2016.1.17

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「土の器に働く命」

秋葉正二

エレミヤ書18,1-6; コリントの信徒への手紙二4,6-10

 きょうのテキストは『闇から光が輝き出よ』という言葉で始まっています。パウロはもちろん創世記の冒頭に出てくる『光あれ』という神さまの創造の言葉も思い浮かべたと思いますが、それと共に自分の回心の情景を目に浮かべていたのではないでしょうか。ダマスコ途上の道すがら、突然それは起こったと使徒言行録9章は記します。彼はその時、三日間目が見えませんでした。パウロは神の光によって回心に導かれたのです。パウロの回心は人間を悟らせる神の光があることの体験でした。ですから彼の中では福音は光であるという理解があったと思います。

 ところがこの世には、キリストの栄光に関する福音の光を見えなくしてしますものがあることも彼は信仰生活を積んでいく中で経験していきます。端的に言えばそれはサタンの働きですが、イエスさまと対決するサタンをやっつける光の一撃をパウロは自らの実体験に重ね合わせて捉えていたと思うのです。「光あれ」という神さまの言葉によって光がこの世に到来したとてつもない大きな出来事を、パウロは自分の回心の体験を通して自分のものとしたと言えます。さて、4章の小見出しは「土の器に納めた宝」です。7節にこの表現があります。作家の阪田寛夫さんは「土の器」という作品で芥川賞を受賞していますが、どうして「土の器」という題名を付けたのでしょうか。おそらくこのテキストが由来でしょう。その作品で、一昔前のクリスチャンホームの様子と言うか、彼が感じた一種のいやらしい世界を遠慮なく描いています。彼は日本基督教団の信徒として生涯を送ったのですから、その題名に信仰的な意味を含ませたのでしょう。

 きょうのテキストはコリントの教会に宛てて書かれたものですが、コリントは当時ギリシャ最大の貿易港で、地峡競技会やアクロコリントで有名でしたが、陶器の産地としても有名でした。コリントの陶器は地中海沿岸の国々に輸出され、それは各地に今でも残っています。水やぶどう酒やオリーブ油を入れる器が必要でしたから、壺や食器として発達したのでしょう。もちろん装飾品としても愛用されました。写真を見たことがありますが、コリントの陶器には躍動感あふれる人体が黒絵で描かれています。ギリシャの図案といえば幾何学模様が主流ですが、そうではない独特の図柄で有名になったのです。古代ギリシャの絵画はカンバスや板や紙に描くのではなく、素材は壁と陶器です。ですから画家にとって素焼きの土の器は自分の芸術表現の場所でした。パウロはコリントを訪れて、その土地独自のものとして競技会と陶芸品に興味を持ったようです。それで手紙にそのことを引用して書き残しました。陶器を引用して人体を語ったり、神さまの人間創造についての考えを展開するのですが、そのことはパウロよりも前に実は預言者イザヤが書いています。

 イザヤ書45章9節には『災いだ、土の器のかけらに過ぎないのに自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか』とあります。神さまが陶工で人が粘土という捉え方です。そうした発想をパウロも持ったというわけです。陶器を引き合いに出したのは、陶器くらい人間の日常生活で慣れ親しんでいるものはないということも理由だったでしょう。素焼きの土の器は色彩を施されて見事な作品として浮かれ変わります。火によって精錬されるとただの土くれがどんどん変貌していきます。パウロは人体を見事にその胴に描いていくコリントの陶工の技量を知っていたはずですが、最終的に彼の目はそうした美しい図柄には向けられませんでした。むしろ外形よりは器として内に容れるものに興味を持ったのです。

 どんなものを内に容れるのか、それによって器の働きが違ってきます。たとえ弱い土の器であっても入れる中身によってはそれが価値を持ってきます。パウロは7節でこう言います。『わたしたちは、このような宝を土の器に納めています』。つまり土の器の中に宝を入れているというのです。この宝は人間から出てきたものではなく、偉大なる神の力だと彼は言います。7節の中程に出てくる「力」という語に注意してください。これは原語ではデュナメオースというのですが、ダイナマイトの語源です。おそらくパウロが表現したかったのは、人間は潜在力とでもいうものを内側に持っていますよ、ということではなかったでしょうか。後に生まれたダイナマイトは爆発力が看板ですけれども、パウロの言う力デュナメオースはむしろ弱さを誇るものと言えます。

 この手紙の終わりの方、11章あたりになりますとパウロは自分の弱さをさらけ出しています。身体が弱いこと、病気のこと、様々な出来事によって死に損なっていることなど、赤裸々に書き記しています。これはおそらく陶器、それも土の器からの発想です。パウロは自分の卑小さ弱さを土の器の脆さに見たのですが、神の力を中に容れることによって驚くような力を発揮することを信仰的体験として語ったのです。8節からの表現は人間の悲観的側面と希望的側面を交互に織り交ぜながら、使徒としての自分を証ししています。日本語の訳もリズミカルな文体です。10節の『いつもイエスの死を体にまとっています』という言葉は、彼のプライドでしょう。弱い土の器と福音の力がパウロという人間の中で独特の調和を保っています。「四方から苦しめられる」「途方に暮れる」「虐げられる」「打ち倒される」というのは、すべてパウロの実体験から出てきた表現だと思います。実際に彼は殺されそうになったり、鞭で打たれたり、難船したりしているのですから。

 使徒言行録の後半はパウロに関する記述ですが、彼がどんな目に遭っているかよく分かります。人間が様々な苦難を乗り越えるには自分の努力だけでは限界があります。パウロは福音理解の中核としてイエスさまの十字架と死と復活をしっかり掴んでいましたが、この信仰的確信によって人間の限界を克服できたと述べているのです。「イエスの死を体にまとう」ことは、「イエスの命がこの体に現れる」ためでした。ギリシャ語では死deathのことを普通はサナトスと言いますが、パウロはサナトスではなくてネクローシスという語を使っています。辞書によると、サナトスが「死んだ状態」を表すのに対して、ネクローシスは「死につつある死のさま」を表す言葉なのです。

 コリント前書の15章でパウロは復活について論じていますが、そこで『わたしは日々死んでいます』と述べていますが、それとつながりを感じます。「死を体にまとっている」という言い方は、パウロにとってイエスさまと一緒に「十字架につけられる」といった感覚なのでしょう。ですから「イエスの命がこの体に現れる」と言えば、イエスさまの復活の命にあずかることを意味していると思います。パウロにとってイエスさまの十字架の死は過去のこととして終わってはいません。現在も自分の中に実現している信仰上の出来事です。イエスさまが死刑を執行される時、自分がつけられる重い十字架を強制的に背負わされてゴルゴタの丘に向かわれましたが、途中でイエスさまは倒れます。その時クレネ人シモンがとっさに十字架を共に担いましたが、あのクレネ人シモンの感覚がパウロにあったのではないでしょうか。そしてそれは私たちにも必要な信仰的感覚です。

 十字架を背負うことが、私たちの務めであるからこそ、私たちはこの世の様々な苦難を乗り越えて行くことが可能なのです。パウロはそういう告白をしているのです。パウロの弱さや醜さや苦しい生活を指して、それは使徒にふさわしくないと指摘する人たちもいましたが、彼はそうした人間的欠陥を包み隠さずさらけ出して、すべてそれらを神さまの栄光を帰す手段として用いたのです。それこそまことに使徒にふさわしい姿だ、と言えると思います。私たちは自分の体にイエスさまの十字架の死をまとっているでしょうか。イエスさまの復活の命にあずかっている確信があるでしょうか。もう一度、イエスさまの十字架の死を見つめて、それを通してしか現れない復活の命を自分のものとしたいと思います。「イエス・キリストの命がこの体に現れる」と証ししたいものです。私は年齢を重ねるにつれて、キリスト教の中で、復活信仰が一番重要な核心だと信じるようになりました。皆さんはどうでしょうか。お祈りします。


 
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