2013.11.3

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「臨終の時にも心強い」

陶山義雄

創世記22,1-13; コリントの信徒への手紙二4,16-5,10

 先週の木曜日・10月31日は宗教改革記念日でした。私たちの教会では、同じく先週の日曜日に音楽礼拝の中で、宗教改革を覚えて感謝の礼拝を捧げました。マルティン・ルターが何故、10月31日にウィッテンベルグの教会扉に95か条の意見書を掲げ、これが、改革の狼煙火となったことについて、本日の週報「牧師室から」の中で触れさせて頂きました。それは、ハロウィーンと呼ばれる31日と、その翌日、すなわち11月1日には万聖節と言う、お祭りがあって、大勢の人々が教会に来られる、この時を見計らって、出来るだけ多くの人々に95か条の意見書を見て欲しいとルターが願っていたから、ルターは10月31日を選んだものと思われます。プロテスタント教会では、必ずしも11月1日にこだわることなく、11月第一の主日を、万聖節の礼拝、天に召された信仰の先達を覚えて捧げる礼拝が執り行われる慣わしになっています。私たちの教会では、例年、11月第二の主日を「召天者記念礼拝」としています。そしてそれは来週の日曜日に予定しています。この礼拝では、来週に迎えるこの行事の先駆け、準備のつもりで、お話しさせて頂きます。

 この1年を限ってみても、私の周囲から、多くの友人を身元にお送り致しました。77歳にもなると、送り出す度に、次は私の番である思いを強く感じるこの頃です。しかし、この教会に来ると、すごく励まされ、心強く思うのは、77歳は若いとは申しませんが、更に先輩方が大勢おられて、しかも、矍鑠として、礼拝に参列しておられるばかりでなく、教会で中心的な働きをしておられることに、大変勇気を頂いております。実に感謝すべき交わりであります。先程申した、「次は私の番だ」と言う言葉は控えなければなりません。教会の交わりは本当に素晴らしいと思います。老いも、若きも1つになって礼拝を捧げる恵みに改めて感謝いたします。

 先程お読みしたコリントの信徒への手紙IIの5章は2001年、身元に召されたTさんの病床でお読みした時の体験を通して、更に忘れ難い聖書の言葉となりました。Tさんは、その数週間前から相模原市の東海大学病院に入院しておられ、私の勤めていた大学に近かったこともあって、折に触れて病床訪問をさせて頂いたのですが、2月に入って容態が悪くなられ、ことにお亡くなりになる2日ほど前から昏睡状態になられ、私も覚悟をしてそれからは毎日、帰宅の際に病床をお訪ねしておりました。天に召された日も前日とそうお変わりなかったので、まだ、大丈夫であると思いながら、病床礼拝をTさんの長女、次女とご一緒に捧げ始めました。上原教会ではクリスマス祝会などで、和服をお召しになりながら、ピアノを弾いておられたTさんでしたから、讃美歌はことに親しんでおられ、伺う度に讃美歌のリクエストがあったのですが、それもお亡くなりになる1週間ほど前からは、言葉が出ないほどになっておられたので、それまでのリクエストから選ばせて頂いておりました。そのような状態の中でも、病床礼拝では時折、目を開いて下さったり、口元が動くお姿をお見受けしたのですが、2月8日は、先程のコリントの信徒への手紙を読み始めたところ、ナースステーションからお医者さんと看護師さん2人が入ってこられたのです。私は読むのを一旦中断したのですが、医師の先生は、どうぞそのままお続け下さい、と仰ったので読み続けました。5章8節のところ、すなわち「わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。」このあたりから、脈拍を伝える電信音が更に間隔があいて来るのを感じて、再度、読むのを中断しました。ところが、医師は、また、「どうぞお続けください」と言われたので読み終わり、短く祈祷を捧げ、まだ、電信音が聞こえておりましたので、讃美歌の461番「主われを愛す」を歌いました。その、3節のところへ来ましたら、心音が止まり画像の棒線もフラットになったので、再度、医師の顔を伺ったらば、うなずかれたので終わりの4節とアーメンを斉唱して終わりました。そこで医師のかたは「ご臨終です」と仰ったのです。病床訪問で昏睡状態の方をお訪ねすると、意識はないようにお見受けしても、耳だけは聞き届けておられる、と言う話しを聞いておりましたが、私も、何度か同じ体験をしていたことが、ここでまた、事実となりました。Tさんはコリント後書5章を聞いておられ、そのクライマックスである「体を住家としていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。」と言う聖書の言葉を聞きながら、そして、最後の最後「主われを愛す」の第3節:「みくにの門をひらきてわれを 招きたまえり、勇みて登らん。」を私たちと一緒に心のなかで口ずさみながら天に昇って行かれたものと私は確信しております。

 Tさんを通して、私たちは日頃、聖書や讃美歌に親しんで来たことが、人生の最後を迎えた時に、どんなに力になり、生かされるかを知ることが出来ました。とりわけ人生で一番大きな出会いや変化、回心、あるいは離別の体験があった際に、その中で聞いた聖書の言葉や讃美歌は、深く心に刻まれていて、折に触れ私たちを力付けてくれるように思います。瀬崎さんと最後に伺った、本日のコリント後書5章は、私が10歳の時に亡くした妹の葬儀の時に、赤岩 榮先生が取り上げて下さった聖句で、私には忘れられない、また、悲しみのなかで深い慰めを頂いた箇所でもあります。葬儀で歌われた讃美歌も忘れることが出来ません。最初は讃美歌257番「十字架の上に」で、終わりに歌われたのが讃美歌154番「地よ、声高く告げ知らせよ」でした。10歳の私にはいずれも難しい讃美歌でしたが、妹の葬儀で歌われたと言うことだけで、忘れられない思い出の讃美歌になりました。年を重ねるに従って、これが、どれほど素晴らしい讃美歌であるか、とりわけ、死を乗り越える信仰の歌であるか、が分るようになったと思います。中でも、初めの257番は子供にとっては難しい讃美歌でした:

  十字架の上に 屠られたまいし こよなくきよき み神の子羊
(1) わがため 悩みを忍びたまいし み恵みげにも 尊し。
(2) み救いあらずば 罪のこの身は 滅びをいかで 免れん。
(3) 乏しくかよわき われを憐れみ やすきをつねに たまえや。

 難解な讃美歌でしたので、このことを家に帰ってから母に伝えたらば、母はこう答えてくれました:「イエス様が十字架につけられて苦しまれたことを思えば、どんなに辛くて、苦しいことでも耐えられると言うことですよ。」納得するのに十分な言葉でした。妹との別れの悲しみも、イエス様の十字架を見上げれば、耐え忍ぶことができる。実際、そのようにして耐えることが出来たように思います。

大人になって、この讃美歌がどれほど深い意味をもっているかも、分ったように思います。大バッハはマタイ受難曲の第1曲目で、大人の合唱に重ねて少年合唱団が、この讃美歌を歌っているのですが、それほど、これは主のご受難を銘記する意味深い讃美歌であることが分ります。(讃美歌21―87番は歌詞も曲も改変されすぎているので残念に思います。)

 お世話になった友人や元同僚を、多く天に送ったこの半年を振り返り、自ら慰めに与る意味を含めて、会衆の皆様とご一緒に改めて、本日のテキストに注目したいと思います。

 パウロがコリントの教会に伝えたかった最も大切な福音と言われるメッセージの内容は、復活信仰であります。4章15節以下にその要約が記されています:「『わたしは信じた。それで、わたしは語った』(詩編116編10節:「わたしは信じる『激しい苦しみに襲われている』と言うときも。不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも)と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語っています。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。」(IIコリ4:13-14)

 パウロが旧約聖書詩編116編の10節を引用したのは、復活の出来事は地上に生きている限り、「信じる」と言う仕方でしか受け入れることのできない内容であることを訴えるためでした。『激しい苦しみに襲われている』と言うときも、また、不安がつのり、人は必ず欺く、と思うとき、それを乗り越える力は、「わたしは信じる」と言う仕方でしか残されていないことを銘記させ、「死を乗り越えて生きる」と復活についても、「信じる」と言う仕方でしか、私たちにはない事を銘記させるためでした。更にこれを分かり易くするために、「内なる人」と「外なる人」「見えるもの」と「見えないもの」、そして「地上の住家」と「天にある永遠の住家」、更には、「体を住家としている自分」と「霊をまとった自分」、これらの譬をもって、復活に与る者の、地上における二重の姿を説明しようとしています。これらの譬の中で、「天から与えられる住家を上に着る」と言う言葉は私には大変分かり易く聞こえます。私たちは体のうえに何枚か重ね着をしています。それは全て体が朽ちれば、同じく焼かれて消滅するものです。ただ、生きている、とはそう言うことです。けれども、「天から与えられる住家を上に着」れば、たとい燃やされて消えるものは無くなっても、霊の存在は存続します。目にみえるものによらず、信仰によって生きる」とはそう言うことです。だから、このことを受け入れ、「信ずるわたしたちは心強い」とパウロは6節8節で2回にわたり、「心強い」を繰り返しています。この「心強い」にあたる元の言葉は "tharseo-" で、「勇気が出る」とか「元気になる」と言う意味を持っています。

 親しい者を亡くしたり、自分もこの世から分かれなければならない離別の悲しみは「意気消沈」し、「力を失くす」ような状況です。臨終の時は至福の時、極まった幸せな時である、と言えるのは「外なる人」が滅んでも、「内なる人」が「天から与えられる住家」に迎え入れられることを確信しているからです。だから、「わたしたちは落胆しません。たとえ、わたしたちの「外なる人」は衰えても、「内なる人は日々新たにされていきます。」このことは、信仰生活が日々新たにされていくことをも強調しています。毎日がただの繰り返しではありません。上に天からあたえられる住家を地上に生きている時、すでに、着ている人は、迎える毎日が新しくされて行くのです。体は衰え、足腰が弱っていっても、霊の存在である「内なる人」は、来る朝毎に、感謝と喜びを新たにするのです。そして、いよいよ、臨終の時を迎える、その日、その時こそは栄光に輝く凱旋をするのです。

 私は女子大の教師であった時、チャールス・シュルツが書いた『スヌーピー』を授業でも良く取り上げました。ことにルター派の牧師であった ロバート・ショートが書いたスヌーピーの解説書:『スヌーピーたちの聖書の話し』は受講生には必読の書に挙げておりました。我が研究室にはスヌーピー神社があって、愛玩のぬいぐるみで要らなくなったスヌーピーや、その仲間のキャラクター・グッズを研究室内に設けた神社に奉納してもらった程でした。ご存知の通り、作者のシュルツは亡くなる2000年まで50年にわたり、新聞誌上に「ピーナッツ」を書き続けた人でした。売れない時代には教会に支えられ、売れるようになってからは、幾つか教会を建てて寄贈したほど、熱心なキリスト者で、物語の随所に聖書のメッセージが裏打ちされています。日本ではスヌーピーのキャラクター・グッズは世界で一番売れているそうですが、本そのものはあまり読まれていないように思います。さて、本日のテキストを思わせるスキットには何があるでしょうか。わたしは、チャーリーと妹のサリーが学校へ行くためにスクールバスを待っている時の情景を思い浮かべます。サリーが、「お兄ちゃん。天国へ行くときもスクール・バスで行くの?」、と質問します。するとチャーリーの答えは、「いーや、天国へ行くときは金の馬車が天国から迎えに来るのさ。」 答えるチャーリーの顔は喜びに輝いているのです。4コマのスキットは通常の漫画の形態ですが、終わりの二コマでは読者が想像をめぐらすことが出来るよう、会話の余韻を楽しむかのように、金の馬車がお迎えと、旅立ち、天へと引き上げられる様が描かれています。実に微笑ましい情景です。こんな話題が、一般の新聞誌上で載せられるのは、おそらく、書いているシュルツ自身も、また、読者たちも、聖書が語る、復活信仰に生かされているからではないでしょうか。私たちもそう、ありたいと思います。

 信仰は臨終の場であったり、離別の際に私たちを生かすばかりではありません。先程、パウロが「『内なる人』は日々新たにされています。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(IIコリ4:16-17)、とある通り、人生で迎える、幾たびかの艱難に際しても力を発揮します。「一時の軽い艱難」と言っているのは、いずれ訪れる、最も重い艱難である離別、体の死を意味しているかもしれません。母が「イエス様がお受けになった十字架の苦しみに比べれば、どんな苦しみも耐えられる」と言ってくれた言葉は、妹を亡くした後も、本当にその通り、どんな艱難をも乗り越える力を与えてくれたように思います。

 聖書は「どん底」にあって信仰をもち、「希望」へと道開かれた人々の歩んだ跡が数多く残されています。ことに旧約聖書に多く残されています。本日ご一緒に読みましたアブラハムによるイサク犠牲物語(創世記22章)も、逆境、信仰、希望への足跡を辿ることができるように思います。ご存知のように、アブラハムとサラには子宝に恵まれず、100歳にしてやっと与えられたのがイサクでした。それは、神によって与えられたとしか言いようのない、まさに望んでも既に年齢的には無理な状況で与えられた長子であったと言うことです。そのイサクについて神はこう言いました:「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れてモリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」この伝承は大変旧い時代のもので、人身御供の慣わしがあった時代に遡る伝承です。そして聖書の時代に、もはやそのような慣わしは不用である、と言うことをこのイサク犠牲物語は伝えている、と考えられています。この物語がそれ以降にまで残されているのは、人身御供の問題を超えて、アブラハムとイサクが神に向かう真剣な姿勢を後の時代の人々は学びとっていたからであると思います。ヘブライ人の手紙11章17節はこのエピソードを「信仰の模範」として捉えています:「信仰によって、アブラハムは試練をうけたとき、イサクを捧げました。つまり、約束をうけていた者が、独り子を捧げようとしたのです。・・・アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。」父のアブラハムも、また、息子のイサクも神への全き信頼がなければ、あの状況を耐え忍ぶことは出来なったでありましょう。神は最も良い道へ父と子を導いて下さることを信じていたからです。

 デンマークの思想家・ゼーレン・キルケゴール(1813〜55)はこの「イサク犠牲物語」を自分と父親との問題を、親子という血の繋がりを乗り越えて、一人の人間となるための苦悩と信仰の戦いとして捉えて、『おそれとおののき』という書物を1841年に著わしています。アブラハムが最愛の息子を神に捧げる、その行いは倫理や道徳では全く理解できないことである。個別の家を捨て、普遍的人間に向かって捧げる思いは、父親の押し付けでもなく、息子の被害者意識でもなく、これがなされるのは、ただ両者が信仰によって捧げ、捧げられる場合のみである。肉による衣を脱ぎ捨て、神の恵みを上に着て生きるとき、困難は必ず乗り越えることが出来ると言うことです。恵みを上に着て生きるとは、当初・望んでいたことが、その通りに実現するかしないかを乗り越えて、どのような結果をも、神から頂いたもの、と心得て受け入れる準備ができていることを意味しています。

 イエス・キリストがゲッセマネの園でなされた祈りは、信仰の模範でもありました:「アッバ・父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取り除けて下さい。しかしわたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14章36節)。

 ゲッセマネの祈りをもって私たちも、臨終の時を乗り越えて至福に与ることがでみるよう、共に祈りをあわせましょう。

祈祷:

すべてのものの出ると入るとを統べ収めておられる主イエス・キリストの父なる神様
あなたから頂いた今日一日の命を精一杯、生かして御業に励むことを得させてください。どうか、信仰によって心強い歩みができますように、そして、終わりの時にも、あなたを讃えつつ、信仰から信仰へと導いて下さい。
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