2013.7.14

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「言が生かす」

関田 寛雄

イザヤ書55,8-11 ; マタイによる福音書8,5-13

 今日も三つのことを学びたいと思います。イエスさまが「神の国の福音」について決定的なことを教えてくださった「山上の説教」(マタイ5章〜7章)が終わり、続いてイエスさまの行動が始まる。それが今日の箇所です。イエスさまの教えと行動が直結している。それについてまず学びたいと思います。

I

 イエスさまは神の福音の教えについてお語りくださいました(マタイ5章〜7章)。しかし語られた後、イエスさまは語ったことを自ら生きられる。語ったことに基づいて、ささやかだけれども事実をつくっていかれるのです。神の国の福音は何をもたらすかということについて、逐一、事実を残されるという、イエスさまの行動。これが第一の点です。

 しかもその行動の内容を見てまいりますと、「重い皮膚病の方をいやす」ということが出てきます(8章1節)。重い皮膚病、レプロスと言われている、昔は大変怖れられた病で、汚れた病気として、律法によって接触を禁じられていました。それに対してイエスさまは、切なるレプロスの求めに応じて、言葉の前に手を触れておいでになります。接触が禁じられているこの病に対して、イエスさまは躊躇なく手を触れ「よろしい、清くなれ」と語るのです。

 「よろしい」という訳はニュアンスが弱い。元の言葉では「私の意志である(私の決断である)、清くなれ」です。天地をお創りになった神さまが語るような言葉です。神の意志として「清くなれ」。社会において全く無視され、疎外され、差別されているレプロスの人に、まずいやしを与える。接触とともに「それが私の意志である」と言葉をかけている。

 

II

 第二の点が、今日の聖書のところです。それは異邦人であるローマの百人隊長の(しもべ)が、重い病で大変苦しんでいる。この百人隊長がどんなにか自分のこの僕を大事にし、愛しているかと言うことがわかります。この「しもべ」ということばが、ある英語の翻訳では、「child」と訳されているくらいに、この若者を愛している。そのような異邦人の百人隊長の切なる願いを受けとめて、イエスさまがなんとおっしゃったか。「わたしが行っていやしてあげよう」(7節

 「私が行って」という、ここにイエスさまご自身の決断がある。先程のレプロスの場合と同じように、イエスさまは「私が行って」とおっしゃいます。この「私」という言葉がとても強調されているのです。「私自身が行って」−ここにイエスさまの、異邦人である百人隊長の切なる願いに対する応答がある。これが第二の点です。ご存じのようにユダヤ社会においては、異邦人は差別を受け、蔑まれていた人々であります。ユダヤの国を占領してはいるものの、民族意識の強いユダヤ人にとりましてはいつも侮蔑の対象であった異邦人。社会的に周辺化されているこの異邦人の窮境に対して、イエスさまは応えておいでになる。

 ところが「私が行って」というこの恵み深いイエスさまの決断に対して、百人隊長は「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」(8節)と言います。そこには百人隊長の、イエスさまに対する配慮があります。イエスさまがもし異邦人であるローマの兵隊の家に入り込むということになれば、ユダヤ教社会のなかで大変な批判を浴びる。袋だたきになる。そのことも慮った、まことに謙遜な百人隊長の言葉であります。

 「ただ、ひと言おっしゃってください」(8節)という言葉には、「(ことば)」対する期待、信頼があるということに気づきます。これが第三の点です。

 

III

 イエスさまが地上の生活を既に終えられている、私どもの今日の信仰において、何が大事かと言えば、言葉です。歴史のイエスについて学ぶことはもちろん大切です。単なるキリスト教のドグマ(教義)で終わるのではなくて、生き生きと歴史を生きられたイエスさまのお姿、特に貧しき者、病める者、痛む者、いと小さき者について、手をさしのべて下さるイエスさまのお姿を学ぶことは大事でありますけれども、具体的にイエスさまと接触することのできない私たちは、言葉においてイエスさまに出会うわけであります。その言葉に力があり、命があり、信ずる者に対する深い憐れみの事実を生み出すのです。

 言葉というものがどんなに大きな役割をするか。良寛さん(が座右の銘としていた道元禅師)の言葉で「愛語よく回天の力あり」。愛してやまない言葉、それには回天、天をめぐらす力があると言うのです。これはまた、愛をもって語る言葉には回天の力がある。そう受け取ることもできると思います。さらに良寛さんは、すべて「言葉は惜しみ惜しみいふべし」とも言っています。

 ここには本当に言葉にこだわり続けた良寛さんらしい思いがあふれております。今日の情報社会の中でまことに無意味な、むしろ猥雑な言葉が支配しているこの時にあって、すべて言葉は惜しみ惜しみ言うべし、という良寛さんの言葉に対する深いこだわりが求められているのかもしれません。

 同様に私たちは、聖書の言葉に、本当にこだわり続けるということの大切さを思います。言葉にこだわったイエスさまだからこそ、事実をつくることができたのです。言葉と行為の不可分の関係。このことについて今日は特別に、申し上げたいことがございます。

 

IV

 NHKのラジオ番組に、「きょうは何の日?」というコーナーがありますね。折々それを聴くわけですが、皆さま今日は何の日でしょうか? 44年前に日本基督教団総会議長の鈴木正久先生がお亡くなりになりましたのが今日です。鈴木正久先生と私とは、川崎桜本の開拓伝道の当初からつながりがありました。日本鋼管の職場聖書研究会に毎月2回ずつ行っておられた鈴木先生の聖書講義に、開拓伝道を始めたばかりの私は何もわからないままに、ただ一番近い、日本鋼管の職場の中で、鈴木先生の聖書の講解を聞き続けたものでした。

 ご存じのように現在の桜本教会は、浅野順一牧師と鈴木正久牧師との談合の中で始められ、神学校を卒業したばかりの私が遣わされたというのが、その伝道の始まりでした。その鈴木先生が、現職議長のまま天に召される直前に、二つの言葉を遺していらっしゃいます。一つはご自分がガンで召されるということについて、家族の方々への深い思いの遺言です。もう一つの言葉は、鈴木先生が存在を賭けて遺された戦争責任告白について、ご自分の使命、なぜこの戦責告白を公にしたか、それを巡っての自分の思いはどうであるか、ということについて、病床で最期のお言葉を遺しておられます。

 戦争責任告白という「言葉」は出された。それにもとづいて二つの事実が残された。広島の原子爆弾による犠牲の故に、独り残されたお年寄りのため、清鈴園という老人ホームを造る。これが一つ。もう一つは沖縄基督教団との合同を果たすという事実。戦争責任告白という「言葉」に基づいて、この二つの「事実」を残した。その後、自分がもう召されるという時を迎えている、このとき、ヘブライ人の手紙の中に「すべて罪は血によってあがなわれる」という言葉を想う。

「こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです(ヘブライ 9章22節)。

 自分としては日本基督教団の戦争協力の罪の告白、悔い改めの言葉を残した。しかし今自分がこの死を迎えようとする時にあたって「すべての罪は血によってあがなわれる」というみ言葉に則して教団の罪がどのようにあがなわれるのか。もちろんイエスキリストにおいて、根底的な贖いはすでになされているわけですけれども、具体的には現教団議長の私の存在が求められている、そのように受け止めたい。そういう言葉を残されて、終わりを迎えられました。

 言葉とともに事実を残す。今日の説教の題に、「(ことば)が生かす」とありますけれども、言の "葉っぱ" の方は省いてあります。 "葉" 付きの「言葉」が、聖霊の働きによって "葉" 抜きの、命の、力の、なぐさめの、希望の(ことば)になる。それがイエスキリストの事実そのものである。

 「言は肉体となって、わたしたちの間に宿られた。我々はその栄光を見た、恵みと真理とに満ちていた」というあの聖書の言が、まさに言と事実との結合を表わしている。そのように、鈴木正久牧師は日本基督教団にとって本当に大切な、忘れてはならない戦争責任告白の言をのこされた。このことによってこそ戦後教団が生きるとすれば、これを拠点として始めなければならなかったはずです。

 戦争責任告白の中にこそ、本当の教団の一致が据えられている。そこにこそ、アジア太平洋地域に対する天皇の軍隊の様々な罪、それに無批判に協力していった日本の教会の罪、それを悔い改めることなくして、戦後の教会の歩みは始められるはずがない。そのことを深く思いつつ、鈴木正久先生は、ご自分の最期を締めくくっておいでになります。

 私はいろいろな神学校で「説教学」という科目を担当いたしましたが、それぞれの学年の最後に必ず、戦争責任告白について鈴木先生が嗚咽されながら遺して行かれたこの貴重な言葉を、説教学の最後のまとめとして神学生に聞いてもらってきました。

 私どもは、このような先輩を教会の中に持っているということを、本当に誇りとすると同時に、志を受け止めながら、日本基督教団が本当に「キリストの教会」としてふさわしい教会になっていくように、祈り、努力し、働きたいと思います。

 

V

 最後に、この百人隊長が「お言葉を下さい」と言うとイエス様が「これを聞いて感心し」(8章10節)と書いてありますけれども、「感心」するという程度のことではありません。元の言葉では「驚いて」いらっしゃる。言に対するこのような厚い信頼をユダヤ教の中に、自分たちの周囲で見たことがない。やがてアブラハム、イサク、ヤコブと共に、東から西から多くの、ユダヤ人以外の様々な民族が集まってきて、天の国で食宴を持つ。しかし民族の独善的な差別行為の中で、神の福音の制限をして、組織や規則のなかで神の恵みを縛るような、そういう「御国の子ら」は逆に、神の恵みから外れてしまうだろう。

 そのようにしてイエス様は最後に百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」(13節)英語の訳では、「let it be」となっています。百人隊長は異邦人でしたけれども、イエス様の恵みの言葉の仲介者に立てられているのです。自分の僕がいやされるためのみ言葉の仲介者として、百人隊長はイエス様から選ばれ、その通りになりなさい、信じたとおりになりなさいと遣わされているのです。

 このみ言葉の仲介者には、誰もがそのように召されているのではないでしょうか。牧師だけではありません。(およ)そイエスキリストを信じ、告白し、バプテスマの恵みを受けた者は、必ず自分の聖句を持っているのではないでしょうか。「生きるにしても、死ぬにしても、このみ言葉と共にある」というようなみ言葉との出会い。それを皆さまお一人おひとりお持ちでしょう。その原点に戻ることによって、もう一度新しくイエスキリストへの服従の人生を歩み始めたいと思います。

 私自身そのような、存在をゆさぶられるようなみ言葉との出会いに、いくつも出会ってまいりました。文学の中に、映画の中に、もちろん尊敬する、ある人からの言葉から、そういう言葉が与えられてまいりました。その言葉が人を生かすのであります。

 目に見えないイエス様の言葉が、あるとき、ある状況の中で、命の言となって私どもに迫り、私どもを新しくする。その言は本当に尊い、貴重な、恵みの言であると思います。

 私は開拓伝道である在日韓国人の方と巡り会いました。 その方は戸手教会のメンバーになった方ですけれども、巨済島(コジェド)から強制連行されてきて、日本に来て敗戦を迎え、敗戦の後は人づてに博多から川崎までやってきて、日本人が捨ててゆく古タイヤを回収し、ゴム再生工場に持っていくという仕事をしていた金万守(キム・マンス)という老人です。その方の家を買い取って現在の川崎戸出教会の会堂にしたことがきっかけで親しくなりまして、教会の礼拝に休まず出席されるようになります。ご夫人が在日大韓基督教会川崎教会のメンバーでありましたので、私は「アボジが毎週休まないで来てくれるけれども、私の話はわかってくれているんでしょうか」と聞きましたら、「いえ。先生のお話はちんぷんかんぷんだと言っていますよ」「そりゃあ困ったなぁ」。

 この小学校も出ていない、ハングル文字さえ十分にこなせない韓国人のご老人に対して、届く言葉はどうしたらいいだろうかと考えました。そういう時に役に立ちましたのが「男はつらいよ」の映画の中のさまざまな言葉でございます。フーテンの寅さんの言葉を用いながら、イエスキリストの恵みの言葉にそれを照らし合わせながら語っていくうちに、やがてすこしずつ私の話がわかるようになったらしい。ご夫人にしばらくしてから聞きましたら「このところは先生の話がよくわかる」と。「今度は関田牧師はどういうネタを使うかなぁ、と楽しみにして通っています」「はぁそうですか、ネタをつかわないかんですねぇ」そんなことを話しました。

 

 彼が病気になりまして肝臓ガンで入院いたしました。お見舞いのときはいつも彼の手を両手ではさんで、祈って別れるようにしていたのですけれども、ある日出会うやいなや、「先生、お祈りをお願いします」と言って両手を差し出すのです。

 それで最初にお祈りをしました。終わりますと「カムサハムニダ(ありがとうございました)。これが一番効くんですわ。」「効くっていったい何が?」と言いましたら「こうやって先生に祈ってもらったら、熱が下がるんですわ」と言うんですね。

 私は自分にいやしの賜物があるなんて思っておりませんので意外でしたけれども、そういう病院生活を送り、やがて退院する前に、「先生、俺は学がないから皆さんのように教会に入ることはできないかもしれないけれども、やっぱり洗礼を受けたい、学がなくても洗礼を受けられるだろうか」と。「いや洗礼というのは学なんか関係ありませんよ。これまでの間違ったこと、申し訳なかったことをイエス様にお詫びして、償ってもらって、神さまを愛しなさい、隣人を愛しなさい、その戒めをこころから願う。努力する。そういう気持ちさえ生まれれば、誰だって洗礼を受けられますよ」「そうですか。じゃワシも洗礼を受けたいからよろしゅうお願いします」というわけで、受洗の決意を示されたのです。

 私としては、受洗の準備として日本基督教団信仰告白を、小学校も出ていない巨済島出身のこのご老人に十五回にわたって講義する、それが必要だとはどうしても思えない。でも、キム・マンスというこのおじいちゃんが、自分の言葉でどんな風にキリストの福音を受け止めているのだろうか。そのことを知りたかった。

 

 そんなある日、ご夫人がやってまいりまして、アボジは今まで、私にも絶対に金庫の番号は言わなかったのですけれども、入院したものですから、書類が要るからと金庫の番号を教えてくれた。開けてみたらこんな物が入っていた。それはガンの鎮痛剤のお薬の箱の切れ端で、裏に青いボールペンで、カタカナだけで言葉が書かれていた。

マイナスナ コトコソ イキルバネ

 使徒パウロの肉体のとげについて説教した時(コリント二 12章)、自分の弱さのなかにこそ、キリストの憐れみが現れてくる。自分の病、それがあるからこそキリストの憐れみがふかく味わわれる。だから自分の弱さを誇りとしようというパウロの言葉を語ったことがあります。その言葉をこのキム・マンスさんは、自分のための言葉と受け取ったのです。そのときにたまたまポケットに入っていた鎮痛剤の箱の裏にボールペンで、カタカナだけで綴った文章。私はそれを見た時に、これこそキム・マンスという強制連行されてきた朝鮮人老人の信仰告白だと思いました。 すぐ役員会に諮りまして、皆さん一致して、これを基本にバプテスマを受けていただきましょう。と言うことになったのです。

マイナスナ コトコソ イキルバネ

 十字架という大きなマイナスを、自分なりに引き受けて生きる時にこそ、大いなる否定を突き抜ける神の肯定がある。それこそがキリスト信徒の生きざまだいうことを示されているのです。

 このすばらしい信仰告白と共に、キム・マンスさんはバプテスマを受けました。言が生かすのであります。言が、いかなる絶望も、いかなる大いなる否定も突き抜けて神の肯定にわたしたちを生かす。それが神の言であります。それはお一人おひとりに迫っている。すでに与えられている。その言を本当に大切にし、そのことのゆえに何ものも恐れることなく、自由に語り、かつ行動する一日一日を生きてまいりたいと思います。

 

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