混乱の中で揺れるバグダッド

〜サダムを失った人たち〜

インデペンデント・プレス 後藤 健二

4月10日、バグダッド中心の巨大なサダムフセイン像が引き倒された。24年間に渡った独裁政権の終わりを、イラクと世界に告げた瞬間だった。しかしその直後、バグダッドには略奪と暴力が溢れ、混乱状態に陥ってしまう。極度に悪化した治安、破壊されたインフラ、明日の見えない不安の中でバグダッドの人々の心は揺れていた。独裁政権の終わりを喜ぶ一方で、アメリカへの不信感が日増しに大きくなっていた。また、日常生活がいっこうに回復しない中で、サダム政権を懐かしむ声もある。イラクの人たちが、この戦争で手に入れたものは何なのか、失ったものは何なのか−バグダッド陥落後の今月15日から25日の10日間、その答えを混乱の中に追った。

  1. サダムフセインを"評価する"、バグダッドの一家とその理由
    タクシー業を営むファイードさん、仕事も日常生活も常に危険と隣り合わせだ。突然、米軍と民兵の銃撃戦に出くわしたり、住民同士が衝突する事件も頻発している。市内の一角には盗品市場が現れ、この日も車を盗難しようとした少年が住民たちの手で捕まえられていた。ファイードさんの家はサダムシティの隣の地区にある。家族は18人。先行きの見えない不安ばかり一家を覆っていた。人びとの間に生まれる復讐心と治安の悪化は、サダムフセインの時代には問題にはならなかったと言う。「アメリカはイラクを破壊した。早く元に戻して出て行って欲しい」と言うファイードさんだ。そんなある日ファイードさんの家に一ヶ月ぶりに電気が戻ってきた。町中が歓喜の声と銃声に包まれる。

  2. サダムは"もういらない"、語り始めた金物工場の労働者たち
    バグダッドの中心、サハドシュハダ地区。レンガ作り、長屋状の古い建物に挟まれた路地に、無数の金物工場がひしめいていた。戦争で工場はすべて休業になり、鉄の鎖を作っていた多くの子どもたちの姿もなくなっていた。しかし、バグダッド陥落から一週間後、たくましく店を開け始めた男たちがいた。サダム時代に少ない現金収入しか得られなかった人たちは、今、誰の目を気にすることなく、より良い生活を手に入れたいと成功を夢見ることができるようになった。あの時代はどんなに不当な扱いを受けても文句は言えなかった、と口々に訴える。ジャウダッドさん(33)もその一人だ。酔っ払った秘密警察の放った銃弾で頭蓋骨骨折し、体に異常を抱えながら過酷な兵役を課せられた。「なぜ、こんな扱いを受けなくてはいけないのかという憤りを、誰一人、家族にも言えなかった。サダムフセインは私たちに恐怖を植えつけた。」サダム政権がなくなって、長い苦痛から解放されたジャウダッドさんにとって「この戦争は必要なもの」だった。店を再開しながら、いろいろな外国に行っていろいろなものを見てみたいと夢を語る。

  3. サダムもアメリカも"けっして愛さない"、残された遺体と新たな犠牲者たち
    少しずつ市民生活が戻り始めている中で、医療現場は今なお混乱の最中にある。戦時中から救急病院だった旧サダム中央病院では、医療機器、技術者、医薬品の不足で手術ができない。敷地内の花壇は身元不明者用の墓地になった。墓碑は空き瓶、その中に死亡時の情報が書かれたメモが入っている。今でも家族を探しにくる人たちが後を絶たないが、腐食のため身元確認は日に日に困難になっている。180ほどの身元不明者のうち、引き取り手があったのはおよそ半分だ。 そして、今も戦争の新たな犠牲者が運び込まれてきていた。多くが流れ弾や不発弾による犠牲者だ。ハナンちゃん、7歳。18日、バグダッド郊外の畑で羊を放牧していた時にクラスター爆弾と思われる不発弾を踏み、爆発した。いっしょにいた2歳上のお姉さんは死亡。看病に当たる叔父は、「何でこの子たちがこんな目に遭わなくてはいけないのか……」と唇をかんだ。バグダッド攻略の前哨戦としてハナンちゃんの村も3日間に渡り激しい空爆が行なわれ、少なくとも5人の村人が犠牲になった。看病にあたっているアリさんもイランイラク戦争で右足を失っていた。「戦争は罪のない人が犠牲になる。サダムは暗黒の時代だったが、今回の戦争が良かったとは絶対に思わない」現実をどう受け入れればいいのかと、怒りを込めた悲痛な涙をみせる家族。彼らにとって、サダムフセイン、そして戦争の傷は消えることはない。


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