2004・6・6

「神の道を理解する」

村上 伸

イザヤ書55,8−13ローマ書11,32−36

 ローマ書9−11章は、「ユダヤ人問題」を扱った長い箇所である。以前、何度か触れたことがあるが、今日の「三位一体主日」の説教テキストが32節以下なので、これについて話す。だが、その前にもう一度、この問題を整理しておきたい。

 著者パウロ自身も、むろんユダヤ人である。しかも、その代表とも言える「ファリサイ派」に属し、自らの民族を「神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです」(9,4)と、心から誇りとしていた。

 だが、彼はある時、自らが誇るこの民族が、実は「神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかった」(10,3)という事実を認めないわけにはいかなくなる。具体的に言えば、イエス・キリストを殺したということである。この事実に直面して、パウロは、ユダヤ人が「つまずき」(11,11)、「失敗し」(11,12)、「かたくなになり」(11,25)、「神に敵対した」(11,28)、ということを告白したのである。

 戦時中、私は学校で教えられるままに、「日本は世界に冠たる神の国だ」ということを信じ、それを誇りとする軍国少年であった。だが戦後になって、この国がアジア諸民族に対してどんなにひどいことをしたかを知るようになり、非常に辛い気持ちを味わった。パウロの心理もこれに似ていたのではないかと想像する。あるいは一昨年、拉致被害者が24年ぶりに帰国したとき、在日朝鮮人のある思想家が洩らした感想を思い起こす。彼は自分の誇る祖国があのような国家犯罪を犯したことを知って自らの存在の土台が揺れ動くような衝撃を受けた、と誠実に告白したのであった。

 パウロの場合、問題は「神に選ばれた民である筈のイスラエルが、なぜあんな罪を犯したのか?」ということであった。このことは彼を苦しめた。自分には「深い悲しみがあり、その心には絶え間ない痛みがある」(9,2)と告白している通りである。

 現在のイスラエルにも、同じ気持ちでいる人々が少なくないのではないか? 何千年もの間、世界各地で迫害され、ナチスの支配下では「ホロコースト」という極限の苦難を経験して、「人類の苦難の証人」とも言われるこの民族が、どうして他の民族に同じ苦しみを強いることができるのか?

 「ユダヤ人問題」とは、このような重い問いなのである。中々答えは見つからない。

 しかし、パウロはこの問題を真剣に考える中で、不思議な事実に目を留めた。それは、ユダヤ人がつまずいたことによって、思いがけず一つの結果が生じた、ということであった。それを彼は、「かえって、彼ら(イスラエル)の罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になった」(11,11)、と表現する。

 こういう言い方には、「罪を犯すことにも意味がある」と開き直って自分の罪を正当化する危険がある。だが、パウロはこのような態度を厳しく退ける(9,19以下)。

 そもそも我々は、こういう重い問いの前では、沈黙する他ないのではないか。だからパウロは、深い畏れをもって「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(33)と言うだけなのだ。

 この言葉を、パウロは34−36節によって補足する。もともとイザヤ書40,13−14の引用であって、『新共同訳』では、「主の霊を測りうる者があろうか。主の企てを知らされる者があろうか。主に助言し、理解させ、裁きの道を教え、知識を与え、英知の道を知らせうる者があろうか」となっている。訳文のニュアンスは少し違うが意味は同じだ。――すなわち、人間には神の道は理解できない、ということである。人間の知恵はそれほどのものではない。イザヤは別の箇所で言っている。「天が地を高く超えているように、わたし(神)の道は、あなたたち(人間)の道を、わたし(神)の思いはあなたたち(人間)の思いを、高く超えている」(55,9)。そして、この洞察は何も聖書に限らない。仏教にもあるし、イスラームにもある。

 人類には、確かに知恵がある(ホモ・サピエンス)。人間の脳は他の動物とは比較にならないほど発達している。それを働かせて人類はいろいろな道具を作り、必要なものを自力で生産し、遂にはコンピューターを発明して巨大な可能性を手中にした。

 しかし、人類は本当の意味で賢くなったのだろうか? 人間の知恵は「浅知恵」ではないか? 原子力発電所の欠陥が見つかったとか、ダムやコンクリートで固めた護岸の見直しが始まった、というようなニュースを聞く度に、そう思う。典型的な例は戦争だ。全世界の科学者の40%は兵器の開発に関わっているという統計がある。膨大な知識と能力が、命を殺すため、人間の生活を破壊するために投入されている。

 パウロが「神は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」Iコリント1,19)と言ったように、神はこのような人類の「浅知恵」を遂には滅ぼされるであろう。

 最後にパウロは、神を賛美する言葉でこの長大な思索を締めくくる。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」(36)。

 「神から出る」とは神がすべてのものの「創造主」であることを意味する。「神によって保たれ」とは、神が創造されたすべての命の「保持者」であるということである。そして、「神に向かって」は、神が終末における万物の「完成者」であることを示すものだ。

 神はただ一人であるが、このような三つの在り方を通してその道を貫徹される。この神に信頼したい。



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