2011.7.24

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「信仰」

村椿 嘉信

創世記12,1-4a; マタイによる福音書7,21-23

テキスト(旧約):創世記12章1-4a節

1:主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2:わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3:あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る」
4:アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。

テキスト(新約):マタイによる福音書7,21-23節

21:「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 22:かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 23:そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」

私の信仰理解

 私は説教の中ではあまり自分のことを語らないようにしてきました。またさまざまな神学者の名前を挙げないようにしています。しかし今日は、説教の内容を理解していただく助けになればと思い、あえて語ろうと思います。

 私はカール・バルトやディートリヒ・ボンヘッファーというドイツ語の書物の翻訳をわずかですが手がけたことがあります。私がバルトやボンヘッファーとの出会ったのは、私の高校生のころです。

 その頃、ボンヘッファーの書物が初めて日本に紹介されました。ボンヘッファーやマルティン・ルーサー・キングの書物にであったことが、キリスト教についていろいろ考えるきっかけになりました。

 私の父は、横浜で牧師をしていましたが、私が中学生、高校生の時、牧師仲間とバルトの『和解論』の読書会をしていました。私が『和解論』を本格的に読み始めたのは、大学に行ってからでしたが、それ以前に父からの影響で、バルトの神学思想に実質的に触れていたといって間違いないと思います。私は、ルターやカルヴァンの神学思想に触れてから、バルトやボンヘッファーを読んだのではなく、まずバルトやボンヘッファーに触れてから、そのほかの神学書も読み始めるようになりました。その意味では、バルトやボンヘッファーの信仰理解とか、教会理解とかが私の根底にあるといえます。

 でもその後、ずっとバルトやボンヘッファーに関心を持ち続けてきたのかというと、私自身の意識の中では、そうだとは言えません。今から思い起こせば、バルトやボンヘッファーに基本的なことを学びつつも、そこから、それ以外のものに関心を向けてきたといえます。

 今から約30年前のことですが、ドイツの教会から奨学金を得て、ドイツに留学しましたが、その時にはバルトやボンヘッファーを学ぼうとは考えませんでした。

 留学中に関心を持ち続けたことは、現在のドイツの教会が直面している問題は何か、そこでどのような神学的議論が展開されているかということでした。そういう中で、クラッパート教授に出会いました。クラッパート教授は、バルト、ならびにボンヘッファーの線で神学的な思索を発展させていましたが、ただバルトやボンヘッファーの神学を紹介するだけの学者ではなく、ドイツの教会が直面しつぇいる問題に真正面から取り組んでいました。

 クラッパートは、アウシュヴィッツ以後の神学を展開していました。それはドイツが第二次大戦中にしてきたことを踏まえた戦後の神学とも呼べるものでした。ドイツは1945年春に敗戦を迎えました。ドイツは戦争を始める前から強制収容所をつくり、国家への反逆者とみなされた人たち、反戦平和 唱える人たち、外国人、ユダヤ人、障害者たち、同性愛者たちを弾圧し、やがて多くの罪のない人たちを虐殺しました。このことは1945年当時からすでに知られていましたが、まだその全貌は明らかにされていませんでした。その全貌がかなりの程度、明らかにされたのは、私の考えでは、1970年代、それも70年代後半になってからです。しかしその作業はそれ以後も続き、今でも、全貌が明らかにされたかといえば、まだ明らかにされていない部分がたくさんあるのも事実です。

 そういうドイツの歴史の中で、ドイツの教会が、アウシュヴィッツ以後、どう変わったのか、ドイツのキリスト者たちはアウシュヴィッツ以後、自分たちはどう変わるべきだと考えているのか、またどう変わろうとしているのかということを、私はクラッパート教授のもとで学ぶことができました。

 でもそのクラッパートのもとで学びながら、私はもうひとつの戦後の問いに直面させられることになりました。それは核兵器の問題に教会がどう関わるかという問題でした。これはヒロシマ以後、私たちに突きつけられている問題でもあります。第2次大戦以後も、さまざまな戦争が起きています。でも他の戦争とは違って、第2次世界大戦が今もなお私たちに問いを投げかけているのは、アウシュヴィッツという体験、ヒロシマという体験があったからだと言えます。

 1980年代の初めに、私と妻とが留学していた頃、ドイツでは中距離核弾頭を配備する計画が持ち上がっていました。核戦争が起きれば、全人類が滅亡するという状況の中で、中距離ミサイルの配備に反対することは、教会にとっても課題であるのか、神学のテーマとなり得るのかで白熱した議論がなされました。そのような中で、クラッパートは、バルト、ボンヘッファーの線に立って、核配備に明確に反対しました。

 その後、私は沖縄で牧会を始めました。そこで日本という国家が、戦後、沖縄を切り離し、沖縄を犠牲にして歩んできたということを知りました。戦後、米国は、敗戦国日本に半永久的に、自由に使用できる軍事基地を置こうとしました。敗戦した日本の領土内で、自由に軍事機能を展開できる場所が、沖縄でした。韓国や台湾、ヒィリピンなどにも米軍基地がありますが、これらの国は敗戦国ではありません。その意味で沖縄の米軍基地とは出発点からして大きな違いがあります。日本の戦後については、さまざまな議論が今日もなされていますが、未だに沖縄の戦後の体験を抜いて語られることがほとんどです。

 沖縄教区は、昨年の夏に、沖縄の戦後は終わっていないという声明を出しましたが、沖縄戦以後、また沖縄の教会との合同以後も、日本の教会は何も変わらず、変わろうともしていません。それどころか、そのような議論をひたすら避けてきたと言えます。

 話が広がりそうなので、沖縄のことはここまでにしますが、私はずっと現代の教会の課題は何であるのかと考え、その中で、アウシュヴィッツ以後、ヒロシマ以後、オキナワ戦以後の教会の問題を問い続けてきました。

 話を少し前に戻しますが、クラッパート教授は、アウシュヴィッツ以後の教会のあり方を問う中で、ユダヤ教の人たちと対話を積極的に続けてきました。そのような作業を積み上げた結果、クラッパートが神学的な顧問として関わっているラインラントの州教会は、ユダヤ教徒たちにキリスト教への改宗をもはや要求しないという決議をしました。

 それ以前は、イエス・キリストを受け入れようとしないユダヤ教徒たちを、頑なな人間、真理を認めようとしない不正直な者、利己主義、神をおそれない貪欲な人間だとみなしてきました。

 かつて教会は、ユダヤ教徒たちを自分たちの仲間だとは認めませんでした。むしろイエスを十字架に追いやり、キリスト教の敵対者であると見なしました。

 戦前の教会には、洗礼を受け、キリスト教徒になったユダヤ系の人たちがいました。しかしその人たちを、偽装信者だと見なしました。市民権を得るためにとか、社会的な利益を得るために、キリスト者になったのであって、ほんとうのキリスト者ではないと見なしたのです。そこで教会は、ユダヤ系キリスト者を教会から追い出しました。昨日まで一緒の教会で礼拝を守っていた人たちを、教会は自分たちの手で排除したのです。

 ところでユダヤ系の人たちをすべて強制収容所に送り、殲滅しようとしたのは、国家であって、直接的に教会が手を下したわけではないかもしれません。でもユダヤ教徒たちに対する差別意識を植えつけたのは教会の責任でもあります。またユダヤ系であるというだけで教会から教会員を排除したというまぎれもない事実があります。そのことに対する教会の責任を放置することはできません。ドイツの戦後の神学は、そのような反省のもとに立ちました。

 その反省に立ち、また聖書を読み直し、ドイツの教会の人たちが突きつけられた問題は、ユダヤ教徒たちの信仰、それは紛れもなく旧約聖書の神への信仰なのですが、その信仰を認められるかどうか、キリスト教徒は、ユダヤ教徒を信仰における兄弟姉妹として認めることができるかという問いでした。

 この問いは、クラッパートらの神学者、また特に旧約学者によって、旧約聖書の登場人物の信仰を、神への信仰と認められるかという問いとして議論されました。

 たとえばアブラハムはよく信仰の父と呼ばれます。アブラハムの信仰を、私たちキリスト教徒は、同じ信仰であると認めることができるのでしょうか。

 あまり深く考えずに、アブラハムは聖書に出てくる登場人物のひとりであるし、信仰者であるに違いないと考えるかもしれません。

 しかしアブラハムは洗礼を受けたのではありません。信仰告白を唱えたのではありません。讃美歌を歌ったのではありません。教会も、ユダヤ教の会堂、あるいは神殿は当時存在しませんでしたが、そのような宗教的共同体に所属して、祭儀や礼拝を行ったのではありませんでした。

 アブラハムは、突然、神に招かれました。創世記の12章1節にこうあります。

1:主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。

そして4節にこうあります。

4:アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

 アブラハムは突然、神さまの招きを受けたのです。そしてその時に、神さまの言葉に従って、旅だったのです。神さまの言葉に応じること、そして旅立つこと、これがアブラハムの信仰です。

 これはイエスの信仰でもありました。イエスの信仰理解も同じでした。

 イエスは、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイによる福音書7章21節)と語りました。「わたしの天の御心を行う」ことこそが信仰です。

 ボンヘッファーは、神さまのみ心を行うことは、神さまを信頼し、服従することだと考え、そのような生き方を、責任ある自由な行動と表現しています。それはイエスがそうであったように、神を信頼しつつ、目の前にいる苦しんでいる人たちの重荷を担い、ともに生きることを意味します。

 どのような告白すれば正しい信仰を持つことができるのか、どの伝統に立ち、どのような神学を学べばいいのか、誰に学び、誰の指導を受ければ、正しいキリスト者になることができるのかと問うのではなく、自分自身が、今、キリストの招きに応じているか、神さまのみ心を行っているか、神さまに向き合おうとしているかを自分自身に問うことが大切だと思います。そしてアウシュビッツ、ヒロシマ、オキナワにおける悲惨な体験を繰り返さないように、私たちがこの時代のただ中で神さまのみ心を行うことが大切なことです。私たちも、主イエスの呼びかけに応えて歩む者となりましょう。


祈ります:

神さま、
あなたはイエス・キリストを通して私たち一人ひとりを招いてくださいます。
その招きに応じることができますように。
み心を行う者となることができますように。
あなたに誠実に、また隣人兄弟姉妹に責任をもって
この時代に生きることができますように。
イエス・キリストを頭とし、ともに支え合って歩む者となり、
ともに愛をもって歩むことができますように。
主イエス・キリストのみ名によって祈り願います。
アーメン

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