2020.10.11

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「わたしがあなたと共にいる」

中村吉基

エレミヤ書 1:4〜10ローマの信徒への手紙 12:1〜8

 今日私たちは教団が定めた「神学校日」「伝道献身者奨励日」を憶えて礼拝をささげています。今日本にはプロテスタントやカトリック、正教会など合わせて200を超える神学校があります。私たちの日本基督教団には東京に4つ、京都と兵庫に1つずつ神学校もしくは大学の神学部があります。今日はそこで学んでいる明日の伝道者を目指す神学生のために、教育に当たっている神学教師のために、またさまざまに神学生をサポートしているスタッフを憶えて祈りを合わせましょう。そして「伝道献身者奨励日」は明日の牧師を目指す方々が一人でも多く起こされるように祈る日です。

 今日お話しするエレミヤは紀元前640年ごろに祭司の家に生まれ、南ユダ王国で活躍した預言者です。彼は感受性が非常に豊かで涙もろく、「涙の預言者」とも呼ばれるほどです。今日の箇所は、まだエレミヤが年若い(18,19歳位)少年期から青年期にかけて神の呼びかけを受ける場面です。

 エレミヤが預言者として神の選び(召命、召し出し)を受けるこの場面は、神とエレミヤが対話をしながら場面が進んでいきます。神の言葉は圧倒的な力を持ってエレミヤに臨んできました。その神はエレミヤが母の胎に造られる以前から知り、そこから生まれ出る以前に聖別していたと語ります。そして、その職務は預言者、それも諸国民の預言者であると告げられるのです。私たちならどうでしょう。皆さんが、今のお仕事をすることが生まれる前から決まっていたのだと神に言われたならばどう思うことでしょう。

 5節で神は「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた」と「知っていた」「立てた」と完了形で語っています。もうエレミヤが生まれる前から預言者となることが決められていたなどと、彼が驚いたのは言うまでもありません。この神の呼びかけをエレミヤは当初断固拒否して、「わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」6節)と応じます。

 このエレミヤの言葉を聴く時に私たちは2つのことを思い浮かべないでしょうか。1つ目は神の御前で謙遜になって、「いやいや、私なんかを選ぶのなんてとんでもないことです」とこの呼びかけを断ろうとする。2つ目はそしてもう一つは本当に知恵も力もない、若僧であることを正直に告白しているのだと読むことが出来ます。その時の彼の心理状況までを聖書は告げていませんが、しかし、1つの手がかりとなることは、ここで使われている「若者」(ヘブライ語でナアル)という言葉は「男の子」とも訳される言葉でもあり、成人するのが早い古代社会では、20歳未満の青年であると考えられることです。そのような若者に向かって、激動する諸国民の世界の中で、彼らの将来を見据えながら、彼らと運命を共にせよと神は命じるのです。それを前にしてエレミヤがひるみ、たじろぐのは言うまでもありません。エレミヤという人は最初にもお話ししまししたように、「涙の預言者」ともいわれ、内向的で、繊細で、感情豊かであったようです。そして何と言っても彼は傷つきやすい人でした。神はエレミヤに、誰のところにも神の言葉を携えて、行って、命じることをすべて語れと言われます。

 このエレミヤに、同胞を助けようとして挫折をしたモーセが同じように神の呼びかけを拒むという場面を重ね合わせて見ることが出来ます。しかも、エレミヤはモーセの時と全く同じ言葉で神に励まされました。「恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」(8節)と言う言葉です。こうして彼は神から立てられた預言者として押し出されて行きました。 ここで5〜8節を見て行きましょう。とても面白い構造になっています。

|5  生まれる前に預言者として立てた
| |6a わたしは語る言葉を知りません
| | |6b 若者にすぎません
| | |7a 若者にすぎないと言ってはならない
| |7b わたしが命じることをすべて語れ
|8  わたしがあなたと共にいて必ず救い出す

 5節と8節で神がエレミヤを勇気づけ、6節aと7節b 、6節bと7節aがそれぞれ呼応しているような構造になっています。まさにエレミヤの心配に神がその一つ一つに応えてくださっているような御言葉です。

 しかしエレミヤは神の召しだしに「ああ、わが主なる神よ/わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」6節)と断っています。私たちもこうした体(てい)の良い言い訳をして断ってしまうことがないでしょうか。しかし神は「わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」8節)と約束されるのです。神が大丈夫だから、行きなさい。わたしもいっしょについているから」と仰せになっています。

 今日の箇所から神は私たちに何を示したいのかと言えば、どんな困難な中でも、どんな苦しみの中でも神は共にいてくださるお方なのだということです。エレミヤは確かに年若く、口下手だったかもしれません。けれども、神が共にいてくださる。皆さんご自分のことに当てはめてみてください。Aさんはそれを成し遂げる力がないように見えるけれども「神が共にいてくださる」。Bさんは一人ぼっちで、一緒にその山を越えてくれる仲間がいないように思えるけれども、「神が共にいてくださる」。聖書が教える私たちにとって最も幸せな状態というのは「神が共にいてくださる」現実に気づくことなのです。

 エレミヤは苦しみの人生のなかに預言者としての任務を全うしました。実はこのあと4回もエレミヤは神に嘆きの叫びを上げています。実際にはもっとたくさんの嘆きがあったかもしれません。彼が何度願っても、神は一見、迫害者たちから守ってくれるようには、どうしても思えませんでした。ではエレミヤの苦しみの最中、神はどこにいたのでしょうか?

 神は思わぬ形で共にいてくださったのです――エレミヤが苦しみの嘆きを上げるとき神も隣りでいっしょに苦しめられていたのです。何度も何十度も神は苦しんだのでしょうか? ですから、エレミヤは遠慮もおそれもなく、神に嘆き、弱音を吐き、訴えたのです。しかし、エレミヤは預言者の任務を捨てませんでした。そうしなかったからこそ、神の言葉は歴史の中で消えることなく今この21世紀の私たちのところまで伝えられているのです。

 メソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーは臨終の時に、弟子の一人が「人生において最もよいことは何ですか」と訊ねると、「神ともにいますことである」と答えました。また「第二によいことは何ですか」と尋ねると、「神ともにいますことである」と答え、さらに「第三によいことは何ですか」と尋ねると、「神ともにいますことである」と答えたと言われています。人生の最後で「神ともにいますこと」が最もよいことであると言いました。

 神が共にいてくださる人生――讃美歌533番「どんなときでも」の作詞者・高橋順子さんは7歳という短い生涯を終え、天に召されました。骨肉腫の苦しい闘病生活の中でこの詞を書き、1967年に召されました。後の1980年、「こどもさんびか」を改訂する作業が始まった時に、順子さんを励ましていた一人、冷泉アキさんという福島新町教会で教会学校の教師をしていた方を通してこの詞が讃美歌委員会に送られてきました。この冷泉さんも「キリスト イエスは」「さんびのうたを」という子どもの賛美歌の作者でした。順子さんの短い生涯で、病と闘い、くじけそうになるときにもその小さな身体を励ましてくださる主イエスが居られたことを身近に感じていたでしょう。そして主イエスの愛を信じ、天に召されていった順子さんの生きざまがこの歌に込められています。

 今日私たちは、エレミヤの記事から「共にいて、共に歩んでくださる神」のお姿に学びました。このあとエレミヤは預言者として歩んでいきますが、そのことはエレミヤにとって大きな冒険でした。けれどもエレミヤが苦しい時、神も共に苦しんでくださり、エレミヤがその職務を投げ出したいときには希望を語り、慰めてくださいました。私たちも、神がいつも共にいてくださることを信じて、今朝ここから新たな一歩を踏み出しましょう。その時私たちは恐れたり、嘆いたりすることはありません。神が共にいてくださるからです。


 
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