2008.7.20

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「愛は多くの罪を覆う」

村上 伸

箴言10,1-12;1ペトロ4,7-11

 初代教会の人々は、基本的に後期ユダヤ教・黙示文学の考え方を受け継いでいたと言われる。その最大の特徴は「終末論」であった。すなわち、歴史は同じことをいつまでも繰り返す「円環」のようなものではなく、始まりと終わりがある一本の線のように終末に向かって直線的に進む、という歴史観である。

 すべての人に誕生と死があるように、歴史にも始まりと終末がある。ただ、歴史の終末は、「生物が段々と弱ってやがて息を引き取る」というような自然のプロセスではない。むしろ終末は、神が「今だ」と見られた時に、突然来る。そして、最後の審判が行われる。その時、キリストが栄光の座についてすべての国の民をその前に集め、一人ひとりをその生き方に応じて裁かれる。

 ペトロが「万物の終わりが迫っています」(7節)と言うのは、終末の審判の時が近づいている、という意味である。だから、その時がいつ来ても慌てないように、「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりも先ず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。…」(7-9節)と勧めたのである。

 皆さんの中には、この箇所を読んで、マタイ福音書25章31節以下を思い起こされた方も少なくないであろう。終末の時に人の子(キリスト)が栄光の座に着き、すべての民を、「羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に山羊を左に置く」(32-33節)という、あの有名な箇所である。

 その時、キリストは右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」(34-36節)。

 それが何のことなのか、その人たちには思い当たる節がないので質問すると、キリストはこう答える。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(40節)。それと正反対のことが、左側にいる人たちに対して言われる。「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」(45節)。

 毎日の暮らしの中で出会う名も無い人々。その人たちが困っているのを見たら、食べ物や水、あるいは一晩の宿や上に羽織るものを与える。あるいは、病床や牢屋に訪ねて行く。そのような小さな愛の業。それを実践したか、しなかったか? 最後の審判のときに問われるのはこのことである。「どの宗教に帰依していたか」ということではない。ペトロが、終末に備えて「心を込めて愛し合いなさい」とか、「不平を言わずにもてなし合いなさい」と勧めているのは、この意味なのだ。

 その中でも、私は「愛は多くの罪を覆う」という美しい言葉に心を惹かれた。同じ言葉が箴言10章12節にある。このような「知恵文学」に出て来るところを見ると、これは昔からどの民族にも流布されていた「格言」だったのかもしれない。

 むろん、これを最も深い意味で教えたのはイエスである。彼は、「罪人」というレッテルを貼られて肩身の狭い思いをしていた多くの人々に「あなたの罪は赦される」(マルコ2章5節ほか)と告げて生きる希望を取り戻してやった。「罪を覆う」とはそういうことだ。「隠蔽する」という意味ではない。「めん鳥が雛を羽の下に集める」(マタイ23章37節)というイメージに近いだろう。

 戦争直後のことだが、中国にいた両親が消息不明になっていたために、私は遠縁の小父さんを頼り、埼玉県寄居町の近くの山の中で半年ほど無頼の日々を送ったことがある。その間、麓の酒屋さんが私に同情して優しくしてくれた。特に、トクちゃんというお姉さんのことは忘れられない。ある時、その人には何の落ち度もないのに、いきなり怒鳴りつけて頬っぺたを叩いたことがある。彼女は涙を浮かべてそれに耐えた。その後も私に対する優しい態度を変えなかった。「愛が私の罪を覆った」のである。私がグレたりしなかったのはこの人のお陰だと今でも思っている。

 それから30年ほど経ったある夏、どういうわけか、私は突然、その人のことを思い出した。今、会ってお礼を言わなければ、二度とその時は来ないかも知れないという気持ちになったのである。直ぐにその村を訪ねて行った。麓の酒屋さんは昔のままのたたずまいで残っていた。声をかけるとその人が出てきた。数秒間、私の顔をじっと見つめて、それから「ヒロちゃん?」と聞いてきた。深く胸を打たれた。あれから30年も経っているのに、覚えていてくれたのである! それから私は招じ入れられて、その後のことを詳しく物語った。戦後一年経った頃に、両親も姉や妹や弟も無事に帰ってきたこと。父母の郷里の青森県で生活を再建したこと。私はキリスト者になり、さらに牧師になって愛知県やドイツで働いたこと。結婚して子供が二人いること。今は東京女子大学というキリスト教主義の大学で教えていること、等々。

 彼女は「よかったねえ」と心から喜んでくれた。あの頃、私は全く気づかなかったのだが、彼女の家は以前から「木曾御嶽教」の信者だったという。彼女が言うには、「先月、御嶽山に登ってきた。今日みたいに嬉しいことがあったのは、きっとお山のお陰だ」と。このように他者を思いやりその幸せを喜ぶ人が「御嶽教」の中にもいる。イエスはそのことをお喜びになるに違いない。問題は「どの宗教に属しているか」ではなく、「どのように愛を実践しているか」ということなのだから。



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