2012.9.9

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「キリストのもたらす自由」

関田 寛雄

創世記12,1-4 ; ヨハネによる福音書8,31-36

 今日は、「キリストのもたらす自由」ということでお話をさせて頂きます。ヨハネによる福音書のこの箇所は、ユダヤ人の方々とイエスさまとの間で「真理とは何か」という問題を巡って、とても激しい論争が続いているところです。「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた」(31節)とありますように、イエスさまは、ある期待を持ってこのユダヤ人たちにお教えを述べられたと思うのですが、話がかみ合わない。かみ合わないどころか、ユダヤ人の側での誤解、建前、そういったものに引きずり回されて、結局は大変不幸な別れ方で終わっています(57-59節)。

 「イエスさまを信じた」というユダヤ人にだからこそ、イエスさまはお語りになるのです。信仰という世界は、まず信ずるということから始まりますけれども、それはまだまだ不確かなものです。信ずればこそ、いよいよ深くイエスさまのお教えに耳を傾けなければなりません。およそ信仰の世界というものは終わりがございません。私も、もう50数年、牧師をやっておりますけれども、聖書を読んでも分からないところがいっぱいありますし、新しい発見が次々にあります。聖書の奥深さというものは計りがたいものがあります。イエス・キリストの信仰に入ったということは、実は出発点に立ったということなのです。信ずればこそ、ますます深く学ばなければならない。キリスト教に卒業はありません。キリスト教信仰が分かってしまったと思ったら、それは大間違い、そのとたんにおしまいです。ですからイエスさまは、自分を信じたユダヤ人たちに、期待を持ってお話を始められるのです。

 ここには三つのポイントがあります。まず「私の言葉にとどまりなさい」ということ。次は、その時にあなたたちは私の弟子になるから、そこで初めて真理を知ることになるということ。そして、その真理はあなたたちを自由にするということ。この三つです。

 

I

 私の言葉にとどまりなさい、とどまっているならば、本当の弟子になる、とイエスさまは言われます。「とどまる」という言葉は、新約聖書では、ヨハネ福音書において特別に大事な言葉として使われています。単にそこに留まっているということではなくて、そこで生活する、続ける、しっかり身につけるという意味が、この「とどまる」という言葉の中にあるのです。

 イエスさまの言葉を聞いて、それを心に刻むだけではなくて、それを生活する、その生活を続けるということによって初めて、イエスさまの弟子になることができるということです。つまり、その信仰はイエスさまを眺めているだけなのか、それとも、そこに従って行くということなのか問われているのです。信じたと言っても、イエスさまについて眺めている姿勢では、「とどまる」ことにならない。黙ってあぐらかいているだけに過ぎない。イエスさまの言葉に従うときに、イエスさまとの子弟関係が生まれるのです。

 信仰というものは、対象を眺めていたり観察してみたり、評価するということとは全く違います。評価とか、眺めるというのは距離がある。それではイエスさまに従っていることにはならない。そういう姿勢はイエスさまが一番残念に思われる点だろうと思います。分からなくても難しくても、ともかく従っていく。とどまり続ける。そういう中で事柄がだんだん分かってくるし、イエスさまと一対一の子弟の関係が生まれてくるのです。私どもの信仰は傍観者の信仰ではなくて、服従する者の信仰でありたいと思います。そこで初めてイエスさまとの弟子の関係が生まれ、その言葉がその人その人のいのちになってくるのですから。

 いきなり私事になって恐縮ですが、牧師の息子として生まれた私は、「アメリカのスパイ」の息子としていじめられたものですから、それを免れるために普通の日本人よりももっと日本人的にならなければいけないと考え、軍国少年の生活を歩みました。けれども敗戦の後、何もかもなくなってしまった。目標を失って、堂々巡り、文字通り闇市をさすらうだけのような不登校の時期がありました。そういう時期に初めて父親に、聖書のどこを読んだら、時代が変わっても変わらない真理が分かるのかと訊いたのです。父はそのころ栄養失調で片肺がだめになって、半年ほどずっと床についておりましたけれども、じゃあ一緒に聖書を読もうと言って、詩編の51編、ダビデの物語をしてくれたのです。そのとき何もなくなってしまった私の中に、「新しき、直き心を、わが内に起こし給へ」というダビデの祈りが、まるで私の祈りのように響いてまいりました。「神の求めたもう供え物は砕けたるたましいなり、神は砕けたる悔いし心を軽しめ給うまじ」――そこまで読んできて、ぐっと胸にくるものがありまして、私は初めて聖書の言葉で涙したのです。

 「神の求め給う供え物は砕けたるたましいなり」。金銭でもなければ何でもない、砕けたるたましいなのだ。その砕かれた悔いし心を、神は軽しめ給わないという言葉に、牧師になりました今もなお、読むたび心がぐっと熱くなってまいります。幸いなことに今もこのようにしてみ言葉にとどまることができているのは、全く神さまの恵みであり、憐みであると思わざるを得ません。

 

II

 み言葉にとどまるということの大切さに続きまして、イエスさまは「真理を知ることになる」と語られます。もちろんそれは、「2点間の最短距離は直線である」というような物理的・数学的な「真理」のことではなく、「人格的な真理」です。ある人格に出会うということによって、あるいはある言葉に出会うということによって悟らされる「真理」。それは一回限りのこの私の人生をいかに生きるか、この人生は何のためにあるのか、私は何のために生きているのか、いかに生きるのかという、私自身の人生の根底を問う真理であり、それを与えてくれる真理であり、私自身を根底から生かしてくれる真理、それが「人格的な真理」であり、それこそが、み言葉にとどまることにおいて豊かに与えられてくる「真理」なのです。

 私事ばかり申しますけれども、私が川崎に開拓伝道を始めるに至りましたのは、浅野順一という恩師の導きでした。この浅野順一先生は戦後、渋谷の美竹というところで伝道していましたけれども、敗戦後の惨憺たる状況の中で、福音は、農村と労働者の町に伝えなければいけない、という志をもたれまして、まず農村である牛久で開拓伝道が始まって、先生の教え子が素晴らしい牧会をなさりました。労働者の町の伝道には私が引っ張り込まれました。先生のかばん持ちをしながら毎週毎週、日曜日の夜、川崎に通いました。そこで身近に浅野順一という人格に接するとき、先生の欠点が目につくわけです。しばしば信徒をつまずかせたり、激しい言葉で叱りとばしたり、それで信徒が傷つくということもありました。欠点だらけの人だなぁと思ったものです。

 この先生は敗戦の直前に徴兵され、軍隊で歩哨勤務をされた。夜寝ずに歩哨勤務をするのは眠くてたまらない。それで天皇さまからもらった「恩賜の煙草」を吸って目覚ましにしているうちに煙草から離れられなくなってしまって、敗戦後に戻ってきて、牧会を始めても煙草がやめられなかったのです。

 先生にとってそれは自己批判の的でした。役員会などで難しい議論が続き、緊張が高まりますと、「ちょっと失礼」と言って先生はトイレに行き、その緊張を鎮めるために一服やるわけです。そのすぐ後に役員が入ると、煙が残っておりますから、「浅野先生は煙草を吸うのか」ということになりまして、教会員の間にさまざまな風評が立つ。〈頭隠して尻隠さず〉といった先生の実態があらわになってくる。そのように欠点の多い先生ですが、そういう弱さと情けなさ、無力さというものをご自分で自覚されながら、それゆえに、キリストの憐みなくしては生きられない自分なんだ、ということをさらけ出して生きておいでになる。私はそこに惹かれました。

 「師の後を追うことなく、師の求めたるものを求めよ」という言葉があります。先生の後を追いかけるのではなくて、先生が何を求めていたか、その求めを私も追い求めてゆく。そこで初めて師に対する本当の恩返しが始まるのだと思います。そういう人格との出会いが、いかに生きるかという人生の示唆、大きな力をもたらします。

 私は神学生と接する機会も多いのですが、最近特に意識しておりますのは、誰をモデルにして生きるか、誰をモデルにして牧会するか、そういうことを神学生たちに語っておくことです。直接イエスさまをモデルにすることが理想なのですが、福音書のイエスさまというのはいかにも遠い存在です。部分的であれ断片的であれ、その遠い存在であるイエスさまの真理を生きようとしている人格が身近にいるならば、その人格に触れる、その中にモデルを見ることによって、人はいかに生きるかということが示されていくと思うのです。そのような信仰生活におけるモデルの大切さ、そのことを皆様にも申し上げておきたいと思います。

 

III

 さて、そのような人格的な真理にめぐり合う、そのときに私どもは自由にされる。これは面白い逆説です。モデルである恩師に従う、イエス・キリストのお姿にこだわり続ける。それは一つの「束縛」ですね。イエスさまに従うという束縛が、実は自由の源なのです。何もかも関係ないよという状態が自由ではございません。何に関係するかによって本当の自由か、偽物の自由かということが分かってくるのです。

 ユダヤ人たちはこの論争で、なぜ自由などということが今さら問題になるんですか、私たちは自由ですよ、アブラハムの子孫なのですから。奴隷などになったことはありませんよ、自由そのものです、と誇らかに言い立てます。しかしイエスさまは言われます。アブラハムの子孫だと言うならば、アブラハムのように生きたらよいだろう。そうではなくて、アブラハムとの血縁的なつながりがあることを誇りにし、それにあぐらをかいて自由だと誤解している、と。

 アブラハムは神に選ばれて、諸民族の祝福の源となる(創世記12,2)とあります。アブラハムおよびその子孫たる者は、世の諸々の輩の祝福の源になるという使命が与えられているのです。ユダヤ民族の存在理由というのは、自己民族の繁栄ではありません。世界の諸民族の繁栄のために仕え、諸民族の祝福の基になる、そういう使命が神さまから与えられている。アブラハムの子孫ならばそれを実行すべきだろう、とイエスさまは言われているのです。

 ところが、諸民族の祝福の基になるどころか、掟にこだわり、掟が守れないさまざまな弱さをもった人たちを救いの範囲から排除する。この人たちは救われない、掟を守っていないからダメだ、そういう形で排除していく宗教、信仰になってしまっているのではないか。アブラハムはあらゆる民族を包括して、あらゆる民族の祝福の源になるという課題を神さまから与えられている。イスラエルの存在理由はそれ以外にないはずだ、ということがイエスさまの心の中にあったと思うのです。

 バプテスマのヨハネも言っているとおり、神は石ころからでもアブラハムの子孫をおこすことができる(マタイ3,9)のです。それなのにアブラハムの子孫だという血縁にこだわって、それが自由だと誤解している。血縁なんてものはむしろわずらわしい、その人を自由にさせない鎖みたいなものです。神から示された使命に生き、イエスさまのご生涯に徹頭徹尾従う、服従することが、本当の自由なのです。根源的に何に従っているか、ということによって自由の質は変わってくる。血縁にこだわって、アブラハムの子孫であることにこだわって、そのことで他者を排除する生きざまになってしまっているのでは、それは全く自由でもなんでもない。  すべてのもののいのちを作り、慈しみ、憐み、はぐくんでくださる神に対する、根源的な帰属。その送り給うた御子イエス・キリストに対する服従。その帰属関係こそが、普遍的な自由になるのです。

 私は最近、いろいろな問題にふれて考えさせられているのですけれども、イエス・キリストという〈特殊〉なるお方に本当に結ばれているならば、他の宗教に対してもおおらかな対話ができるのです。よく「あの人は立派なことをしているかもしれないけれども、クリスチャンじゃないからねぇ」というような次元の低い言葉が聞かれますけれど、そのようなところでイエスさまの自由はとどまりません。イエス・キリストという〈特殊〉なお方に本当に帰属し続ける、とどまり続けるということの中から与えられる自由は、神の作り給うたこの世界を愛し、大切にし、平和を守り、いのちを大切にするというすべての運動に対して、普遍的に開かれてあるべきだろうと思うのです。

 それはイエス・キリストへのこだわり、イエス・キリストという〈特殊〉に帰属するということからこそ生まれてくる自由です。有名なカール・バルトという人が申したことですけれども、「イエス・キリストにおける排他性こそが、まことの包括性である」。この逆説は実に深いと思います。ここにキリスト者の自由の原点があるのではないでしょうか。イエスさまはそのことをユダヤ人たちにおっしゃって、アブラハムの子孫といったような偶像的なものにこだわっているのではなくて、本当に普遍的な、全世界の祝福の源になるという尊い使命に生きるときに、あなた方はどんなに自由になるだろうかと重ねておっしゃっているのですが、残念ながら、ユダヤ人たちはアブラハムの子孫から離れることができないという結末で終わってしまうのです。

 私は毎年8月の第一土曜日に、保土ヶ谷にあります英連邦軍の捕虜の墓地で、追悼礼拝を営んでおります。これは発起人が三人いらっしゃいまして、その一人に斎藤和明先生という、亡くなられましたけれども国際基督教大学の英文学の教授がおられました。この方が、アーネスト・ゴードンという英連邦軍の元・捕虜が書きました『死の谷をすぎて――クワイ河収容所』という書物を翻訳されたのです。内容はご存知のように、泰緬鉄道というタイとビルマの間にかけられました全長450キロという鉄道の敷設です。専門家でも7−8年かかると言うのを、1年半でやってしまう。そのために英連邦軍捕虜が30万人、現地労務者が60万人というような数でこき使われた大変な工事だったのです。「クワイ河マーチ」で有名なあのクワイ河、「戦場にかける橋」という映画でも有名になりましたけれども、その現場で、英連邦軍の捕虜たちがどんなに惨めな状態に置かれたかが記されています。

 ご存知のように天皇の軍隊である日本の軍隊は、『戦陣訓』という東条英機の書きました書物に支配されました。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」という言葉があります。なまじっか生き延びて、捕虜という恥ずかしい立場になるな。捕虜になるくらいなら死んでしまえ、というのが『戦陣訓』の主張です。その言葉を真に受けた日本の軍隊が、捕虜になった人間は人間じゃない、と捕虜を人間視しないところから、捕虜虐待が始まるわけです。

 その本の一節でゴードンさんが書いているのですが、暑い夏の盛りの大変な労働の中で、朝に晩に器具の点検をする。ところが鍬が一本足らない。日本の兵隊はすぐに、捕虜は飢えているものだから、誰かが村の人間に鍬でも売って、食料を買い込んでこっそり食べたんだろう、と邪推するわけです。20人のその班の全員を前へ出して、誰が犯人か、誰がこの鍬一丁を盗んだのかと問い詰め、三つ数える間に出てこないならば、連帯責任でこの班の20人全員を殺すという命令を、日本兵が出したのです。そして「ひとつ、ふたつ・・・」と数える。その時に、一人のイギリス軍の捕虜が前に出た。日本兵は寄ってたかってこの一人を銃で殴ったり剣で刺したり、惨憺たるかたちで殺してしまう。班の皆は、目の前で自分の仲間が殺されていくのを見ているわけです。

 そして最後に、その友の遺体を運んでテントに戻る。あらためて鍬を数えたところ、ちゃんと揃っていた。足らなかったわけではない。英軍の捕虜たちはそのとき、彼は何のために死んだのだろうか? 鍬が一本盗まれたという嫌疑で、あれだけなぶられて殺されてしまったあの男は、何のために死んだのだろう。そのことにショックを受けるのです。そして彼が前へ出たのは、仲間を救うために自分を差し出したのだということが明らかになる。そのとき、ゴードンさんをはじめイギリスの兵隊たちの心の中に、「人、その友のために命を捨てる、これより大いなる愛はない」(ヨハネ15,13)という聖書の言葉が浮かんできた。

 このときから捕虜のキャンプの生活が変わったというのです。それまでは飢えて、くたびれて、キリキリした人間関係が捕虜の間でも続いていた。病んでいる友人のために取っておいた食料を誰かが盗んでいくことも起こったし、捕虜のキャンプ生活の中は疑心暗鬼が支配していた。けれども、この事件が起こってからみんなの心が変わった。助け合い、支えあい、祈りあう世界に変わっていった。そしてこのキャンプの中で聖書の学習会が生まれ、礼拝が行われ、宗派・教派を問わずにすべての者が賛美を歌う、新しい交わりが生まれるようになった。

 戦後本国に帰ったゴードンさんのところに、かつての友人たちから「平和な英国に帰ってみたけれども、あの捕虜のキャンプでの、生き生きとしたうるわしい人間関係がどこにも見当たらない」と嘆く手紙が送られてきているということです。

 イエス・キリストのもたらす自由は、自分自身からさえ自由になれるのです。隣人のために、隣人の命を救わんがために、自分自身からさえも自由になって、わが身を提供することができる。そこまでキリストは私たちに、自由を与えてくださっている。キリストによって与えられているその自由は、隣人に仕えるために、互いに愛し合うための自由として(ガラテヤ5,13-14)用いるべきなのです。

 このアーネスト・ゴードンさんは、平和になりました後、アメリカのプリンストン大学のチャプレンとして働かれ、もう亡くなられましたけれども、このような証言があるということを知っていただきたいと思います。惨憺たる捕虜生活のどん底にもかかわらず、輝くようなキリストによる自由が、そこにあらわされている。

 私どもはこういう事実――ささやかな事実だがその意味は限りなく大きい――を覚えながら、日常生活の中で、いかに生きるか、なんのための人生なのか、という究極の問いを問いつつ、み言葉にしっかりとどまって、イエス・キリストの自由にあずかっていきたいと思います。

 
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