにして辛うじて息をついている。パウロ自身もそうであった。「わたしたちは耐えられないほど圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」(コリント第二 1,8)と告白している通りである。だが、彼はそこで終わらない。そのことに注目したい。彼は続けて、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りとするようになりました」(1,9) と言う。そして、「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させてくださる」(同4,14)と信じたのである。コロサイ書3章で「あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されている」(3)と言うのは、そのことに他ならない。
この惨めな世界の現状の中で、死に瀕した我々になお希望を与え、生かすものは、「キリストと共に復活させられた」という信仰以外にはないのではないか。
キリストは我々を絶望の中に放置したまま一人だけさっさと天に昇り、涼しい顔をして地上のいざこざを眺めているわけではない。彼が復活したということは、我々の先駆者として死に勝利し、我々のあらゆる苦しみや悲しみを携えて「神の右の座に着いた」(1)ということなのである。我々は、彼と共に復活したのだ。
パウロが「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」(2) と我々に勧めるのは、その意味においてである。