2015.8.16

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「罪と和解」

廣石 望

エレミア書8,8-13 ; ローマの信徒への手紙5,1-11
 

I

 今日のテキストには「義とされる」という表現が現れます。キリスト教にとって、とても大切な言葉です。敗戦後70周年の記念日を昨日迎えた私たちにとって、それは何を意味するでしょうか。

 私たちの国の首相は、「未来の世代に永久的に詫びるという責任を追わせるべきでない」という趣旨の談話を発表したと聞きます。そのとき起こったことに直接的な責任がないという意味では、たしかにその通りです。しかし先週のトマス・マシュー氏の説教にもあったように、いわゆる戦後責任は、そうした直接的な決定や行動に何の関わりもない、次世代の子どもたちが担うというのも真実です。例えば子どもである自分が、戦争のせいで孤児になるという仕方で。

 現在私たちの国では、少年犯罪であっても「凶悪犯罪に時効はない」という立場が強くなりつつあります。戦争犯罪であればなおさらと言うべきでしょう。ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、ホロコーストの犠牲について「ドイツ国民が未来永劫追うべき負の遺産」であるという認識を内外に明らかにしたと聞きます。国家間の保障という難しい問題はさておき、少なくとも国民として、民族としての道義的な責任に終わりはありません。そしてこの認識こそが、和解と未来をもたらします。今日の聖書箇所も、そのことを教えていると思います。

 私たちの教会で敬愛をもって読まれる、ドイツの牧師で神学者のディートリヒ・ボンヘッファーの言葉を集めた月捲りの絵葉書に、次のような言葉があります。

 信仰者は現実をある特定の光の下で見たりしない。むしろ現実をあるがままに見る。そして見えることすべてに抗い、そのすべてを超えて、ただ神とその力を信じる。(Der Glaubende sieht die Wirklichkeit nicht in einem bestimmten Licht, sondern er sieht sie, wie sie ist, und glaubt gegen alles und ueber alles, was er sieht, allein an Gott und seine Macht.)

 この言葉を胸に、今日の聖書箇所をごいっしょに読んでみましょう。

II

 その前に、少しだけローマの信徒への手紙の背景を説明します。

 使徒パウロは、紀元50年代、ギリシアの都市コリントに滞在中、まだ訪問したことのない帝国の首都ローマに住むキリスト教徒に当てて、この書簡を執筆しています。当時、ユダヤ人の本国パレスティナでは、ローマ帝国に対する民族主義的な反感が高まりつつありました。やがてそれは66−70年の第一次ユダヤ戦争つまりローマ支配に対する全面戦争となって暴発し、最終的にはユダヤ側の完全な敗北で終わります。そのときエルサレムのヤハウェ神殿、いわゆる第二神殿が消失しました。

 この悲劇的な戦争が始まる約10年前、パウロがこの手紙を執筆したときの都市ローマは、皇帝がクラウディウスからネロに代わり、いわゆるクラウディウスのユダヤ人追放令が解除されて少したった時期です。コリントでパウロといっしょに働いたプリスカとアクィラの夫妻が、すでにローマに帰還しています。

 都市ローマに最初にキリスト教を伝えたのはユダヤ人キリスト者です。彼らは商人・奴隷・手工業者などとしてユダヤ人の会堂連合のネットワークを使い、都市ローマに東方から穀物を輸送するときの重要なルートである港湾都市プテオリ(現在のカンパニヤ地方プッツォーリ)から入り、アッピア街道を通って帝都ローマに入ったのでしょう。これは後に、パウロ自身が未決囚としてローマに連行されたときと同じルートです。

 皇帝クラウディウスによるユダヤ人追放令の背景について、学者たちはいろいろに推定しています。おそらく都市ローマのユダヤ教共同体内部で、イエス派の人々が異邦人に対して律法の遵守を要求しない、つまり割礼によるユダヤ教への改宗を求めない異邦人伝道を行って大成功を納めたことが想像できます。これによってイエス派に加わった異邦人の多くが、ユダヤ教に改宗することなくユダヤ教会堂の礼拝に参加していた、「神を畏れる人々」と呼ばれる人々――つまり心情的にはイスラエルの一人なる神を信じる異教徒たち――だったと思われます。律法遵守を求めないことは、ユダヤ人の民族的アイデンティティーを脅かす行為です。さらに「神を畏れる人々」は寄進その他によって、異教世界にあってユダヤ教共同体を保護してきました。その人々をイエス派が奪ったのです。それが都市ローマのユダヤ教共同体の内部に分裂を生み、騒動が繰り返されたあげく、皇帝の命によりユダヤ人が――おそらく騒動の中心にいたユダヤ教徒とユダヤ人キリスト教徒の指導的な人々が――都市ローマから追放されたのです。

 この追放令はクラウディウス帝が死去し、代わってネロが皇帝に即位することで解除されました。ところがユダヤ人キリスト教徒がローマに帰還したとき、教会内部の勢力地図に明らかな変化が生じていました。異邦人中心の教会になっていたのです。異邦人伝道を行うキリスト教は、初めから民族の枠を超える交流を重んじます。しかし食習慣を初めとして、ユダヤ人と異民族の間では、文化的また宗教的な生活習慣が相当に違い、加えてユダヤ人の間ではローマ帝国による支配に対する反感が高まりつつありました。かつて主流派であったユダヤ人キリスト教徒は、コミュニティの中で「二級市民」的な立場に置かれて、今度はイエス派の内部で、ある種の内部分裂が生じかけていたと思われます。――そうした状況を念頭に置いて、パウロは内部分裂を乗り越えるよう、ローマ教会に勧めています。

 それはちょうど、私たちの社会が「平和」をどのように実現すべきなのかをめぐって、つまり軍隊を用いず外交努力によって生存権を確保すべきなのか、それとも多少なりとも武力による威嚇を用いるべきなのかをめぐって、政府や政党、とくに政府と国民の間で必ずしも意見が一致していない状況に一脈通じるところがあるように感じます。

III

 パウロの発言は、〈過去が現在を根拠づけ、それが未来に対する希望を与える〉という構造をもっています。過去における私たちの与り知らぬキリストのできごとが、じつは私たちのためであり、そのことに信頼を寄せることで、現在に思いもよらぬ平和が与えられ、未来に対する希望が生まれます。内容的には、私たちが神の敵であったとき、キリストの残酷な死と彼の復活は「私たちのため」に神の愛のできごととして生じた。それが「神の前に義とされる」こと、「神との和解」、また「神に対する平和」をもたらし、私たちは「その恵み」の中に立つことができ、私たちの運命が「怒り」でなく「救い」であるという希望を、「艱難」の中にあっても安らかに誇ることができる、というものです。

IV

 「神の敵」とは何のことでしょうか。――神は世界とその中に満ちる命の創造者であり、私たちはその造られた世界の一部です。なのに、私たちはその最大の破壊者です。

 日本の伝統的な文化では、自然は初めからそのようなものとして私の周りに存在し、死と再生を繰り返すと理解されています。ギリシア語やラテン語で「自然」を意味する「physis生え出ること」や「natura生まれたもの」も、これに近い感じがします。これに対して、ユダヤ・キリスト教は〈神が世界を造った〉と言います。どちらが優れているというわけではありません。それでもアジア人である私たちには、創造信仰はなかなか実感がわきません。

 例えば、こう考えればよいかも知れません。小さい子どもが幼稚園や小学校から、図画工作の作品を自宅に持ち帰ることがあります。すてきな作品もあるでしょうが、中には「何だこれ?」というものもあります。しかし、つまらないからといって簡単に棄てることはできません。子どもが作ったものだからです。これが創造信仰の実感に近いのではないでしょうか。神が造ったものを簡単に壊したり、交換したり、棄てたりしてはいけないのです。

 しかし人間には、この世界にあるものをすべて所有したいという欲望があります。創世記の楽園物語にある禁令――どの木から食べてもかまわないけれど、この木の果実だけは食べてはならない(創2,16-17参照)――は、もしかしたらこの世界にある良いものの何を消費してもいいけれど、全部がぜんぶ自分のものだと主張してはならない、という意味かもしれません。でも私たちは、全部自分のものにしたいのです。私の手に入るはずのものを他人にとられたくない。他人を私の思うままに動かしたい。

 領土や領海をめぐる争いは、これが原因です。戦争も同じです。戦後の東アジア支配を有利に進めるために、全力をあげて開発した新型爆弾は、日本が降伏してしまう前に、ぜひとも使わなければならない。そして子どもたちを含む一般市民を、原子爆弾で焼き殺したのです。「けだもの」はけだものに相応しく扱うべきだ――トルーマン大統領の言葉です。私たちの国も土地や資源や労働力を我が物とするために、アジアの諸地域に軍隊を送りました。当時の政府は兵士の命を「鳥の羽より軽く」扱いました。南アジアの戦没日本兵の多くが餓死ないし病死しています。補給路もなく、救出も行われず、投降も認められず、ただ「死ね」というのが命令だったからです。ならば植民地や戦地の住民たちの命はもっと軽いはずです。これでは、ひとたまりもありません。

 現在、世界を席巻しているグローバリゼイションに、私有財産への所有欲を全世界の資源と労働力に向けて拡大する危険性はないでしょうか。それが、新たな世界戦争の引き金になりはしないか。現在、核保有国は1万6千発の核弾頭を所有しています。これが「神の敵」でなくて、いったい何でしょうか。

V

 続いて、キリストの生と死が神の愛のできごとである、ということについて考えてみましょう。

 イエス・キリストの死は、約2000年前の遠い過去に、しかも私たちから遠いところで生じました。それは当時の世界帝国が、辺境地域のテロリストと疑わしき外国人を一人処刑しただけのことです。似たような暴力事件なら、現在でもたくさんあります。中近東では、多数の市民が内戦や爆弾テロその他の犠牲になって日々亡くなっています。日本でも、殺人事件は決して珍しくありません。それで二つのことを感じます。一つは、〈人の暴力は果てしない。憎しみは終わるはずがない。だから罪の赦しなどありえない。最後に来るのは、神の「怒り」の審判だけだろう〉というもの。もう一つは、〈イエスの死はそうした暴力の一例であり、とくに救いをもたらすものではありえない〉というものです。

 では、イエスはどのような生き方をした人でしょうか。――彼は被差別者に「神の愛」を伝えました。「幸いなるかな、極貧の者たちは。神の国は君たちのものだから」と言って。そして「穢れている」とされた人々と食べ物を分け合い、悪霊が取り憑いていると言われた人々の病いを癒し、神が支配する新しい世界で生きるとはどういうことかを譬えを使って教えました。彼が宣教した「神の国」では、社会の中で片隅に追いやられた人々が中心になります。徴税人・娼婦などの「罪人」、レプラ罹患者・不正出血者・精神の病いを含む「悪霊による」と信じられた病人、生まれつきないし後天性の身体の障がい(視覚・聴覚・肢体不自由)を持つ人々、女性たち・子どもたち・独身者たち、そして外国人です。彼が活動したのは辺境のガリラヤ地方でした。

 他方で、当時のユダヤ民族の指導者層は、首都エルサレムにいました。そこには王宮と神殿があります。つまり王家と貴族祭司が支配層です。ただし、その支配権はローマ帝国から認められて初めて機能するものでした。とくに王は、新しい皇帝が即位する度に新しく承認してもらう必要がありました。つまりある種の傀儡政権です。イエスを自分たちの秩序を乱す者として処分したのは彼らです。きっかけは、おそらく小さなことです。イエスに「メシア」つまり民族の新しい王、外国支配の打破を目指す者という期待が寄せられていました。これはローマと王族を刺激します。他方で、イエスは神殿の大庭で威力営業妨害まがいの行為を働き、「神の国が到来すれば、現在ある神殿は廃棄される」と予言したようです。これは神殿の貴族祭司を刺激します。イエスの革命は武力によらず、価値観念における刷新を求めるもの、人々の心に働きかけて日々の生活を変えるものでした。放置しておいても、政治的な実害はなかったはずです。いや、権力のイデオロギー的基盤を崩す者を、ふつう権力者は放置しないのです。

 しかし、なぜこの政治的処刑の出来事が「和解と平和をもたらす神の愛」のできごとなのでしょうか?――「キリストは私たちがまだ弱かったとき、機会に応じて、不敬虔な私たちのために死んだ」(6節参照)、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストは私たちのために死んだ」(8節参照)。これらの発言のキーワードは「私たちのために死んだ」という表現です。別の手紙には「私たちの罪のために死んだ」という表現もあります(1コリ15,3)。「〜のために」という前置詞表現は、〈私たちが肝心なときに見捨てたせいでイエスは死んだ〉つまり「私たちが原因で」という意味にも、あるいは〈私たちの罪責を引き受け、私たちの罪を赦すための身代わりとなって死んだ〉つまり「私たちの利益を目指して」という意味にもとれます。原因の意味にとれば、生き残ってしまった者の罪責感が、他方で目的の意味にとればイエスの死の救済論的な意義がそれぞれ言われていることになります。どちらの意味もありえますが、キリストの「血により義とされる」(9節)という表現が、その死を祭儀儀礼的な動物供犠になぞらえて、犠牲の死・代理の贖罪死と見なしているようであることも考え合わせると、どうやら後者の意味に理解してよさそうです。こうしたイエスの死の理解は、洗礼式に先立つ信仰告白に由来するかもしれません。

 しかし「私たちのために死んだ」という表現を、「〜のために」という前置詞をどう理解するかという問題にとらわれず、もっと広い意味関連から理解することもできるでしょう。イエスの残虐な処刑は、この世界に悪意と敵意があることの証拠であり、彼の復活は神がこの罪を克服し、人類のために未来を開いたことのしるしである、というつながりです。つまり他者のために生きて殺されたイエスはいま神の命を生きている。世界を満たす悪の力、サタンの支配、死と罪の縄目は打ち砕かれた。命を作りだす神の力が、イエスの復活を通して世界と私たちを変えてゆく。イエスの死は、神の命がこの世界にあふれ出る通路である、という信念の表現として。

 「愛」とは自発的な創造性です。イエスの死は「私たちがまだ弱かったとき/まだ罪人であったとき/敵であったとき」に生じました、義人でもなければ善人でもなく、神を敬わず人を人とも思わない私のために。神の息子の殺害というこの痛ましい暴力のできごとは、救いと恵みのできごとの記念碑になりました。暴力の被害者であるイエスが、世界にその克服と和解をもたらす救済者になったのです。それは戦争暴力の生存者である市民が、暴力を我が身に引き受けることで、紛うことなき平和の証言者になることに似ています。

VI

 最後に、和解と希望について申し上げます。

 イエスの死を通して「神は私たちへのご自身の愛を示している」(8節参照)。その愛への「信仰(信頼)から義とされた私たちは、私たちの主イエス・キリストを介して和解を受けとり、神に対して平和をもち」(110節参照)、神の栄光に参与するという希望を誇りに生きている(211節参照)。

 もともと「和解」は社会的ないし法律的な概念で、損害を与えた側が被害者に弁償行為を行うことでバランスを取り戻すことを意味します。いわゆる対物補償であれば、まだ何とかなるでしょう。しかし命が失われた場合、殺人犯を処刑してみたところで、失われた命は戻りません。では、神が与える「和解」とは何でしょうか。パウロの言葉に即して考えれば、それは神自身が神なき不信心者の暴力の犠牲者になることで、つまり神自らが暴力を我が身に引き受けることで、暴力の張本人である私に近づくことから生じる暴力の滅却です。

 パウロはこの神の愛に信頼することで、民族間の憎悪を乗り越えるよう、ユダヤ人と異邦人から成る都市ローマの小さなキリスト教共同体に勧めています。「神との和解」は、人との和解を通して現れるからです。それは、相手を力で圧倒するやり方とは異なり、双方ともに大きな忍耐が求められます。パウロが現在の「艱難」について語るのはそのためです。しかし「艱難は忍耐を、忍耐は確証を、そして確証は希望を生み出す」(3-4節)。そして「希望は私たちを辱めない。私たちに与えられた聖霊を介して、私たちの心に神の愛が注がれているから」(5節参照)。

 もう一度、ボンヘッファーの言葉を思い出しましょう。「信仰者は……見えることすべてに抗い、そのすべてを超えて、ただ神とその力を信じる」――これが罪責にまみれた、しかしそれにもかかわらず神から与えられる私たちの希望です。


 
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