2017.4.30

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「苦難のしもべ」

秋葉正二

イザヤ53,6-9ペトロ 一 2,20b-25

 ペトロ第1書から学びます。 「ペトロの手紙」と書名があるので、伝統的にはペトロが皇帝ネロの迫害によって殉教死する直前にローマから小アジアの諸教会へ充てて出した手紙であろう、と考えられて来たのですが、現在ではもっと後代に成立した、使徒ペトロが書いたものではないと見られています。 しかし、使徒ペトロの権威を借りることにはそれなりの意味もあったはずで、牧会的な内容ですから、手紙の受取人と見られている困難な中に置かれた小アジアの諸教会がこの手紙によって励まされたのでしょう。 受取人は、ディアスポラのユダヤ人ではなく、市民権を持たない寄留の外国人、つまり異邦人改宗者の共同体を考える必要があるようです。 テキストは「召使い」たちへと呼びかけられています。

 奴隷制の時代ですから、召使いは奴隷身分に属する使用人で、「家庭奴隷」とも呼ばれていました。 単純に言うと、この手紙は、彼らにいわゆる「服従」を説いているのですが、奴隷には必ず主人がいますから、主人が寛大な人かどうかで奴隷が被る仕打ちも違ってきます。 著者は奴隷の主人がキリスト者かどうかにはあまりこだわっていないようです。 と言うのは、どうも奴隷が被る仕打ちに、自分たちキリスト者が周囲の異教徒から被る仕打ちを重ね合わせて見ているようなのです。

 ローマ帝国の世では、あくまでもキリスト者は抑圧される側の立場です。 キリスト者の周囲の異教徒には寛大な人もいれば、無慈悲な人もいたでしょう。 奴隷である「召使い」にとってみれば、無慈悲な主人ならば、当然不当な扱いを受けたでしょう。 そうしたことを背景にしながら、この手紙の著者はきょうのテキストの20節後半で、『善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです』 とまず説いています。 そしてそこから先へ進むと、説いている内容がどうも召使いのことだけに限っていないな、と思えてきます。

 初期のキリスト教には「家庭道徳訓」のようなものがあったと言われますが、どうもそれに準じているようで、まずは「召使い」たちに対する行動指針を述べたようなのです。 著書としては、こうした道徳訓を通じて、キリスト者が異教徒の間にあっても、立派に生活していくことを願ったのでしょう。 21節では、不当な苦しみを受けることの模範としてキリストが示されています。 「善を行って苦しみを受ける」のは、すべてのキリスト者にも起こり得ることです。 不当な苦難の中で耐え抜く生き方への一つの「召命」として、キリストを模範として生活することが薦められています。 そしてこの節の後半から、イザヤ書53章からの引用句を含んだ苦難のキリストに対する信仰告白的讃歌が採用されるのです。 おそらく原始キリスト教の讃歌というものがすでにあったのでしょう。 その讃歌の採用にあたって、著者は冒頭にキリストを模範とし、その足跡に続くように、という服従の教えを補足して、讃歌との関連性を持たせています。

 キリストの苦難の生涯の足跡を信徒がなぞることは、自分の生活の中にキリストを再現できるというのです。 イザヤ書53章の「苦難の僕」については、きょうの週報にもヘンデルのメサイヤに関連づけて陶山先生が説明してくださっていますから参考にしてください。   いわゆる「第二イザヤ」と呼ばれる無名の著者によるイザヤ書40章〜55章の中に「苦難の僕」と呼ばれる数カ所の部分があります。 そこには贖罪に関する思想があらわれていまして、イスラエルの苦しみは、神さまが世界を救うために、特にイスラエルに与え給うたもので、その苦難は、全世界の罪の偉大な身代わりであり、その苦しみによって、世界の罪が贖われる……そして、その復興を見て、その苦難が神さまのご計画であることを知り、必ずやヤハウェを信じるようになる……イスラエルは外国人に対する神ヤハウェの証人であって、主の僕・苦難の僕であるのだから、その使命に目覚めなければならないとして、イスラエル民族の苦難を歴史的世界的な立場から位置付けています。 これは紀元前6世紀、捕囚時代の末期としては驚くべき視野を持った信仰思想と言えます。 おそらく預言者の最高峰でしょう。 「苦難の僕」ははじめ、民族を表しているのですが、いつの間にか人格化され、ある一人の人物のように描かれていきます。 その人物描写がまるでイエス・キリストのようだと見なされて、イエスさまの生涯と意義を表していると理解されるようになりました。 テキストは苦難のキリストを、その「苦難の僕」の状況の中に置いて理解しています。 

 22節は、70人訳イザヤ書53章9節に少し変更を加えた引用です。 罪無くして苦しむ義人たるキリストが模範だと言います。 それゆえ、もしキリスト者が不当な苦しみを受けているならば、その歩みはキリストの足跡に従うものだから、御心に適っているというのです。23節は直接的な引用ではありません。 あえて言うならば、福音書のイエスさまのように、ののしる者たちと同じ土俵に乗ってののしり返すのではなく、不当な苦難をも受け入れて、神さまの判断を信頼してすべてを委ねるように、と促すのです。

 24節にもイザヤ書53章の引用や影響がかなり見られますが、思想的には「苦難の僕」の代償苦を越えて、キリストが祭司であり、またその祭司自らが生贄であったというキリスト受難理解へと意味が変化していきます。 イザヤ書53章では「わたしたちは」が主語ですが、24節の終わりの部分では、はっきりと「あなたがたは」と人称が変化しています。 この人称変化によって、「傷ついた癒し人」キリストが、今ここで苦難の只中にあるあなた方信徒を癒すことができると告げるのです。 つまり、苦難のキリストの足跡に与り従うキリスト者は、このキリストの癒しと牧会に包まれて守られていますよ、ということが明らかにされています。

 そうして25節に至ると、最初に「召使い」への呼びかけで喚起された事柄が、見事にキリスト者共同体全体への行動指針となっています。 「召使い」の中に、キリスト者共同体の一員になったがゆえに、不当な仕打ちに苦しんだ人がいたのでしょう。 しかし彼らのその苦しみから、人間が同じ人間を不当に扱うという、許されない悪が暴かれていきます。 教会は奴隷制度という歴史の悪を暴いていったことがきょうのテキストから窺えるのではないでしょうか。

 当時の人たちは奴隷制度がなくなるなどとは夢にも思えなかったかもしれません。 しかし、キリスト教に改宗して間もない小さな集団に過ぎなかった小アジアの教会が、差別され、大きな力の恐怖にさらされながら、キリスト者ゆえに受けざるを得なかった苦難を共有していたことは、現代の私たちにもたくさんの生きるヒントを与えてくれるように思います。 きょうのテキストにある「従え」という服従の行動指針は、決して世間へのすり寄りではありませんでした。

 イエスさまは「山上の説教」で、『悪人に手向かってはならない』とおっしゃっていますが、その言葉の中には、一種の非暴力抵抗のような異教世界に対峙して立ち向かう「苦しみを偲ぶ姿勢」があったと思います。 小アジアの小教会は、世の中では圧倒的に劣勢な立場でしたが、「苦しみを耐え忍べ」という指針には、キリスト者たちの内部に、外部の力をもってしては倒すことも潰すこともできない信仰に溢れた篤い祈りが込められていたことが分かります。

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 異教世界からの迫害は、現代の私たちにとっても他人事ではありません。 平和に慣れきってしまった私たちには想像もつかないくらい強大な力が、これから教会に及ぶかもしれません。 共謀罪が大手を振って歩き、平和憲法がないがしろにされる世は現実の悪夢のように今、私たちを覆い始めています。 考えてみれば、そこに戦後20年以上も戦争責任告白を出せなかった教会の姿がある、と言えるでしょう。 私たちは2千年も前の小アジアの小さな教会から何を学ぶのでしょうか。 この手紙の指針から伝わってくることは、苦難のキリストの足跡に従い、主の苦難に与っているという自己理解、苦難の現実を受けとめようという信仰的視座であるはずです。 この手紙は、そのことが恵みであると言っているのです。 1世紀の教会は被抑圧者とともに生きる群れでした。

 奴隷であった「召使い」への指針が、共同体全体への指針を導いていたことに現代の私たちは驚きます。 だから教会はなくならなかったのです。 なくならないどころか、徐々に徐々に広がっていったのです。 家庭奴隷と呼ばれたキリスト者の苦難の現実が、キリストの苦難を人々に想起させ、その奴隷たちを先頭にして苦難のキリストの足跡に続け!と呼びかけ得る群れがあった……ほんとうにそれは信仰なくしてはあり得ない世界です。 今日の私たちの教会はどうでしょうか? 真剣に考えなければならないと思います。 私たちの身の回りには理不尽なことがたくさんあります。 政治のことは直接戦争につながっています。 在日朝鮮人韓国人のこと、被差別部落民のこと、障害者のこと……課題は山積ですが、自分が関われる小さなことから始められればいいな、と思います。 小さな一歩を踏み出しましょう。 祈ります。


 
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