2010.7.25

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「共に生きる喜び」

村上 伸

詩編57,1-12; マルコ福音書1,35-39

 私たちの教会は、二ヵ月後に「牧師交代」の時を迎える。初めて経験するこの大きな転機に、私たちはどのような心構えで立ち向かえばよいのか? この問題について、私たちは過去数ヶ月にわたって、いろいろな面から考えて来た。今日の「カンファレンス」はその準備段階の最終ステップである。この貴重な時を意義深く用いたい。村椿牧師も終わりまで参加されるから、今回は最も望ましい形で行われることになった。準備委員会の労を多とすると共に、皆さんの積極的な参加を期待する。

さて、今回のカンファレンスの主題は、ボンヘッファーの名著からヒントを得て、「共に生きる生活」と定められた。むろん、この本をテキストに「勉強会」をするわけではないが、この本には私たちの教会の今後の歩みにとって参考になることが沢山書かれているので、私はこの説教の中で随時引用しながら話を進めたい。

その前に、この本が書かれた背景について述べよう。ボンヘッファーは、1935年5月から37年10月まで、フィンケンヴァルデという小さな村(現在はポーランド領)にあった告白教会の「牧師研修所」で所長を勤めた。「牧師研修所」というのは、ヒトラーの暴虐に抵抗する「告白教会」が秘かに設置した非合法の牧師養成機関である。

その頃のドイツでは、牧師になるためには、大学(国立)の神学部で学んだ後、国家試験を受けるのが普通の道であった。しかし、33年にヒトラーが政権を奪取してからは、大学における「学問の自由」は奪われ、神学部も事実上ナチスの支配するところとなった。そんな神学部に、将来の牧師を養成する仕事を委ねるわけには行かない。そこで創設されたのが「牧師研修所」(説教者ゼミナール)である。ここには、大学で基礎的な学問を終えた人たち、つまり「牧師候補生」が参加した。そして、数ヶ月間生活を共にしながら、告白教会の牧師に相応しい見識と力を身につける訓練を受けたのである。教会は悪しき世に流されず、世界を脅かす「悪」に対しては抵抗しなければならない。そのような毅然とした牧師を養成することが、この研修所の目的だった。

ボンヘッファーがこの研修所の所長に迎えられたのは1935年。彼がまだ29歳のときだった。学生たちと余り年齢は違わない。しかし彼は、21歳の時には既に優れた学位論文を書いて神学博士の学位を得、24歳のときには早くもベルリン大学神学部で教え始めたという非凡な学識の持ち主である。その彼が、持てる能力を総動員し、心血を注いで若い牧師候補生たちの指導に当たった。

単に学問的な訓練だけではない。この暗い時代に「キリスト者として生きる」とはどういうことか?「福音を語る」とはどういうことか? 彼は、候補生たちと一緒に「共に生きる生活」を実践しながら、このことを真剣に追い求めた。真にキリストに従う牧師・信仰をもってあらゆる問題に立ち向かう牧師を育てようとしたのである。残念なことにゲシュタポに睨まれて、1937年には閉鎖させられてしまったが。

この「牧師研修所」で親しく彼の指導を受けた人たちが、数年前までは何人か生き残っていた。私は、その人たちに実際の経験を聞いてみたことがある。彼らは一様に懐かしそうな面持ちで経験を語ってくれた。――「黙想」(メディタツィオーン)のこと。説教実習のこと(テキストを「思い通りに料理する」のではなく、それに「仕える」!)。訓練は厳しかったが、単に厳しいだけではなく、音楽を楽しんだり、学生たちと一緒になってスポーツに興じたり、人生の楽しみも欠けてはいなかったという。

この牧師研修所における経験や深い思索の跡をまとめたのが、『共に生きる生活』(森野善右衛門による改訳新版、2004年、新教出版社)である。「交わり」・「共にいる日」・「ひとりでいる日」・「仕えること」・「告解と主の晩餐」という五つの章があり、いずれも珠玉の文章だ。

今日は、特に第II章:「共にいる日」に注目したい。ここでボンヘッファーは、フィンケンヴァルデで実際に試みた「共に生きる生活」を生き生きと思い起こしながら書いたのである。いわば、「実戦棋譜」だ。

「共に生きる生活」には一定の秩序が必要だ。先ず、朝は早く起きなければならない。彼は書いている。「旧約の一日は、夕べに始まり、翌日の日没をもって終わる。それは待望の時である。新約の教会の一日は、早朝の日の出に始まり、翌朝の黎明に終わる。それは成就の時、主の復活の時である。・・・朝早い時間は、復活のキリストの教会のものである」(40頁)。初代のキリスト教会も、「共に生きる生活」をそのようにして朝早く始めたのである。それは、不安と心配からではない。「神への愛から朝早く起きる。聖書の人たちは、そのことをしたのである」(45頁)、と彼は言う。私たちが主日の朝に礼拝に集まるのも、このような意味を持っているのではないか。

フィンケンヴァルデでは、一日の始まりには必ず礼拝が守られた。ボンヘッファーは書いている。「新しい日の上には、それを創造された神が立っておられる。・・・すべての思い煩いと苦悩とは、その前に退散する」(44頁)。この神を仰いで、聖書が朗読され・讃美歌が歌われ・詩編の言葉によって祈りが捧げられる。1週の生活の始まりである私たちの主日礼拝にも、そのような意味があるであろう。

こうした共同生活の原型は、福音書に見出される。マルコ1章35節には「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」とあるが、それに続けてマルコは、「シモンとその仲間はイエスの後を追った」36節)と書いている。そして、イエスを見つけると、彼らは恐らく息を弾ませながら、「みんなが捜しています」37節)と言った。みんながイエスを捜している! 朝まだき、たった一人になって祈る主イエスの祈りに参加することを願って、一同はイエスを捜したのである。「共に生きる生活」は、たった一人になって祈るイエスを捜し、その後を追う弟子たちの息遣いをもって始まると言えよう。



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