コリントの信徒への手紙一覧

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「文字と霊」IIコリント3:3-18 廣石望

パウロはコリントの共同体のことを「インクでなく神の霊で石の版でなく肉の心という板に書かれたキリストの手紙だ」という。いくつかの旧約のモチーフがひかれており、「コリントのキリスト共同体はエレミヤやエゼキエルの預言の成就でありそれはかつて破られたモーセのシナイ契約を超える、神が与えた新しい霊によって「肉の心」として体現される神の民」ということのようである。そして「新しい契約」が「霊」の性格をもつとは、その担い手が肉となった終末論的な共同体であること、私たちが神の究極的な働きが現れる具体的な場であること、「文字は殺す」は神との関係の断絶としての死をもたらすという意味であろう。 パウロが言う「文字vs霊」とはユダヤ教や旧約との対比ではない。出エジプトが伝える「モーセの顔覆い」に見られるモーセの顔が放つ光とキリストの栄光との比較と言える。 私たちは、キリストの栄光を受けて新しい人間へと変貌するために聖書を日々新しく読み、神から託された平和の務めを果たしたい。

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「復活の証人たち」 コリントI 15:1-12 中村吉基

復活の信仰は、主イエスの弟子たちが作り上げた物語であろうとする説明がかなり昔から存在している。十字架は弟子たちに大層な衝撃だったので、弟子たちの“心の中で”復活したという説である。しかしパウロの説教である今日の箇所を読むと、矛盾する点がいくつかある。第一に、生前のイエスに会ったことのない、しかも当時のキリスト者を迫害していたパウロの心に主イエスが復活するような経験はしていないと思われるのである。第二に、パウロは福音が伝えられることを「キリストは○○に現れた」と語っていることである。5節以降に「現れた」という言葉が6回繰り返される。主イエスさまご自身が現れてくださったということがパウロによって強調されている。第3に、復活の証人と記されてあるところには「十字架」という言葉がセットになっている。十字架刑があったことは事実、しかし一度死んだ人が甦るなどということは普通の常識では考えられないこと、偽証ととられ敵対している陣営に攻撃の材料を提供しかねない。よほどの根拠がなければ言えることではない。しかし信じられない人もいたようで、この反対者たちにパウロはたいへん苦心する。パウロのみならず、現代でもそうである。パウロは「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」といい、復活の主によってパウロは「自分は今、生かされている」という境地に達している。私たちも主によって確かに「今、生かされて」いるのである。

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主の昇天礼拝 2022/5/29

教会からのお願い 新型コロナウイルス対策の一環として、礼拝をライブでも配信しております。ライブ配信を通じて礼拝に参加される方は、以下のリンクからZoomでご参加ください。 ⇒ Zoomで主日礼拝に参加する(※マイクをミュート...