2013.12.1

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「聖霊によって」

廣石 望

イザヤ書7,1-17; マタイによる福音書1,18-25

I

 本日からアドヴェント(待降節)の季節が始まりました。先ほど「いま来りませ」という有名なアドヴェントの賛美歌を歌いましたが、もともとの出だしは「いま来れ、異邦人たちの救い主よNun, komm der Heiden Heiland」というものです。なぜ「異邦人たちの」つまり「異教徒たちの」と歌われるのでしょうか? マタイ福音書の誕生物語を手がかりに、そのことを考えてみたいと思います。

 

II

 その前に、少しだけ古代キリスト教の暦についてお話します。

 キリスト教は最初の300年ほど、12月25日をキリストの誕生祭として正式に祝うことはありませんでした。もともと誕生日を祝うのは異教の習慣で、ユダヤ人はその乱痴気騒ぎを嫌ったのです。最初期のキリスト教徒は、むしろ故人の命日を天国への誕生日として記念したと伝えられています。

 新約聖書に、イエス誕生の日付はまったく記録されていません。そして現在のクリスマスと顕現祭は、もともとは異教の祭日でした。12月25日は、ローマ皇帝ヘリオガバルスが導入した「勝利の太陽神sol invictus」の誕生祭(冬至)、他方で1月6日は、処女イシスから生まれた神の子ホルスの誕生を祝うオシリス祭儀の祭日だったそうです。古代のキリスト教会には、イエスの誕生日を12月25日とする習慣と1月6日とする習慣の二つが、地域によって異なって存在し、後の時代に前者を降誕祭、後者を顕現祭と分けることで整理したのです。

 そもそも異教の祭日がキリスト教の祝祭日になった経緯については諸説がありますが、紀元4世紀にローマ帝国でキリスト教が公認され、やがて唯一の帝国宗教となっていった時期、名目上は「キリスト教徒」になった人々が、過去何百年も続いてきた異教的な習慣とメンタリティをそう簡単には脱却できなかった、という事情があるようです。

 つまり当時のキリスト教の指導者たちは、伝統的な宗教習慣をなかなか棄て切れない一般信徒のメンタリティに配慮し、そうした異教の祝祭をキリスト教化することで、自らのうちに取り込もうとしたようなのです。

 これは日本風に言えば、「どうせお盆のお祭りをするのなら、いっそ教会でやりましょう」ということです。私の実家のある田舎の教会では、お盆になるとクリスチャン家庭の人々もお墓参りをし、墓前で賛美歌を歌いました。お葬式の野辺の送りには、「町内長寿会」の幟と、「我らの国籍は天にあり」という聖句が染め抜かれた教会の幟が、仲良く並んで進みました。しかも明らかに同じお店に注文した、まったく同じ仕様の幟でした。

 

III

 もちろん新約聖書の各文書が書かれたのはもっと古く、マタイ福音書の成立は紀元1世紀の末であろうと言われています。しかし、そこにも異教の影響はあります。そもそもキリスト教はユダヤ教の一分派として出発しましたが、当時の東地中海世界に広まることで形成されてゆきました。

 そのとき異邦人伝道を通して、大量の異教徒出身のキリスト者が教会に加わったのです。彼らは自分たちの文化伝統をキリスト教に持ち込みました。キリスト教は純粋な単一文化の現象としてではなく、複数の文化の出会いと融合の中から生まれたのです。

 〈神の子が聖霊による処女降誕で誕生する〉という物語は、そうした異教文化の受容をもっとも明瞭に証言している事例のひとつです。

 なぜなら伝統的なユダヤ教では、神が人間に子どもを生ませるという考え方が、きわめて忌み嫌われたからです。例えば、創世記のノアの洪水の物語の直前に、次のようなエピソードが配置されています。

 人が大地の面に増えはじめたときのことである。彼らに娘たちがうまれた。神の子らが人の娘たちを見ると、彼女たちは美しかった。そこで彼らは、自分たちが選り好むものをすべて妻にめとった。……その時代、またその後々までも、地にはネフィリムがいた。それは、神の子らが人の娘たちのところに入り、彼女たちが彼らによって産むからである。この者たちは、昔からの勇士、名だたる男たちである。(創世記6,1-4 月本昭男訳)

 神と人間の間に生まれる英雄たちという観念は、例えばギリシア神話ではごく普通に見られますが、ここでは地上に蔓延する悪の象徴であり、そのゆえに神は人類を滅ぼすことを決意しました。

 これに対してマタイ福音書は、まさに人間の男性が関与することなしに「神の子」イエスが誕生したと物語ります。ユダヤ教の伝統的な理解からすれば、およそ考えられない発想というほかありません。他方で、異教徒出身の人々から見れば、これは真の神の誕生を告げる物語です。

 伝記作家ディオゲネス・ラエルティオス(3世紀?)が、哲学者プラトンの誕生に関して、以下のようなアテナイ人たちの噂を伝えています。

 アリストンは、そのころ適齢期にあったペリクティオネを無理やりに自分のものにしようとしたが果たさなかった。そして無理強いすることを思いとどまっていたとき、彼は夢にアポロンの神の幻を見た。そこで子どもが生まれるまでは、彼女に触れることをせずに清らかなままでこれを守ってやった、というのである。(加来彰俊訳)

 マタイ福音書で、夢に出てきた天使がヨセフに「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と告げたり、ヨセフは「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった」と言われたりするとき、彼らが同じ文化圏で生きている人々であることがよく分かります。

 主イエスはユダヤ人しか受け入れることのできないメシアとしてではなく、異教徒にも理解できる「神の子」としてこの世界に到来したのです! 「神我らと共に」というときの「我ら」には、明らかに異教徒たちが含まれます。

 

IV

 他方でマタイは、イエスが同時にイスラエルのメシアであることを、力を込めて強調しています。

 福音書の冒頭の一言、「アブラハムの子、ダビデの子であるイエス・キリスト」(1,1)とはイエスがイスラエル民族に属し、ダビデの家系に属するメシアであることを意味します。その家系に属する「ヨセフ」が、「その子をイエスと名付けた」とは、イエスは法的な認知によってダビデの家系に組み入れられるという意味です。

 さらにイザヤのインマヌエル預言が引用されます。「おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この言葉は、すでにユダヤ教において、メシア預言と理解されていました。

 そして、イエスについて「この子は自分の民をその罪から救う」と言われています。「イエス」という男子名のヘブライ語は「イェホシューアハ」、旧約聖書にいう「ヨシュア」で、〈ヤハウェは救い〉という意味です。イエスの時代には、その短縮形「イェシュア」ないし「イェシュー」が用いられており、そのギリシア語表記が「イェスース」でした。

 つまりマタイ福音書は、異教的な処女降誕という仕方を通して誕生したのはイスラエルのメシアに他ならない、と宣言しているわけです。

 

V

 さて、イザヤ書のヘブライ語原文で「おとめ」に当たる「アルマー」という語は、既婚・未婚を問わず「若い女性」という意味です。未婚女性をさすには「ベツィラー」という別の言葉がありました。

 しかしこの「アルマー」の語は、『七十人訳聖書』という旧約聖書のギリシア語訳で「パルテノス」と訳されました。これも「若い女性」の意味なのですが、いわゆる「処女」の意味をもつことができます。例えば処女神アテナに捧げられた神殿が「パルテノン神殿」と呼ばれるのは、そのためです。他のギリシア語訳聖書では、ふつうに「若い女性(ネアーニス)」と訳されており、とくに処女性は強調されていません。

 それはともかく後のキリスト教会で、とりわけマリアの処女性をひとつの重要なモティーフとして、聖母マリアへの崇拝が盛んになったこと、ローマ・カトリック教会がこの伝統を今に伝えていることは、御存じのとおりです。

 他方で、古代の異教哲学者ケルソス(3世紀)に、次のような興味深いイエス批判が伝えられています。

 彼はユダヤの村の出身で、田舎の糸紡ぎ女から生まれた。彼女は大工を職業とする夫により、姦淫の咎めを受けて追い出された。彼女は、夫に放逐されて恥辱に満ちた放浪を続けているときに、[パンテーラという名のひとりの兵士によって懐妊し]、こっそりとイエスを生んだが、イエスは貧困のためにエジプトに稼ぎに行き、かの地でエジプト人が誇りにしているある種の奇跡力を実証したので、帰還したときにはその奇跡力を大いに誇り、これらの力のゆえに神と自称したのだ。(オリゲネス『ケルソス駁論』I, 28、[ ]はI,32より。出村みや子訳)

 この背後にあるのは、イエスが処女降誕したというキリスト教の主張に対するユダヤ教の側からの反論で、その痕跡はタルムードにも残っています。それを異教徒ケルソスが継承したわけです。

 発言の趣旨は、〈イエスは姦淫という婚外妊娠から生まれた私生児にすぎない。しかも外国人兵士との間の混血児だ。彼の母はふしだらな女性だった。だから息子もつまらない男だ。奇跡を起こす力はエジプトで手に入れたのだ〉というものですね。

 ある人を侮辱するためにその母親をけなし、出生を貶めるという極めて厭らしいやり方です。しかも、いわゆる「混血児」を差別する文化伝統が前提されています。「パンテラPanthera」という名前は、「おとめparthenos」という語のアルファベットを入れ替えたもじりでしょう。また「エジプト」云々は、マタイ福音書が語るイエスの家族のエジプト逃亡のエピソードを受けたものと思われます。

 この誹謗中傷は、キリスト教におけるイエス処女降誕の思想を受けて、それを貶めるために創作されたものだと思います。イエスが「異教徒たちの救い主der Heiden Heiland」であるというメッセージは、ここまでグロテスクな仕方で罵られたのです。

 

VI

 マタイによる福音書は、もちろんまだこの誹謗中傷を知りません。それでもこの福音書が、イエスの誕生を「聖霊による」としていることに注目しましょう。

 通常の異教神話とは異なり、マタイはマリアの妊娠の経緯そのものについて、例えば神とマリアの性交については物語りません。その点では、極めて質素な物語です。

 そもそも聖霊とは、神の創造的な働きを示す概念です。世界の創造もイエスの復活も、聖霊のなせることと言われます。その基本的な理解につなげて、イエスの誕生が「聖霊による」と言われるのを、イスラエルのメシアが「異教徒たちの救い主」として到来したことに向けて理解することが可能であろうと思います。

 まったく別の文脈で、使徒パウロの次のような言葉をお聞きください。

 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。…律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。(1コリント9,19-22

 ここにある「わたし」は、もちろんパウロの一人称です。しかしマタイ福音書のイエス誕生の物語に照らせば、この「わたし」をキリストの一人称に読み替えて理解することが可能であろうと思います。すなわち、わたしキリストは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のように」、「律法をもたない人に対しては、律法を持たない人のようになりました」と。

 イエスが「聖霊によって」生まれるとは、彼が「すべての人の救済のために」生まれるという意味を含んでいます。

 

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