クリスマス礼拝

2009年12月20日
  クリスマス礼拝 10:30
司会・説教 村上  伸
奏      楽 鈴木伶子
クランツに点火 (讃美歌242番4節)
前      奏
招      詞 (ヨハネ3,16)
讃  美  歌 249
交  読  文 イザヤ書11章 (p.42)
旧約  聖書 イザヤ書9,1-6 (p.1073)
新約  聖書 フィリピの信徒への手紙4,4-7 (p.366)
祈      祷
説      教 「主はすぐ近くにおられる」
祈      祷
讃  美  歌 255
洗  礼  式 (司式:村上牧師、介添:松原新吾)
讃  美  歌 76
聖  餐  式 (司式:廣石副牧師、配餐: 内山伸子、黒髪紀子、和田勝幸)
献      金
主  の  祈 93-5
頌      栄 26
祝      祷
後      奏
			

報 告 (ご高齢の方、お疲れの方は、讃美歌を歌う際、着席のままで結構です)


本日礼拝後


今週の集会


次週(12月27日)予告


 

報告



 

牧師室から

クリスマスを最も良く表現する言葉は「来る」ではないでしょうか。こちらから「行く」のではなく、向こうから「来る」のです。

もちろん、私たちは主体的な人間ですから、自分なりの目標を立て、それを目指して「行く」努力を惜しんではなりません。

しかし、努力が報いられて常に目標に到達できるとは限らない。道半ばで挫折するという辛さは、誰しも経験するところでしょう。

そういう時に「向こうから光が射して来る」ことがある。自分の努力の結果というのではないのです。例えば、思いがけず誰かが語った一つの言葉。それが私たちの暗い心に光をもたらす、というようなことです。これは自分で左右できません。「来る」としか言いようがない。

主イエスの誕生は正にそれで、「愛」の大切さを知りながらそれを達成できずにいた人類の歴史に真の愛が「来た」ことに他なりません。

今日の礼拝で歌う讃美歌255番の3節は、「とこしえの光 / 暗き世を照らし / 闇に住む民の / 上に輝けり / 陰府(よみ)のちから / やぶるため / み子はきたりたもう」というのですが、御子イエスの誕生を暗き世を上から照らす「とこしえの光」になぞらえた上で、その御子が「来り給う」と歌っています。深い慰めに満たされて、私たちも心から声を合わせたい(村上伸)。

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