2017.10.29

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「宗教改革500年〜分裂から一致へ」

秋葉正二

詩編130,1-8コリント 一 1,10-17

 テキストはいきなり勧告から始まっています。 勧告とは、ある行動を取った方がいいよ、と説いてすすめることですから、パウロの意識はコリント教会の人たちへの牧会が中心にあります。 ご存知のように、コリント教会はパウロの活動によって誕生し、その後同労者であるアポロなどが指導にあたりました。 コリントはユダヤに比べればギリシャ文明の本場ですから、哲学に通じた者や高い教養を身に付けた人も多かったはずです。 それだけに信仰理解は理屈っぽくなりやすかったと思います。 パウロが伝えた福音がいろいろに解釈されて、コリント教会内が混乱していました。

 しかし書簡を送った目的は、福音理解の対立とか、正統異端に関わる抗争をやめさせることではありません。 パウロの願いは、教会の諸活動が自分本位にばらばらになされるのではなく、まず皆が心を一つにして結びついた上で行われるように、という一点です。 書簡全体を見れば、確かに攻撃的であったり自己弁護的な箇所なども出てきますが、あくまでも彼の執筆の動機は、教会内の不和が解消され、主にある交わりが回復し、教会の営みが円滑になされるようにという祈りと願いです。

 人間は交わりの中で生きる存在です。 お互いに相手を尊重し、平和に暮らせればそれに越したことはありませんが、現実はそうはいきません。 さまざまな対立や争いの渦の中、人はそれぞれの思いで歩んでいます。 それは教会とて例外ではありません。 コリント教会にも激しい分派争いが起こりました。 パウロはその人たちに向かってこの書簡を送ったわけです。

 9節までの挨拶と感謝の言葉の後、パウロは10節ですぐに勧告の言葉を述べています。 『皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい……』。 「勝手なことを言わず」とか「仲たがいせず」とか「心や思いを一つに」ということはすぐに分かりますが、「固く結び合い」というのはどういう意味合いを込めて言われているのでしょうか。

 「固く結び合い」と訳されているギリシャ語は、カタルティゾー(カテールティスメノイ)という動詞ですが、これは合成語でして、「カタ」という強調とか支配を意味する接頭辞と「アルティゾー」という「作る」とか「用意する」という意味の動詞がくっついた言葉です。 つまり「完全に結合する」ということですが、そもそもこの語は、船が出帆する際に積荷などを怠りなく「準備する」とか、軍隊が出陣する際、兵糧や武器を抜かりなく「用意する」というふうに使われた言葉です。

 興味深いのは、新約聖書がそうした用法を踏襲していて、例えば漁師のヤコブやヨハネがイエスさまに召し出された時、「網の手入れをしていた」という具合にも使われています。 要するに、パウロが「固く結び合いなさい」というのは、交わりの中で生きる人間がエゴを主張して他者を押しのければ分裂するけれども、もう一度一致する状態を取り戻して、元通り固く結び合いなさいという願いであり祈りなのです。

 13節にはアポロやケファの名前が出てきますが、そもそもアポロはアレキサンドリア生まれの雄弁なユダヤ人説教者で、パウロの福音宣教の同労者であり、お互いに信頼し合っていた人物ですし、ケファ(ペテロのアラム語読み)にしても、彼がコリントへ行った記録はありませんから、「わたしはケファにつく」と言った人たちは、エルサレム教会派を自認してペテロを後ろ盾にしていたグループだったかも知れません。

 もしそうだとしても、パウロにとってエルサレム教会との関係は極めて重要であり、彼の異邦人への宣教活動が意味を持ち得るのは、パウロとエルサレム教団との友好関係あればこそです。 ですから「わたしはアポロに」「わたしはケファに」というのはコリント教会内での分裂の結果なのであり、アポロにもペテロも直接関わりはないだろうと思います。

 問題はコリント教会の人たちが、果てはキリストを引き合いに出しながら、それぞれが自分の正当性を主張しようとする分派を生み出す態度なのです。 そうしたコリント教会の人たちにパウロは何を言ったかといえば、鍵は13節です。 『キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか……』。

 これは言わば二つの神学的問いを教会員に出したということです。 第一点は、教会はキリストの体であり、分派的主張は体の枝である各肢体を結合せず、バラバラにしてしまうということです。 第二点は、キリスト者はイエス・キリストの名によって洗礼を受けることにより、キリストの十字架の死と復活に共に与かるのであって、パウロがキリストの位置に立って十字架につけられることはないし、パウロの名によって洗礼を受けることもありえない、ということです。

 もしかすると、コリントの教会では洗礼を授ける者と受ける者との間に何か神秘的な合一関係が出来上がるみたいな捉え方があったのかもしれません。 禅宗のお寺などではお師匠さんから一人の弟子が印可を授けられて法灯が継承されるということがありますが、似たような理解があったとも考えられます。 とにかくパウロは彼自身による洗礼行為を極力否定しています。 しかしそれは誤解に基づく勝手な主張を否定することが目的であって、パウロの洗礼理解を表しているということではありません。 パウロの意識としては、自分の宣教活動の目的は、洗礼を授けることよりは、まず福音を告げ知らせることにあったでしょう。

 彼は17節でそれをもっとわかりやすいように語っています。 『キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです』。 「言葉の知恵」というのは、コリント教会の人たちが互いに追求し誇り合っていたことを指しています。 「十字架の言葉」を愚かと見るグノーシス的な考えが既に入り込んでいたのかもしれません。

 さて、きょうは宗教改革記念音楽礼拝を守っています。 宗教改革500年という記念の年なので世界中で行事が目白押しです。 一昨日ドイツの娘から電話があったのですが、ルターの町ヴィッテンベルクには世界中から旅行客が集中して、すべてのホテルや民泊施設は既に満員で、今からでは宿泊は無理だということでした。 そんなことより私が心踊らされたのは、カトリック教会とルーテル教会のさまざまな共同記念行事です。

 両教会の間には国際対話委員会が設けられ、交わりと一致を目指して協議が積み重ねられてきました。 宗教改革とは、一教会内の分裂など比較にならない、キリスト教会全体の大分裂事件です。 500年前、両者は互いを断罪し合って分裂に至りました。 100年前には両教会が一緒に宗教改革を記念するなどということは考えられなかったでしょう。

 エキュメニカルな交わりは20世紀になって少しずつ進められてきましたが、半世紀程前の第二バチカン公会議でエキュメニズム教令が出され、以後の50年間で両教会の対話は飛躍的に進みました。 500年前に分裂の原因となった「信仰義認の教理」に関して、現在はお互いの間に深い理解が与えられ、もはや断罪し合うような違いを認めることはできないとされたのです。

 日本では来月長崎で福音ルーテル教会とカトリック教会の合同礼拝が持たれますし、そこでは「平和」を求める祈りがテーマとなるそうです。 世界レベルで教会の和解が進められているのですから、小さな一つの教会の中で分裂などしていたらイエスさまはさぞ悲しまれることでしょう。 しかし手放しで宗教改革500年を記念するのではなく、宗教改革の持つマイナス面を今一度思い返すことも必要だと思います。

 例えばプロテスタント陣営のルターと並ぶ指導者であったカルヴァンが、異なる教理を主張したセルベートへの死刑執行に同意したこととか、ルターが結局はドイツ農民戦争で貴族側に組してしまい、多くの農民の血が流されたこととか、忘れてはならないこともたくさんあります。 そうしたマイナス面も含めて、私たちはきょうこの宗教改革音楽礼拝を守っていることを自覚したいと思います。 祈ります。


 
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