2013.1.13

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「アブラハムの子たち」

廣石 望

創世記17,1-8 ; ルカによる福音書3,1-14

I

 キリスト教は、もともと国や文化、民族を超える価値を提唱する宗教です。

 しかし私たちの暮らす東アジアでは近年、国と国、文化と文化、また民族と民族の間の緊張が高まりつつあります。キリスト教会の真価が問われています。

 私たちの時代に、キリスト教の立場からの普遍主義は可能でしょうか?

 

II

 今日の聖書箇所で、福音書記者ルカは、古代ギリシアの歴史文学に倣った仕方で、洗礼者ヨハネが登場した時期の政治状況について、次のように記しています。

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデ〔・アンティパス〕がガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき… (1-2節前半参照)

 ここから、洗礼者ヨハネの登場がAD27/28年ころであったらしいことが分かります。

 興味深いのは、ローマ皇帝とユダヤ総督、ユダヤのヘロデ王家の支配者たち(リサニアは詳細不明)、そしてユダヤの大祭司たち、という合計三つの勢力が名指されていることです。じっさいこの三者が当時、政治的に重要なアクターたちでした。

 簡単に言えば、ローマ帝国はユダヤ人の政治権力をヘロデ王家と神殿貴族の二つに分割し、両方を巧みに操作することで統治しようとしました。しかし最終的にはどちら側にも安定した権力基盤を与えず、これが恒常的な政治危機を招きました。その結果、民衆の間から、過激な神権政治への夢――メシア期待がその代表です――が絶え間なく吹き出してしまいます。緊張状態はしだいに制御不能になり、イエスの死後30数年して、ついに第一次ユダヤ戦争(AD66-70年)に至りました。王家も神殿体制も崩壊しました。

 現在「正典」に収められた四つの福音書は、すべてこの破局の経験を踏まえて書かれています。

 

III

 三つ巴の権力関係について、もう少し説明します。

 第一に「総督」について。総督はユダヤ・サマリアを統治していましたが、ヘロデ王家から絶えず嫌がらせを受けました。また総督は、上司としてシリアに駐在する「司令官」から監視されていたのです。

 例えば総督ピラトが、皇帝の名が刻まれた盾をエルサレムの自宅の壁にかけようとしたとき、偶像禁止令に違反するということで住民が騒ぎました。その抗議運動の先頭に立ったのがヘロデ王家でした。またピラトは、サマリア人の集団を武力で鎮圧したさいに、訴えられてシリア司令官から更迭されました。

 あるいはヨハネ福音書で、イエスを無罪放免しようとするピラトを、エルサレムの神殿勢力――ユダヤ人です――が脅迫する場面があります。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない」(ヨハネ19,12)。じっさいクマーヌスという総督は、ユダヤ人の嘆願を受けたローマ皇帝によって罷免されました。あるいは、また別の総督フェリックスは大祭司ヨナタンから政策を批判され、最終的にヨナタンを暗殺しています。

 要するに総督は権力者でしたが、中間管理職のようなものです。在任中は、ひたすら個人的な蓄財に励んだようです。エジプト・アレクサンドリア在住のユダヤ人集団の指導者フィロンが、ピラトについて、「収賄、蛮行、略奪、虐待、侮辱、裁判なしの処刑の連続、前代未聞の耐え難い残忍さ」という酷評を残しています。ピラトだけが特別に悪辣だったわけではないでしょう。でも、おそらく当たっていると思います。

 

 第二に、ヘロデ王家について。この王家の統治権力はローマ元老院の承認によるもので、大王と呼ばれたヘロデ――ヘロデ・アンティパスとフィリッポスの父――はユダヤ人ですらなく、イドゥメア人でした。つまり民衆から承認された「民族の王」ではありません。

 大王ヘロデは、それ以前の王家であるハスモン家――彼ら自身が200年前に武力によって王権を簒奪したのですが――と婚姻関係を結ぶことで、この欠点を補おうとしました。しかし同時に、妻の家系を恐れなければならなかった。最終的には、妻と子どもたちを暗殺しています。

 ヘロデはひっきりなしに大祭司の首をすげ替えることで、祭司貴族に対抗しました。ディアスポラのユダヤ人から大祭司を登用したこともあります。まるで京都の天皇をハワイからリクルートするみたい。エルサレム在住の貴族階級に対しては、テロと財産没収を繰り返しました。果たせるかな、王の死にさいしてユダヤ人貴族はローマに使節団を派遣し、君主制を廃止してシリア属州にユダヤを組み入れてもらえるよう皇帝に嘆願しています。

 さらにヘロデ家には、ユダヤ系住民と異邦人住民が混在する地域の統治がローマ帝国から委ねられていました。王家の者たちはユダヤ人にはユダヤ人のように、異教徒には異教徒のようにふるまいましたが、結局うまくゆきませんでした。住民間の文化的な異質さが大きすぎたのです。

 

 そして最後に、大祭司について。この身分は伝統的には終身職で、なおかつ世襲制です。しかし申し上げたように、王ヘロデは恣意的に大祭司の首をすげ替えました。大祭司アリストブーロスを殺害したときは、王の執行権に属するとしてローマ側はこれを黙認しました。大祭司の権威は失墜しました。

 それでもユダヤ人は宗教の民。その頂点に立つ大祭司の権威には大きいものがあります。彼は祭司長・長老・律法学者たちから成る最高法院――民族の自治組織として議会に当たります――を率いました。しかし内部に緊張を抱えていた。祭司長・長老は貴族階級であるサドカイ派でした。イエスを殺したのも彼らです。他方で律法学者は民衆を基盤とするファリサイ派で、彼らの権力の源は「モーセ律法」、つまり宗教でした。

 大祭司を中心とする神殿勢力は、こうしてヘロデ王家とローマ帝国、さらには一般民衆と緊張関係にありました。いつものようにローマ帝国は、富裕層であるエリート階級を支援することで支配を安定化しようとしましたが、宗教を重んじるユダヤ民族における民衆の力を過小評価しました。

 

 さて、現在の私たちの政治状況と比較して、どうでしょうか?――政権はひっきりなしに交代しますが、暗殺が繰り返されないだけ、まだましなのか。それとも潜在的には似たようなものなのでしょうか。

 

IV

 以上のような政治状況の中で、洗礼者ヨハネは登場します。そのさい彼ないし彼の信奉者たちは、第二イザヤの預言にもとづいて自らの使命を自覚した可能性があります。

荒れ野で叫ぶ者の声がする。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(4節に引かれたイザヤ40,3

 預言書にいう「主」とは神のことです。神が到来するので、その準備をせよ!――じっさいヨハネは、最後の審判の到来を告げました。これは当時の政治および宗教状況への不信と絶望を背景にするとき、よく理解できます。神による秩序の回復、つまりラディカルな神権政治への憧れの表現です。

 この引用はイザヤ書本体の文章と微妙に違います。もとのイザヤ書の文言は以下のようです。

呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を整え
私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

 ルカ福音書では、「荒れ野に」の部分が、動詞表現「主の道を整えよ」から外れて、名詞表現「呼びかける声」にかけ変えられていますね。これは洗礼者の活動が「荒れ野」という、イスラエルのリニューアルを――第二イザヤの文脈は、民族の捕囚状態からの回復です――象徴する場所と分ちがたく結びついていたからでしょう。

 もうひとつ。ルカの文章では、イザヤ書の第3行「私たちの神のために、荒れ地に」が省略されて、並行語法が解消されています。「私たちの神」を略したのは、もしかしたら2行目の「主」を「神」ではなく、「主イエス・キリスト」の意味に受けとろうとした原始キリスト教であったかもしれません。

 さらにルカ福音書は、例えばマルコ福音書とは異なり、イザヤ書の引用をさらに続けます。

谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。(5-6節に引かれたイザヤ40,4-5

 おそらく最終行が強調点です。「人は皆」(原文「すべての肉は」)とは、洗礼者ヨハネとその弟子たちの視点から見れば、分裂したイスラエル民族のことでしょう。しかしルカ福音書とその読者にとって、「すべての肉」とは全人類を意味します。

 

V

 続いて、「〈我々の父はアブラハムだ〉などという考えを起こすな」という警告を含む、洗礼者の説教が引用されます(7-9節)。

 以前に関田寛雄牧師が、洗礼者ヨハネは、救いを民族の血統にもとづく所有物と見なすことを批判しているのだと説教されました。そのとおりです。

 アブラハムへの約束は、元来は普遍主義的なものです。彼は「諸国民の父」になるというのですから(創世記17,6)。これは、彼が他の諸民族にとって祝福の基礎であるという意味です。イスラエル民族は、他の民族のための民なのです。じっさいのユダヤ民族の血統主義は――例えばヘロデ王家に対する民衆の蔑視など――、本来の意味を著しく狭めたものであることに気づきます。

 さらにアブラハム契約は、その後に生じたシナイ契約(出エジプト記19章以下)よりも、イスラエル宗教史の中ではるかに重視されてきました。民族はシナイ山で与えられた「律法」に繰り返し背き、その罰として王国の滅亡などを経験します。しかし、それでも神はこの民に忠実であり続ける、その根拠がアブラハム契約でした。

 この民族の自己理解の根拠を、洗礼者ヨハネは突き崩します。それは神の救いを「自らの所有物」と見なすことへの批判であると同時に、先立つ神の選びというイスラエル宗教の根幹に対する否定です。なんというラディカルな批判! ヨハネは、混乱する政治・宗教状況に心底絶望していたのでしょう。そのとき救いは、神の新しいアクションからのみ生じます。

言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。(8節後半

 ヨハネの洗礼は、「火」による最後の審判に直面して、「水」に沈んで象徴的に死ぬことで、生まれ変わって「火」の審判を生き延びるための儀礼でした。そしてこのメッセージに反応したのは、聖なる神殿に詣でて「浄罪の犠牲」を献じることすらできないほどの「穢れた」下層民が中心だったと思います。その洗礼をイエスが受けたのは、自らの罪の自覚と並んで、滅びの不安に怯える下層民への連帯があったように感じます。

 洗礼者ヨハネにとって、「石ころ」とは〈イスラエルの失われた羊たち〉です。しかし異邦人伝道を行っているルカ福音書の教会という文脈では、「アブラハムの子ら」とは「諸国民」すなわち異邦人を含むでしょう。

 先に見た「すべての肉は神の救いを見る」というイザヤ書の引用と同様、せまい意味の民族主義は、ここでも再びより普遍主義的な理念に転じています。

 

VI

 救いは、あるひとつの民族のためだけのものではありえません。周囲の諸民族を敵視ないし蔑視することで自分たちが救われる、と考えるのは幻想なのです。

 ヨハネから洗礼を受けた人々は、「では、私たちはどうすればよいのですか?」と尋ねます。彼が与えるアドヴァイスは非常に具体的です。すなわち〈着物と食べ物を、こと欠いている人々に分けよ〉、〈定められた以上に税金を取り立てるな〉、そして〈ゆすりや脅しをするな〉。

 他方、私たちの社会には、次のように考える人々がいます。〈貧しい人たちは怠け者だ。彼らを甘やかしてはいけない。貧困は自己責任だ〉、〈政治家と官僚には献金と賄賂を与えて、私たち富裕者に有利な政策を決定させよう。自由市場こそが私たちの富の源泉だ〉、あるいは〈軍隊が多少の乱暴狼藉を働くことは、国益という名の平和のための必要悪だ〉。――こうした理解が浸透すれば、私たちの社会はやがて、イエス時代のユダヤ社会のように、完全な分裂と衝突に至るのではないかと心配です。

 あるいはヨハネの教えはあまりに断片的で、社会改革のプログラムがもっと必要だという意見もあるでしょう。例えば〈貧しい人に個人が支援してもキリがない。政府や自治体が対応すべきだ〉、〈税収と民間の財の両方を活用して新しい産業を興し、経済を活性化しよう〉、〈脅迫や詐欺はよくないが、自分の給料は不当に低いと思う〉など。

 これに対して、ルカ福音書は次のように言うのではないでしょうか?――洗礼者ヨハネは「主イエス」の道を準備した。彼が言った通り、人類全体はイエスに「神の救い」を見るだろう。イエスは「石ころ」のような私たちから、「アブラハムの子たち」を起こし、日々の生きる姿勢を変えたではないか!

 ――政治も宗教も、この神の意志に対応するものであるべきです。どんなに状況が悪くても、私たちは絶望してはいけません。悔い改めにもとづく、日々の小さな愛と正義の行為を、神は必ず祝福してくださると信じます。

 

 
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