2014.2.16

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「朽ちない冠を得るために」

秋葉 正二

ネヘミヤ記9章11-15節; コリントの信徒への手紙I9章24-27節

 きょうはローズンゲンに従って、「コリントの信徒への手紙I」をテキストに選んだのですが、「コリントの信徒への手紙」には「ローマの信徒への手紙」と比べると大きな特徴があります。それは「ローマの信徒への手紙」がパウロにとってまだ見たことのない都市で、人づてに聞いた教会を念頭に思い浮かべながら書いているのに比較して、「コリントの信徒への手紙」の方は、手紙を書く前に、二度も住んだことがある町なので、コリントの教会の様子が手に取るように分かっていた、という点です。それ故、「ローマの信徒への手紙」はいきおい理論的、歴史的、神学的になりやすいのですが、「コリントの信徒への手紙」は、実際の生活に対して教訓を与える、という書き方が可能です。ですから、「コリントの信徒への手紙I」も最初から読んで行きますと、教会分裂の話とか不品行の問題とか、結婚観とかが次々と出てきた後、8章から偶像問題が取り上げられ、9章ではそれに絡んだ「食」の話です。なんか俗な問題ばかりだなァ、とつい思ってしまいます。けれども人間が生きるためには、常に世俗との接触が必要なわけですから、ここは一つ、気を取り直して読み進まねばなりません。

 8章からは偶像問題が取り上げられていますが、パウロは「偶像礼拝者とはつきあうな」というような言い方はしません。8章ではこの問題を、弱い人たちへの配慮という方向へ導いていきます。そして9章では、直接的には「食」の事柄を述べているのですが、多用されるのは「権利」という言葉です。この権利は使徒であることの権利、つまり「使徒権」の問題です。パウロは自分がイエス・キリストの使徒であるという自覚をはっきり持っています。しかし、使徒としての権利を持つことと、それを行使することには精一杯反対するのです。前のページの12節などを見てください。なぜ使徒権などということが出て来たかと言えば、当時、各地で使徒が必要だったからです。使徒として働いた人たちはパウロだけではなく、ケパもアポロもいました。しかし、どう見ても使徒と呼ばれたリーダーの数は不足していました。猫の手も借りたかった状況です。パウロ自身、一つの町にずっと定住できなかったのはそうした理由です。

 指導が手薄になったと感じれば、彼は弟子のテモテやテトスで補ったことは「使徒言行録」からも分かります。パウロは確かに使徒権ということを主張していますが、その活動の原点は、ギリシャ流のグノーシス(知識)に対照させれば、アガぺー(愛)と言えます。使徒として神様に強くされ、自由な者でありながら、弱い立場の人には自分も同じように弱くなる、というのはその愛がなせる業です。教会を生み出し、伝道活動を続ける上で、この世の弱い人たちに出会った時に弱くなったのは、その人たちを躓かせないためでした。パウロは教会を生み出す際に、この世で出会った人に徹底的に合わせるということを述べています。ちょっと前の19節の表現によれば、自分は自由人だけれども、奴隷になると言うのです。そしてこうした使徒としての働きに参考になったのが、きょうのテキストで引用されている競技会でした。パウロが引用しているのはコリントで二年ごとに催される地峡競技会です。新共同訳聖書の後ろに載っている地図の8か9を見て頂くと分かりますが、コリントはバルカン半島本土と最南端のペロポネソス半島を結ぶ地峡を形成していますので、そのコリント地峡で開催された競技会です。この競技会はもっと西南のオリンピアで開かれた祭典と並んで、運動会としては当時の双璧をなすものでした。

 オリンピックとして現代に形跡を残しているのはオリンピアで開かれた競技会の方ですが、マラソンという地名が残っているようにマラソンは当時からありました。古代ギリシャの運動会は裸で大勢の観衆の前で競技を繰り広げたことはよく知られています。今ちょうど冬期オリンピックの最中で、連日そのニュースが溢れていますが、パウロの時代にも多くの人が夢中になったようです。そういうわけで、コリントに住めば、どうしてもこの地峡競技会に無縁で過ごすわけにはいかなかったのです。パウロは言わばディアスポラのユダヤ人ですから、ヘレニズム文化に抵抗はないはずです。きょうのテキストで競技会を引用したのはその証拠ですし、他に「フィリピ書」(3:14)「第IIテモテ」(4:7-8)でも競争者の例話を取り上げています。

 パウロは神さまに「三度体からトゲを取り除いてください」と祈った通り、屈強な肉体を誇った人物ではありません。病気を抱えていたということもあって、どちらかと言えば、貧弱な肉体を想像してしまいます。貧弱な肉体のパウロが屈強な肉体美を誇る競技会を引用したことには、ちょっと興味を引かれます。当時の競技会では拳闘(ボクシング)、競走(かけっこ)、レスリング、円盤投げ、やり投げ等があったことが分かっています。パウロは24節で競走を、26節で拳闘を引用して、『皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです』 と言い、『空を打つような拳闘もしません』と言っています。それは、朽ちぬ冠を得るために必要なのだ、というのです。そしてそのための節制について、27節にあるように、『自分の体を打ちたたいて服従させます』 と言い切っています。

 パウロが運動にどの程度興味を持っていたかは分かりませんが、競技に出る選手たちがどれだけ大変なトレーニングを積まなければならなかったかはちゃんと理解しています。これは現代のオリンピックでも同様です。極限まで身体を鍛えた人達が、ぎりぎりのところで競い合う訳ですから、その努力たるや凄いものです。当時でも、トレーニングの期間中は、お酒はもちろん、肉類や固い食物は避けたそうです。パウロはコリントの教会の人たちのことを思い浮かべながら、信仰について分かりやすく伝えるために、信仰にスポーツのことを適用したのでしょう。パウロが伝えたかったことは「ローマの信徒への手紙」なども合わせて考えてみると、おそらく信仰の目標としての第一番目は、終末的な事柄に関することではなかったかでしょうか。

 きょうのテキストに終末論的な言い回しは出てきませんが、彼は4大書簡のあちこちで終末論を展開していますから、この推測は的外れではないと思います。終末に備える自覚は彼の中できっちり固まっていました。もう一つ信仰上の目標を挙げれば、それは終末に向かって生きる人たちを少しでも増やしたい、信仰に導きたいという願いです。いわゆる宣教です。これは教会を立ち上げる目標でもありますし、教会活動そのものです。この宣教の努力を不断のものとして続けることは、パウロの生きがいだったでしょう。生きるも死ぬもキリスト、と言い放っているパウロにとってみれば、それは当然です。もちろん節制という言い方の中には、異教社会に広がっている放埓三昧な生活から抜け出すという、一種の禁欲的な勧めも含まれていたと思います。とにかく、パウロはただ闇雲に伝道したというのではなく、冷静沈着に異教社会の祭りや競技会などにも目を注ぎながら、それらを有効に生かすことも考えていたことが伝わってきます。行く先々の町々で、パウロはそこに住む人たちの生活をしっかり見て、どういう活動をしたらうまくキリストの福音を伝えることができるかを常に考えたのです。

 人間的な欠点もたくさん抱えていたパウロですが、こと宣教の姿勢に関しては流石です。私たちは信仰生活には訓練が必要であることをパウロから教えられています。洗礼を受けたからもう安心、何もしない、というのはダメなのです。礼拝に臨む前に当日のテキストを事前に読んで備えるとか、祈祷会で共に学ぶとか、ディスカッションに参加してみるとか、積極的なスタンスが大事です。流されるままの信仰生活ではやがて息詰まるのですね。時々気の向いた時に礼拝に出かけてみる、なんていうのも論外です。信仰は努力し続けなければ必ず失われて行きます。パウロはきょうのテキストの最後で言っています。『他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。』本当にその通りです。後の者が先になり、先の者が後になることは実際に起こるのです。「失格者」と訳されている言葉(adokimos)は、「検査に合格しない」とか「落第する」という意味ですから、私たちは神様の人生の試験に落第しないように、努力すべきです。

 

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