2012.9.30

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「良心の声・神の声」

陶山 義雄

出エジプト記3,1-15 ; ガラテヤの信徒への手紙1,11-24

 聖書には「神の呼び名」について、幾つか異なった呼び名が記されていることを前回、共に見て参りました。前回は、エル、エロヒーム、これは「威力」と言う意味から来ており、圧倒的な力にねじ伏せられて、手も足も出ないところで出会う絶対者、人の死を司り、命を与える創造主もこの言葉をもって呼ばれています。この呼び名から派生した言葉に「エル・シャダイ」(訳せば「全能の神」)があります。また、アブラハムの神(エル)、イサクの神(エル)、ヤコブの神(エル)など族長の神もエル・エロヒームの系譜に属する神の呼び名です。私たちは日本語の聖書、つまり、旧約聖書の場合、ヘブライ語から翻訳された聖書に親しんでおりますので、「神」を表す、こうした、原語の言葉に出会うことはありません。創世記1章1節には「初めに、神は天地を創造された」とあります。ここで用いられている「神」を表す言葉は「エロヒーム」でした。

 このエル・エロヒームと並んで、旧約聖書では神についてもう1つ、ヤハヴェという呼び名があります。この「ヤハヴェ」と言う神の呼び名はどこから来たのでしょうか。それが、出エジプト記3章で先ほどお読みした所に繋がります。出エジプト記は、ヨセフの偉業を知らない新しい王がエジプトに生まれ、飢饉を逃れるために寄留をしていたヤコブの一族であるユダヤ人は、新しい王が建てようとしていたラメセスの都市建設に駆り出され、奴隷として酷使されるようになった様子が出エジプト記の初めに記されています。「ヨセフの偉業を知らない新しい王」とは、一体誰のことでしょうか。エジプトの古代史で新王国の第18王朝と第19王朝の間には大きな政変があったので、これと重ね合わせると良く分ると思います。第18王朝の第四番目の王・アメンホテープ4世は宗教改革を行い、1神教を信奉し、自らを太陽神ラーの使者として人間宣言を行い、そのために、都をナイル川の中流・アマルナに移して、旧い慣習や豪族・祭司や神殿との馴れ合いを廃した、斬新的な王、それがアメノフイスIV世(〜1358 BC)でした。この王とヨセフ時代とを重ね合わせることができるかも知れません。ヨセフが穀物相に抜擢されたのは、ヨセフの一族が元々、メソポタミアからカナン(パレスチナ)に移住し、遊牧生活をしていても、元来は農耕文化に親しんでいたので、エジプトに穀物貯蔵法を教え、その功績でアメノフィスIV世から穀物相に抜擢されたことは十分にありうる所です。その息子が有名なツタンカーメン(〜前1349)でしたが若くして世を去り、20世紀に至るまでエジプトの歴史から抹殺されていた第18王朝最後の王がこのツタンカーメンであると想定されています。

 そして、ヨセフの偉業を知らない新しい王とは、恐らく、第19王朝(前1345〜)で、ことにセツI世に続く、ラメセスII世(前1288〜ca1230)の圧政がユダヤ人を苦しめ、ピトムとラメセスの町を建設するに際して、ヨセフの時代から既に100年経っていますから、ヨセフの偉業を知らず、ユダヤ人を奴隷として酷使したことも十分にあり得る話です。当然、奴隷解放運動が起こります。そしてこれを弾圧するのも、為政者としては有り得た所です。聖書の記述によれば、出エジプト記1章22節で、ついに「ファラオは全国民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川に放り込め。女の子は生かしておけ』」とその圧政ブリが記されています。この命令と弾圧をくぐり抜けて、パピルスの籠に乗せてナイル川に捨てられた男の子が、王家の子女、それは何千といるソバメの一人がモーセを自分の子として匿います。このモーセは長じて奴隷に見方して、その監督官を殺害した廉で国王に追われる身となり、エジプトを逃れて、シナイ半島を放浪する中で、ミデアン族に匿われ、その酋長の娘まで当てがわれて平和な家庭生活に入ります。さっと、出エジプト記の1章から2章を概観させて頂きました。

 ここで、本日のテキストに入ります。モーセが羊の群れを追いながら、シナイの山に入ったところで、神との出会いが起こります。「燃えている柴が燃え尽きない」とは、恐らく、目に見える世界の出来事であるよりは、モーセの心の中で起きた出来事、内的分裂の世界がモーセに起こります。羊飼いであるモーセとそれを見ている、もう一人の人格、自分の中に入り込んできた他者の人格が、羊飼いであるモーセに対して、エジプトに帰り、奴隷解放の指導者になるように呼びかけています。それが本日のテキスト、出エジプト記3章9節-10節に記されています:「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

 奴隷解放の指導者として神がモーセを選んだにもかかわらず、羊飼いであるモーセは、そのような大役には全く不向きである自分の力を、呼びかける声の主に伝えています。それが11節です:「モーセは神に言った。『わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」呼びかけたもう一人の人格である神はこう答えます。:「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わす徴である。」(12節)モーセは更にもう一つの徴を求めます。それが、自分に呼びかけてくる相手の名前を確かめることでした。名前こそは確かな位格(人格)であるからです。相手からの答えは14節にあるのですが、ここには、以前に知られていた神の名称に変わる新しい神の名称が証しされています。今まで使われていた神の名称はエロヒームでした。これは7月15日にお話した創造者、万物の支配者として「威力」を表す神の呼び名でした。しかし、この14節に登場する神の呼び名は、モーセにとっては新しい呼び名でした。神の呼び名を巡って、15節は少し複雑です。この箇所を神の呼び名について原語(ヘブライ語)に置き換えて読みますと、このようになります:

「エロヒームは、更に続けてモーセに命じられた。『イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖のエル、アブラハムのエル、イサクのエル、ヤコブのエルであるヤハヴェがモーセをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名、これこそ世々にわたしの呼び名』」

 ここでは創造神に加えて、新しい性格をおびた神の性質と内容が、モーセを通して開示されました。それは、やがて、イザヤやエレミヤなどの預言者に受け継がれ、聖書の人々に親しまれる神への新しい呼び名でした。モーセに帰って、神が自分に与えた、ヤハヴェと言う不思議な名前の意味は一体何を表しているのでしょうか。今までエル、エロヒームと言う呼び名、「威力」と言う意味をもった神に代る新しい呼び名とは何を表しているのでしょうか。ヘブライ語の14節本文には「エイエー アッシェール エイエー(EHEYEH asher EHEYEH)」とあり、口語訳聖書では「わたしはあってあるもの」と訳されておりました。新共同訳聖書では「わたしはある、わたしはあるという者だ」とあります。「エイエー」は「在る」というヘブライ語動詞の第一人称半過去形の不定詞で、これまた、私たちには複雑な言葉に聞こえます。ヘブライ語には現在形はありません。ただ2つの基本的な時制(テンス)があるでけです。過去とまだ、進行中の半過去があるだけです。そこで、「エイエー」とは、正確に訳せば、「今在ろうとしているもの」と言う意味になります。モーセに語りかける神は「お前が私の声を聞き入れて、奴隷解放の指導者として動き出せば、存在するものになる。ただ、今は、声としてお前に呼びかけているのである。私が共にいるのだから、この呼びかけに応えて新しい歴史の創造に一緒に参加して欲しい。その所で私は『ある者』になる、」と言うのです。「あってあるもの」ヤハヴェとは、このような意味をもっています。14節に書かれているこの「エイエー」は長い間、ヘブライ語のアルファベットの四文字、英語で申せば YHWH だけで書かれておりました。それも子音の四文字だけで、これに母音が付けられていなかったのです。何しろ、この四文字は、神を表す神聖な呼び名なので、声を挙げて唱えてはならなかった為に、時代が経つうちに人々から、この読み方が忘れられてしまったのです。聖書の民であるイスラエルの人々は、この母音のないYHWHのところに来ると、声を出したり、読んではいけなかったので、便宜上、この四文字の所では「アドナイ」と当て字で読んでおりました。「アドナイ」とは「主人」、もしくは、「主」という意味の言葉です。こうして400年以上もそのように読まれて来たために、この四文字のYHWHについて、その読み方を忘れてしまいました。そして、紀元前3世紀になり、ヘブライ語を理解できなくなったユダヤ人が地中海沿岸に増えてきたために、ヘブライ語の旧約聖書をギリシャ語に翻訳する必要に迫られた時、元の四文字は消えてしまい、ギリシャ語の「キューリオス」に置き換えられてしまいました。「キューリオス」とは「主」を表す言葉で、新約聖書でイエス・キリストにも用いられる言葉です。こうして、四文字YHWHはヘブライ語で聖書を読める人以外には完全に忘れさられてしまいました。近代になってルターを始め、聖書を自国語に翻訳しようとする人々は、ヘブライ語に遡って訳を進めるにあたり、出エジプト記3章14,15節に出てくるYHWHを何て読み、またどのように訳すべきか苦労を重ねた末、「エホバ」と読んでしまいました。それ以来、「エホバ」(Jehovah)が近代以降、長い間、使われて参りました。これが現代になって聖書学の発展と共に、正しい呼び名ではないことが判明し、「ヤハヴェ」と呼ぶことになりました。それは、ヘブライ語のBe動詞未完了不定形であることが研究者によって分ったからです。

 モーセに奴隷解放の指導者になるように呼びかけた神が自らをヤハヴェと名乗ったことは実に意味深くあると思います。私はBe動詞未完了不定形を何て訳したら良いのか、迷う所もありますが、「わたしはある」と訳すだけでは不十分であるように見受けます。呼びかけられた相手が、この使命に応えて、呼びかけている人格を信じ、この方と一緒に動き、働きはじめるところで、そしてモーセについて言うならば、エジプトに帰り、ファラオと戦い、これに勝って奴隷解放を達成したそのところで、「私はある」という方になる。それまでは呼びかけであり、励まし、導く精神的指導者の姿をとっている。ですから3章14,15節のところでは、まだ、「わたしはあろうとするもの」と訳すのが最も相応しいように思います。

 私たちは自分に精神的覚醒を求め、歴史や社会に向かって変革を求めてくる、自分でない自分、もう一人の自分、敢えて申せば良心として自分に呼びかけてくる他者の声を聞いたことは今までにあったでしょうか。なかった、と否定できないのが私という存在ではありませんか。「燃えている芝が燃え尽きない」幻想のなかで、モーセは自分の余りに私的に満足し切った生活を、エジプトにいる同族の苦悩と対比して、もう一人の自分、つまり、良心の声として呼びかけられているのです。ヤハヴェとは良心の声と言っても過言ではありません。私たちにも今まで、良心の声が自分の中に呼びかけて来、その声に応えて、新しい方向転換を決意して生き始めたことは、過去になかったでしょうか。多くの場合、ヤハヴェとの出会いは、自分の内面に深い罪責感を伴って現われます。私の場合がそうでした。このことについては、以前に『教会たより』に書かせて頂いたり、また、講壇説教の中でも触れたところですが、これを公に言い表すことは、かなりの勇気と羞恥心を伴います。自分の失敗や相手を深く痛めたり、傷つけたりしていることを自覚し、反省している中で示される、良心の声、神の呼び声です。不思議なことに、裁かれる自分がいる一方で、犯した過ちや罪にもかかわらず、それを赦し、乗り越えて生きる力を授けてくれるのが、良心の神ではなかったでしょうか。私が何度も躊躇し、そのような力はないにもかかわらず、そうした弱さを乗り越えて、献身へと高めてくれた力を私は強く感じ、その力に押されて、今まで生きてくることが出来ました。ヤハヴェの神は「生ける神」なのです。その呼び声に応えて共に生きはじめると、相手も生きて働きかけてくれる存在です。世の中は悪しき勢力が支配しているように見受けられますが、そのような中で私たちを善へと呼びかけ、高めてくれる人格です。私たちを命と成長へと呼びかけてくる全人格的な声、それが良心の神、ヤハヴェであります。正しいことを行う力が今、自分になくても、その方の呼びかけに応えて生きることにむしろ大きな喜びを感じるので、呼びかけの主(ぬし)と一緒にそれを行うことができるようになるのです。出エジプト記に記されたモーセは正にそのような人でした。ヤハヴェの呼びかけでもなお、モーセは固辞してこう言っています(4章10-13節):

「ああ、主よ、わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけて下さった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重いものなのです。」主は彼に言われた。「一体誰が人間に口を与えたのか。一体誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」モーセはなお言った。「ああ主よ、だれか他の人を見つけてお遣わし下さい。」 主はついにモーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。・・・彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。・・・あなたは彼に対して神の代わりとなる。」

 こうして、モーセは重い腰をあげて、アロンと一緒にエジプトに向かいました。わたしたちが、今ここに集められているのは、共に協力して神の口となり、手となり、足となって、世の闇を福音の光によって照らし出し、神の国を地上にもたらす使命を共に授かっているのではないでしょうか。神は「生きた神」であるのです。わたしたちと共に働いて歴史を変える働き人へと私たちを招いておられます。

 ヤハヴェがBe動詞未完了不定形であれば、これを英語に訳せば 「to be」となります。シェクスピアのハムレット第2幕第1場面で ハムレットが語る有名な言葉は良く知られています:To be , or not to be, that's the question この言葉を坪内逍遥は「生きるべきか、死ぬべきか、そいつが問題だ」と訳しました。余りにも名訳であり、それ以後の翻訳者が、たとえば、福田恒存(つねあり)が、「生か、死か、それが疑問だ」と訳しているのですが、やはり、軍配は坪内にあるようです。ところで、シェクスピアはヤハヴェが持つ意味を知っていたように私には思えるのです。亡霊となった父が夜な夜なハムレットに現れ、伯父と母親が結託して、王であった父を殺害した事実に気付きながら、王子として王宮に留まることが出来なくなる、その選択の場面で、かの有名な言葉がハムレットの口からシェクスピアは語らせています。「一体、神はいるのか、いないのか、そいつが問題だ。」ハムレットはこの言葉をもって最も近く仕えてくれた家臣・友人と一緒に、王宮内の悪と不正に向かって、これより、戦いを挑む決意を固めたのであれば、やはり、「生きるべきか、死ぬべきか」であるよりは、「神はいるのか、いないのか」が問題になっているように思えます。ハムレットは不正を見過ごさない自分と仲間の良心の声に応えて、新しい歴史の創造に向かって踏み出して行くのです。良心に呼びかける、実に感動的な言葉ではありませんか。

 聖書にはヤハヴェという良心に呼びかける神の声を聞き、モーセと同じように、一旦は躊躇しながらも、神の声に応えて立った人々の物語が数多く語られています。第一イザヤは南王国ユダが危機存亡の事態を予見するなかで神の声を聞きました(イザヤ書6章:イザヤの召命):「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者、しかも、わたしの目は万軍の主を仰ぎ見た。」(5節) すると天の声は「見よ、祭壇の火があなたの唇に触れたのであなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」この声に応えてイザヤは「わたしがここにおります。わたしをお遣わし下さい。」彼はユダの王と民衆にむかって、武力に頼らず、主に頼り、インマヌエルの到来を預言しています。これが、イエス・キリストのご降誕に繋がることを私たちは知っています。

 また、イザヤ書40章から55章にわたって記されている無名の預言者・第二イザヤも良心の神に促されて平和の使者として立つ決意を49章で語っています。53章の「苦難の僕」もイエス・キリストの働きに繋がる内容でした。エレミヤも忘れることの出来ないヤハヴェとの出会いを49章で語っています:「母の胎にあったわたしをご自分の僕として形づくられた主はこう言われる。『・・・わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまでもたらす者とする。」(49:5-6)  エレミヤが預言者としてヤハヴェから選ばれた時、「ああ、わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者に過ぎませんから。」と言って躊躇するエレミヤに向かって主は、「若者に過ぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、誰のところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることを全て語れ。」(1:6-7)こうしてエレミヤは紀元前6世紀、存亡の危機に立っていたユダの王国とその民に、エジプトに組せず、神に頼る道を語り伝え、一説によれば、彼は殉教死したと伝えられています。

 神から召命をうけた指導者を挙げるのに限りはありませんが、本日、引用した新約聖書・ガラテヤ書の冒頭でもパウロは自らの使徒職が、キリスト者迫害に携わった時、神からの啓示を受け、復活のキリストに出会い、自ら回心して異邦人伝道への召命を受けたことを誇りをもって語っています(1:11-17)。

「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らされた福音は、人によるものではありません。・・・わたしは、徹底的に神の教会を迫害し(ステパノの殉教に立ち会ったパウロでした)、教会を滅ぼそうとしていました。・・・しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召しだして下さった神が、御心のままに、十字架によって死に、神によって復活された御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたのです。」

 神からの召しに応えて立ったこれらの指導者たちは、神に従う決意を固めた時、同じような告白をしています。それは、「母の胎にあった時から、わたしをそのように選び分けて下さった」という告白です。

 讃美歌に:

「神のみ声は昔のごと、いまなお人を召させたもう。
とらわれし民、 悩むものを、救うつかいは 世にはなきか」(旧392番)

 と言う1節があります。讃美歌21−519番では少し歌詞が異なりますが、イザヤの召命を明確にして歌われており、このあとご一緒に歌おうとしています。上原教会では以前に、特に戦時下にあっては、旧い方(神のみ声は昔のごと)の讃美歌が良く歌われておりました。そこには、時代批判が共有されていたのかも知れません。それ以上に、神からの召命と派遣を礼拝の中心に据えていたからであると思います。

 この傾向は戦後になっても暫く続けられました。ここにおられる正清敬之助さんは、こうした教会の意向に触発されて、新しい讃美歌を作られました。

「われらは共に 主イエスの召しに 応えてここに 集い来たりぬ。
御文をまなぶ、われらの心、御光をもて開かせ給え。」

 今でも忘れられない良い歌詞であると思います。上原教会特選讃美歌でした。雑誌『指』にも掲載されています。

 主なる神は、わたしたちの良心に今日も呼びかけておられます。

「小屋に、小道に、市に、里に、人のもだえの声は聞こゆ。
闇の力の迫り来るに、打ち破るべき、遣い、なきか。」

「神よ、み声をわれら聞けり、 いずこへなりと 送りたまえ
力は弱く、知恵なけれど、  御旨のままに 用いたまえ。」
 

祈祷:

わたしたちを教会へと召し出だして下さった、主イエス・キリストの父なる神様
独りよがりな私たちを、なおも赦し、あなたの御心を地上にもたらすために集めて下さった、恵みに感謝いたします。どうか、あなたの望んでおられる道を、己が道として選び取り、召されて御用にあたる兄弟姉妹と共に手を携えて、闇を光となす働き人とならせてください。

 
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