2009.8.9

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「忠実な良い僕」

村上 伸

アモス書8,4-8;マタイ福音書25,14-30

「タラントンのたとえ」は、「ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた」14節)という言葉から始まる。

「ある人が旅行に出かけた」というのは、復活した主イエスが天に昇り、もはや我々の肉眼では捉えられない存在になったということを暗示している。だが、彼は行きっぱなしではない。再び帰って来るだろう。これを「再臨」という。

25章1-13節「十人のおとめ」の話も、キリストの再臨を「花婿の到来」にたとえ、その肝心の時に目を覚ましているかどうかが問題だという。31-46節では、「羊と山羊を分ける」という分かり易いイメージを用いて、「最後の審判」について語る。つまり、25章に出てくるたとえは三つとも、「終末に備えてどう生きるべきか」ということをテーマとしているのである。

 

さて、今日のテキストに注目しよう。主人(=キリスト)が出かけるとき、「僕たちを呼んで、自分の財産を預けた」という。「一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けた」15節)。「タラントン」というのは、古代ギリシャやユダヤで用いられていた貨幣の単位だ。「1タラントン」は6,000デナリに当たる。当時の日雇い労働者の1日の賃金が1デナリだったと言われるから、ほぼその20年分だ。まして、「5タラントン」とか「2タラントン」といえば、莫大な金額である。本田神父は思い切って「五億円」とか「二億円」と訳しているが、我々にはこのほうがピンと来る。

「預けた」ものは、いつか「清算」しなければならない。主人が清算すると、最初の二人は預けられた金をうまく運用して、それぞれ同じ額を儲けていた。そのために、彼らは褒められる。だが三人目の人は、主人が勘定高い・厳しい人だということを知っていたので失敗を恐れ、敢えて冒険をしなかった。といっても、ただ怠けていたわけではない。彼なりにいろいろ頭を働かせ、知恵を絞ったのであろう。商売をしてもうまく行くとは限らないし、当時の経済状況では「銀行」(本田訳では「両替屋」)だって当てにはならない。両替屋がつぶれることなど珍しくなかったからである。現代の大銀行だって破綻するではないか!「タンス預金」というやり方もあるが、これは、マタイ6章19節に言われているように、「盗人が忍び込んで盗み出したりする」かもしれない。考えた末にこの人は、秘かに地面に穴を掘って隠しておいた。これが、財産を守るためには一番安全な方法だと考えたのだ。これはこれで筋が通っている。

ところが、この人は主人から厳しく叱責される。特別に怠けたとか、非常に悪いことをしたとかいうわけではないのに、「怠け者の悪い僕だ」(26節)と決めつけられた。一体、どんな理由でこんなに強く叱責されなければならなかったのか?

前の二人は、「忠実な良い僕だ。よくやった」と賞賛された。「お前は少しのものに忠実であったから」(21節23節)というのがその理由であった。これを引っくり返すと、「お前は少しのものに忠実でなかったから」ということになるだろう。これが、三人目の人が叱られた理由だと思われる。

だが、「少しのものに忠実であった」とか「忠実でなかった」というのは、どういうことか? それに、「五億円」とか「二億円」、あるいは「一億円」という金額は、「少しのもの」とは言えない。このように、この話には辻褄の合わぬ所が多い。

私は、今日の譬えを、現代の問題に当てはめて、次のように理解したい。

人間は誰でも、それを生かして用いるべきもの、つまり「可能性」を神から預かっている。それは、正確には「いのちを守り育む可能性」である。その可能性は、我々の中には「少し」しかないと感じられるかもしれない。我々は小さな人間に過ぎない。だが、その「少しのもの」に忠実であること、それを働かせて「なすべきことをする」こと。これが人間の本来の在り方である。その可能性を、何もせずに地面の下に埋めておくようなことはしてはならない。それは人間の本来の在り方に背くことであり、「この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ」30節)と言われても仕方がない。

 

今日は、長崎に原爆が投下された64回目の記念日である。この原爆投下という出来事は、我々に憤ろしい・悲しい記憶だけではなく、課題も残した。このように愚かな悪は、いかなる理由でも正当化してはならないということを、全世界に向かってたゆまずに訴え続けるという課題である。我々は、この課題に忠実でなければならない。その機会を地面の下に埋めておくようなことをしてはならない。

私は、ここでアインシュタインのことを考える。彼は、「相対性理論」によって知られる20世紀最大の物理学者であった。その彼が、1939年に合衆国のF.ルーズベルト大統領に宛てて、将来、原子エネルギーを軍事的に利用することが可能になるだろうということを示唆する書簡を送った。これに刺激されて、「マンハッタン(原爆開発)計画」が始まったのである。彼自身は直接に原爆開発に参与することはなかったが、このことを終生ひどく気に病んでいたという。彼のように優れた物理学者でも、豊かに与えられた能力・可能性を正しく生かすことは難しい。

パウル・デッサウという現代作曲家の『アインシュタイン』というオペラがある。原爆が爆発した瞬間の凄まじい映像が舞台一杯に映し出される。閃光がきらめき、大音量の爆発音が響く。その中から、アインシュタインの苦悩の呻きが聞こえる。これは、現代の我々に対する警告ではないだろうか。



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