『広辞苑』で「十戒」を引くと、先ず仏教の「十戒」が出てくる。主として出家したばかりの少年僧(沙弥)に教えられるもので、「不殺生」・「不偸盗」・「不邪淫」・「不妄語」・「不飲酒」という基本的な五戒があり、それに「日常生活心得」ともいうべき五つの戒めを加えて「十戒」と言っているらしい。
初めの五つの戒めは、最後の「不飲酒」を除いて、モーセ「十戒」の第六戒以下、すなわち、「殺してはならない」・「姦淫してはならない」・「盗んではならない」・「偽証してはならない」に相当する。後の五つは難しい漢字でどう読むのか分からないが、現代語に訳せば、「化粧したり髪に香油をつけたりするな」(不塗飾香鬘)、「芝居や踊りを見に行くな」(不歌舞観聴)、「偉そうにソーファにふんぞり返ったりするな」(不坐高広大床)、「むやみに間食をするな」(不非時食)、「金銀を蓄えるな」(不蓄金銀宝)、ということになろう。これらは、いわば修行時代に守るべき規則であって、その意味では中学・高校の「校則」に近い。
これに比べると、モーセの「十戒」はずっと厳しい。一部の人の戒律ではなく、申命記6,1−9にあるように、イスラエルのすべての民が、生きている間ずっと、しかも子々孫々に至るまで守るべき戒めなのである。そして、それはユダヤ教だけの占有物ではない。「人類の共有財産」ともいうべき普遍的な内容を持つ。
第4世紀の神学者アウグステイーヌスは、「十戒」の内容は要するに、イエスが「最も重要な」こととして教えた二つの掟、つまり「神への愛」と「隣人への愛」に尽きる、と言った。それ以来、これはカトリック、プロテスタントを問わず、全キリスト教会に受け継がれ、倫理の基本として重んじられるようになった。代表的な「教理問答書」には、「使徒信条」や「主の祈り」と並んで必ず「十戒」が取り上げられる。
ところで、出エジプト記31,15にもあるように、「十戒」は二枚の石の板に書かれていた。第一の板には第一戒から第四戒まで、つまり「神との関係に関わる戒め」が、そして、第二の板には第五戒から終わりまで、つまり「人と人との関係を正すための戒め」が書かれていた。この「縦」の関係と「横」の関係こそ、人間が正しく生きるための座標軸なのである。
しかしながら、「十戒」を単に古くから伝わる伝統として重んじるだけでは十分ではない。現代世界のさまざまな問題に直面して生きる者として、その意味を日々新たに考え、それを実際に生かして行くことが大切なのである。
それを模範的な形で行なったのが、ナチスの悪に抵抗して殉教したドイツのプロテスタント神学者、デイートリッヒ・ボンヘッファーである。彼はあの時代のドイツ教会の在り方を「十戒」という座標軸において根本的に検討し、その罪責を自らの痛みとして告白したのであった(『現代キリスト教倫理』70頁以下)。
たとえば、第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」と、第二戒「いかなる偶像も造るな」だが、彼はこれらを単に「唯一神教」の意味では理解しなかった。彼にとって「唯一の神」とは、「イエス・キリストにおいてすべての時代に啓示された神」(70頁)であり、「独り子をお与えになったほどに世を愛された神」(ヨハネ3,16)なのである。このことは決定的に重要である。
この信仰に立っていたから、彼はヒトラーを神のように崇めたり、その命令に従って何百万人というユダヤ人、シンテイ=ロマ(俗に言うジプシー)、心身に障害を持つ人々者を虐殺したりすることを到底容認できなかった。それなのに、「教会は…この唯一の神についてのメッセージを、十分公然と、明確に宣べ伝えることをしなかった。教会は臆病・逃避・妥協という罪を犯した。…そのことによって教会は、排除され軽蔑された人たちに憐れみの手を差し伸べることをしばしば拒絶した」(71頁)。これは第一戒違反の罪だと考えて、彼は告白する。「教会は、罪なき人たちの血が天に向かって泣き叫んでいるのを見て叫ばねばならなかった時に沈黙していた」(同)。
第三戒「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」についても同様だ。ボンヘッファーは「教会は、キリストの御名という仮面の下で暴力行為と不正が行なわれるのを傍観していた」(同) と書いたが、これは、ヒトラーが当初「キリスト教的」であることを標榜してキリストの名を悪用したことを指す。だが、教会はこの欺瞞に抵抗せず黙認した。これは第三戒違反の罪だというのだ。
以下、ボンヘッファーは「十戒」のすべてに即して罪責告白を続けるのだが、全部を紹介する時間がない。最後に第六戒「殺してはならない」を取り上げよう。
これについて彼はこう書いている。「教会は、獣的暴力の気ままな行使、無数の罪なき者たちの肉体的・精神的な苦しみ、抑圧、憎悪、殺人を見ながら、しかも彼らのために声を上げず、急いで彼らを助けにいく道を見出そうともしなかった。教会は、最も弱い、よるべなきイエス・キリストの兄弟たちの生命が失われたことに対して責任がある」(72頁)。この「最も弱い、よるべなきイエス・キリストの兄弟たち」とは、強制収容所送りにされた無数のユダヤ人のことである。この罪責告白は具体的で、痛みを伴っている。痛みを伴わない抽象的な告白は、責任逃れと同じであろう。
遠藤周作の『沈黙』の中に、「転んだ」司祭が踏絵を踏む場面がある。「司祭は足をあげた。足に鈍い思い痛みを感じた。自分は今、自分の生涯の中で…最も聖らかと信じたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと、銅板のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さを、この私が一番よく知っている。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」。このように、罪責の告白こそが神の赦しに通じるのである。