2015.8.9

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「神と被造物に親しむ」

トマス・マシュー

ミカ書4,1-3 ; ローマの信徒への手紙14,17-19
 

I

 ナマステー(こんにちは)。インドからご挨拶します。南インド・ケララ州から皆さんに再び、大きなクリスチャンの家族としてお目にかかれることは、私にとってすばらしい特権です。牧師の秋葉正二先生と役員の皆さまには、本日の説教を担当させて下さり、また教会という神の家で数日間の宿泊を可能にして下さったことを感謝申し上げます。そして友人である廣石先生には、私の平和活動およびNGOであるSEEDS-Indiaの慈善活動に対する継続的な支援に感謝申し上げます。

 今日は、長崎に原子爆弾が投下されて70周年の記念日です。幸運なことに、それ以降の70年間、世界は原子爆弾の投下および核戦争に直面することはありませんでした。しかしながら世界全体では、過去70年の間に270以上の戦争があり、今も戦争は続いています。過去70年間の平和は、地球上の全生命を絶滅せしめるであろう次の世界大戦を、かろうじて回避してきたと言えます。

 イエスが生まれたとき、天使たちは「いと高きところでは神に栄光あれ、そして地には平和、人類に対する善意があるように」と歌いました(ルカ2,14)。聖書は平和と静けさについて何度も語っています。イエスは私たちに平和をつくる方法を、つまり暴力によらず、分かち合いと赦しによって平和のための基礎をつくる方法を教えました。

 

II

 本日は『ローマの信徒への手紙』14,17-19の言葉をとりあげたいと思います。

「なぜなら神の王国は食べたり飲んだりのことがらでなく、聖霊が与える正義と平和と喜びなのだから。そして誰であれ、このような仕方でキリストに仕えるなら、その人は神を喜ばせる。そして他の人々からも、そう認められる。だから、あらゆる努力を平和へと導くことを行うため、互いを建て上げることのために行おうではないか」。

 イエスは人類のために十字架上で自ら苦しみを受け、どのようなときにも武器をとることのないよう弟子たちに教えました。

 今日、世界の指導者の多くは、どのようにして世界に平和をもたらすかについて、自分なりの道を模索しています。そしてほとんどの場合、それは大量破壊兵器や核武装によって世界を脅すという方法です。世界の最も強い国々は、16,000発の核弾頭を所有することで自らのパワーを誇示しています。そしてそのことが、インドやパキスタンなどの貧しい国々を核保有国になるよう促しました。今では、イランや北朝鮮などの別の貧しい国々が、自らの利益のために恐怖の雰囲気を作りだそうとして、核爆弾を開発しています。抑止力を超えて、これらの反人道的、かつ神に叛く武器が最終的に行き着く先は、全能の神が造りたもうた被造世界の全面的な破壊です。しかし私たちは皆、「尊厳と権利の点で自由かつ平等」です。私たちは皆、自由と調和と平等のうちに生きる権利をもっています。

 

III

 この世界の、もう一つの現実を見てみましょう。

 世界では毎日、1万9千人の5歳以下の子どもたちが死んでいます。ほとんどは本来ならば予防可能な病気が原因です。25億の人々が、今も衛生的な生活を送ることができず、さまざまな社会集団の間の格差は大きくなるばかりです。環境の持続可能性は、深刻な脅威に晒されています。私たちの惑星は虐げられ、痛めつけられています。世界飢餓機構の報告によれば、世界では9億2千5百万の人々が飢餓状態に、つまり一日に一食あるかないかの状態にあります。そのうちの98%が発展途上国に住んでいます。収入の格差はますます広がっています。世界で最も豊かな20の国々の平均収入は、最も貧しい20の国々の平均と比較して37倍あり、これは1970年時点と比較して2倍になりました(世界銀行による)。世界中の貧しい人々の4人に1人がインドで暮らしています。それなのにインドの指導者たちは、核爆弾をもっていることを誇りに思いなさいと私たちに助言しています。こうして自国のジンゴイズム(威嚇によって自国の覇権を主張すること)を煽ることで、指導者たちは、貧しい人々や教育を受けていない人々をいとも簡単に操作するのです。同じことは、世界中どこでも起こります。

 しかしいったん戦争が起これば、その負債を払うのは、自分たちが戦ったのではない次世代の子どもたちです。この人々は、戦争を起こした人々がもっていた考えを、もはや持っていません。当時の地域およびグローバルなシステムは、もはや存在しません。当時の指導者たちの決定は、もはや有効でありません。それなのに、この次世代の人々が戦争の負債を払わなければなりません。

 本来、人々は平和の実りを、自分たちが生きている間に見る必要があります――学校、仕事、基本的な生活上のサービス、自由に生活するチャンスなどのかたちで。

 

IV

 開発と平和は同じコインの両面です。加速する紛争、極端な暴力主義、そして人道上の危機が、過去数十年のうちになされた開発上の進歩を台無しにしてしまう恐れがあります。自然資源の枯渇、砂漠化・旱魃・土壌悪化を含む環境破壊による衝撃、そして不可逆的な気候変動の予測――これらが、現在の人類が直面している挑戦に含まれます。多くの社会が生き残れるかどうか、またこの惑星が生き残れるかどうか、それが危ういのです。

 あらゆる人が、平和で調和に溢れた社会の中で、恐怖と暴力から自由に生きたいと願っています。私たちは平和な、かつ安全な、そして人々を包み込む社会を育てたいと願います。世界を万人のための平和な家へと変貌させることが私たちの責任であり、それは今日必要とされていることでもあります。平和は、キリスト教に本質的です。このことに疑いの余地はありません。

 

V

 キリスト者として、私はときに平和のことが分からなくなります。あることをやっと克服できたと思ったら、もっと大きな問題が私たちの目の前に立ち現れるからです。それでも注目していただきたいのは、平和を作りだす者たちは尊いと神が言われることです。昨年私はインドで、「核兵器の全面廃棄」のための国連の日(2014年9月26日)との関連で、初めてプログラムを行いました。そのとき、広島平和文化財団の理事長である小溝氏は、次のように語りました。すなわち国連は長い時間をかけて、この大切な日を遵守するよう訴え、地球上の生命に対する現実の脅威について世界を教育するよう促してきた。しかし、私たちは今日のことだけを考えて生きているせいで、人類という家族にとっての目に見えない脅威の存在を忘れてきたと。

 さて、2015年4月26-27日、ピースボートがケララ州に来ました。そして当地のYMCA、コーチン市、そして私のNGO「SEEDS-India」はコーチン市で二つの大きな会合を企画し、そこに広島および長崎から8人のヒバクシャが参加されました。彼らの証言は、善意ある人々の胸を打ちました。また若者たち、メディアはヒバクシャの方々にたくさん質問しました。その中で最も際立っていたのは、「あなたはアメリカを赦したのですか」という質問です。彼らの返答は、疑いなくたいへん明瞭なものでした。すなわち「私たちは〔過去ではなく〕今のことについて話しているのです。そしてこの世界を、もうひとつの世界大戦から救い出したいと願っています。核兵器のない世界のために、あなたの力を貸してほしい。いっしょにがんばりましょう」――これはインド人にとって、霊的な方向づけをもつ答えです。キリスト者にとって、それは福音の本質です。すなわち〈赦しなさい、そして忘れなさい。そして他者のためによいことをしなさい。悪と誘惑から遠ざかりなさい〉。

 先日の8月4日、インドの学校や大学で集めた1万人の平和署名を、私は広島市長に手渡しました。平和を促進することは、未来の世代のために私たちの各人が、日々行うべき責務です。広島市はピースボートの役員たちを通じて、広島の平和公園の「平和の火」をインドで灯すために(ポケットウォーマーを使って)私に届けてくれました。私はこのことのために働いており(インドでは技術的な問題をクリアすることは簡単ではありません)、もうじき平和の火をコーチン市に設置できればと願っています。広島の平和公園の「平和の火」が外国に運ばれたのは初めてであり、それはヒバクシャたちのヴィジョン、すなわち「この炎は、地球上からすべての核兵器が廃絶された後に、初めて消される。それは私たちにとって挑戦だが、必ず達成される」という夢に、私たちも連なるものであることを世界に示しています。

 

VI

 私たちの多くは、旧約聖書の「平和」という言葉に親しんでいます。「シャローム」という言葉です。ヘブライ語の話者にとって、「シャローム」には、英語の「ピース」よりはるかに豊かな重要性が込められています。ときに私たちは、平和という観念を〈紛争がないこと〉に限定してとらえがちですが、シャロームははるかにそれ以上のことを含みます。それは全体性、完全性、健全さ、そして繁栄といった観念を併せたものだからです。旧約聖書の「平和」概念は、新約聖書の「共同体」概念に密接な関連性があります。新約聖書のギリシア語で共同体を意味する「コイノーニア」という語は、おそらく「親密な交わりintimate fellowship」と訳されてよいでしょう。私たちが神との平和を保つとき、私たちは神との親密な交わりのうちに生きます。同様に、平和な(平和に満ちた)人間同士の関係もまた、コイノーニアによって特徴づけられます。神は世界を平和の場所として、すなわち正義と調和と交わりの場所として創造されたのです。  神の祝福が皆さんにありますように!

(翻訳 廣石望)

 
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