2012.04.29

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「出発」

松本 敏之

創世記11,27-12,9 ; ヘブライ人への手紙11,8-10

(1)旅立ち

 4月は新しい出発の時です。気持ちも新たにされる時です。皆さんは、何か生活に変化があったでしょうか。わが家では、ひとり息子が大学進学のために家を離れて行きました。息子は親元を離れ、のびのびと毎日新しい経験をしていることと思います。残された親のほうはちょっとさびしいですが、まあ何とかやっています。19年ぶりに夫婦二人っきりになって、最初の1週間位はちょっとぎこちない感じでしたが、大分慣れました。妻は食事作りも勝手が違う。ご飯の分量もよくわからないと言っていました。これまではわが家の食事も受験生の息子を中心にスタミナのつくようなメニューでしたが、息子がいなくなると、妻が私の人間ドックの結果を見て、「健康のために野菜と魚料理中心にしよう」というようなことをちらっと言っていましたので、ちょっと心配しましたが、今のところこれまで通り、肉料理も出ています。ほっとしています。息子だけではなく、われわれ夫婦にとっても新しい生活への小さな出発の時だと思います。

 私は、これまで何度か大きな出発を経験してきました。そのひとつは、1989年、日本の教会で3年間伝道師として働いた後、ニューヨークのユニオン神学大学へ留学したことでした。そこでそれまで日本では学んだことのない神学、南米の解放の神学や黒人の神学、アジアの神学、エキュメニカル神学に触れ、自分がこれまで築いてきたものを、もう一度最初から組み立て直すような経験をしました。ボンヘッファーが留学した学校でもありましたので、そこでボンヘッファーももう一度丁寧に読み直す機会も与えられました。そうした学びの中から、どこか日本や北米やヨーロッパ以外で働くチャンスがあればと祈っていたところ、日本基督教団の『教団新報』で、サンパウロの日本人教会が牧師を求めていることを知り、それに応じてブラジルへ行くことになりました。1991年のことです。

 サンパウロ福音教会で4年働いた後、ブラジル人の教会で働きたいという思いが募り、それが認められて、ブラジル・メソジスト教団の一つ、赤道に近いブラジル北東部オリンダという町(レシフェの隣)の教会で2年余り働くことになりました。その2年間は毎週、ポルトガル語で説教をし、日本語で説教することはありませんでした。このブラジル人の教会は、オリンダの中の貧しい地区にあり、教会員の3分の1位は字も読めないという大変な教会でしたが、貴重な経験をさせていただきました。

 2年目の終わりに、私の出身教会のひとつである東京の弓町本郷教会で副牧師として戻って来て欲しいという招聘があり、後ろ髪を引かれる思いもありましたが、これも新しい出発だと決心して、日本へ帰ってきました。しかしブラジルでの経験や学びは、その後の私の牧師としての歩みの上でも、かけがえのない意味をもつものとなりました。経堂緑岡教会に移り、この3月でちょうど10年を終えたところですが、そのことに変わりはありません。

 

(2)行き先も知らずに

 創世記に登場するアブラハムも、住み慣れた故郷を離れて旅を続け、寄留者として過ごした人でした。創世記12章は、このように始まります。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。』」(1節)。

 「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った」(4〜5節)。

 75歳というと、普通は、そろそろ人生のまとめをしなければならないと思う年齢ではないでしょうか。よく決断したと思います。アブラハムが主の召しに従った時、彼はどこへ行くのか知りませんでした。ヘブライ人への手紙ではこう記されます。

 「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召しだされると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(ヘブライ11:8)。

 私がブラジルへ行ったのは、32歳の時でした。私は、サンパウロという行き先を知っていましたが、ブラジルがどういうところか全く知らない、またこれからの人生がどうなるかわからないという意味においては、やはり「行き先も知らずに」出発したようなものでありました。移民船でブラジルに渡った人たちは、もっともっと大変な決心をしたことでしょう。そしてその移住者たちと共にブラジルへ行った日本人牧師(宣教師)たちもたくさんいました。私が行った時には、インターネットこそなかったですが、国際電話はありました。かつて移民船でブラジルへ渡った人たちは、この時のアブラハムの気持ちをもっと身近におわかりなのではないかと思いました。

 11章の終わりには、アブラハムの先祖、親兄弟のことが書いてあります。テラというのがアブラハムの父親でしたが、アブラムには、ナホル、ハランという兄弟がいました。ハランにはロトという子どもが生まれますが、ハランは父親のテラよりも先に死んでしまい、アブラハムがロトのめんどうを見ることになりました。この時も一緒に出発するのですが、やがて別々の道を歩むことになります(13章参照)。ぽつりと「サライは不妊の女で、子供ができなかった」(11:30)と記されていますが、このことも後の話で大きな意味をもつようになります(16〜21章)。

 

(3)信仰の冒険

 信仰とは冒険です。どこかに行く行かないにかかわらず、私たちは、神様から「今の自分の人生の枠組みから出て、新たな地平を出発せよ」という促しを受け、それに応えて、「行く先も知らずに」出て行くのです。しかし「行く先も知らずに」というのは、「あてもなく」ということではありません。

 私たちは行く先を知らずとも、神様は知っておられます。神様はその行く先を知り、私たちのすべてを知っておられる。そして私たちは、この神様を知っているのです。私は、それで十分ではないかと思うのです。

 詩編139編にこういう言葉があります。

「主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
……
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いてくださる。
……
どこへ行けば、あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(詩編139:1〜10)。

 ここならば神様から逃げられるかと思うところへ行っても、すでにそこに神様はそこにおられる。天でも、陰府でも、曙の翼を駆って海のかなたに行っても、すでにそこにおられるというのです。

 私がブラジルで最初に感じたのもこのことでありました。「地球の反対側の国へ行っても、神様はすでにそこで私を待っておられた。」しかしどこへ行っても逃れることができないからこそ、逆に私たちの本当の主であるのではないでしょうか。

 

(4)孫悟空

 私が、この詩編といっしょにいつも思い起こすのは、孫悟空の話です。孫悟空はいろんな不思議なわざを身に着けていくのですが、それに伴いだんだん傲慢になっていきました。その孫悟空をたしなめるために、お釈迦様がある賭けをしようと言うのです。「お前は私の手の中から逃れることができるか。」「もちろん!」孫悟空には自信がありました。彼は、雲の形をした乗り物(きんとうん)に乗れば、秒速7万2千キロで飛ぶことができました。どんどん、どんどん飛んでいって、とうとう地の果てらしきところまでやってきました。見ると、大きな柱が立っています。孫悟空は、その柱に「孫悟空、ここにあり」とサインをして、意気揚々と帰ってきました。お釈迦様にそのことを報告すると、お釈迦様は自分の指を見せます。そこには、孫悟空が地の果ての柱だと思って書いたサインがありました。孫悟空は、ずっとお釈迦さまの掌の中にいたのです。

 聖書の神様も、まさにそれと同じように、私たちが地の果てと思っているところにも、すでにおられて私たちを待っておられるのです。だからこそ、私たちは行き先を知らずとも、心安んじて、その主を信じて出発することができるのではないでしょうか。

 アブラハムはそのことを知っていました。それゆえに彼が旅の途上で折々にしたことは、祭壇を築き、主の御名を呼ぶことでありました。着いたところ着いたところで礼拝所を築き、神様を礼拝したのです。彼は、時々、そのことを忘れて失敗をします。しかしそのことが生活の原点であり、いつもそこへと立ち帰らされていきました。私たちは、神の大きな御手の中で、冒険をするのです。

 

(5)神の召命

 「父の家」というのは、直接的な意味と同時に、象徴的な意味をもっているでしょう。それは私たちが日ごろ最も親しく思っている世界、最も安住できると思っている世界です。アブラハムは「そこから離脱せよ、出発せよ」という命令を受けたのです。彼は、彼にとって最も親しかった生活の枠組みから呼び出されて、ただ神の言葉に従って、人生の新しい地平へと出ていきました。

 彼の出発は、何か立身出世のための出発ではありませんでした。一家がもともと住んでいたカルデヤのウルというところは文化的にも豊かな町であったようです。その後、一家はハランという町へ移りますが、ここも隊商の宿として栄えたようです。アブラハムにとっては、そこにとどまっていた方が楽であったことでしょう。彼自身もその方が堅実な、賢明な道に思ったかも知れません。しかしそれを超えた何か、神の召命としか言いようのない何かが彼に働いたのでした。そしてそれは彼にとって決定的に重要なことでありました。

 アブラハムについて深い思索をめぐらした森有正という哲学者は、こういうことを言っています。

 「神の召命でアブラハムの最初の出発が行われました。私どもは自分の経験を本当に自分で持ってただ放っているだけではだめなので、私ども自身出発しなければならないのです。……それでは神の召命とは一体何だろうか。……アブラハムの生活のある時、彼自身があるいは彼の周りの者が、あるいは彼の話を聞いた者が、神の召命としか名付けようのないような一つの事件が起こったのだ、と。……ここでアブラハムの本当の経験が始まります。」(『アブラハムの生涯』34頁)

 

(6)信仰の父アブラハム

 神様はアブラハムを選び、祝福の源とされました。12章の最初の言葉には、五つの要素があります。最初は、「父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」ということ。二つ目は、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」ということ。三つ目は、「あなたは祝福の源となる」ということ。四つ目は、「あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う」ということ。五つ目は、「地上の士族はすべてのあなたによって祝福に入る」ということです。

 神様はアブラハムを選んで、祝福の源とされました。やがて、このアブラハムを通して、神様の祝福が広がっていきます。

 創世記の11章までは、原初の物語と呼ばれ、いわば神話のような物語でした。それに対して、アブラハム物語以降は、何らかの歴史的片鱗が残っているのです。「神様の召命と信じて、カルデヤのウルの方からカナンに向けて出発した人がいた。その人こそ、自分たちの信仰の父である。」聖書の信仰は、そこから始まるのです。ですからアブラハムは、聖書の中で歴史的にさかのぼりうる最古の人物であると言ってもいいでしょう。

 現在、世界中にはさまざまな宗教がありますが、私たちのキリスト教、その母体となったユダヤ教、あるいはそこから生まれてきたイスラーム、この三つの宗教の人々は、アブラハム宗教と呼ばれます。共にアブラハムを信仰の父として仰いでいるからです。そしてこの三つの宗教を信じる人を合計すると、何と世界中の人口の半数にのぼります。アブラハムは果たしてそんなことを予期したでありましょうか。彼は世界の一隅を旅する一人の族長に過ぎませんでした。しかし神様は、そのアブラハムを祝福の基とされたのです。

 なぜアブラハムが選ばれたのか、聖書には何も書いてありません。神の選びには理由はないのです。それは私たちが教会に集められているのと同様です。ただ神の選びには、特徴があります。それは「世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられた者」を選ばれるということです。「だれ一人、神のまえで誇ることがないようにする」ためです(コリント一 1:28〜29)。

 私たちも、神の自由な選び、召しによって招かれています。それに「はい」と応えて進んでいきたいと思います。アブラハムが出発したのは、75歳の時でありました。出発をするのに遅すぎることはありません。

 私の曾祖母、松本フサは、101歳の時にイエス・キリストを主と信じて、洗礼を受け、クリスチャンとして歩み始めました。意識もしっかりしていました。(今でこそ100歳以上の方は、日本全国に3万人以上おられますが、今から40年前の当時は、全国で約300人でした。)これもまた新しい人生の出発と言えるでありましょう。私は、曾祖母の受洗から、人間は100歳を超えてからでも新しい出発ができるのだということを、感慨深く思うのです。


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