2008.5.11

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「あなたがたの内に宿る霊」

村上 伸

民数記11,10-17;ローマの信徒への手紙 8,10-11

今日は「聖霊降臨祭」。「クリスマス」や「イースター」と並ぶ三大祝日の一つで、「ペンテコステ」ともいう。ギリシャ語で50のことだ。イエスの復活から50日目に当たる。この日に「聖霊が降った」という。一体、その日には何が起こったのか?

使徒言行録2章によれば、「一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」 (1-4節)。

著者のルカは2000年前のユダヤの人だから、旧約聖書伝来の考え方によってこれを書いた。「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえた」とか、「炎のような舌が分かれ分かれに現れた」というのもその時代の表現だ。むろん、こうした異常現象も稀には起こる。しかし、これは実際に起こった事実というよりは、弟子たちが経験したことをこういう言葉で言い表したのだ、とも考えられる。

それはともかく、肝心なことは、「”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」という点にある。つまり、聖霊が降った時、弟子たちの中にある変化が起こったということである。そして、彼らは不思議な力に突き動かされるようにして重要な言葉を語り始めた。しかも、不思議なことに、「ほかの国々の言葉で話し出した」というのだ。つまり、外国語の障壁を越えた。ペンテコステの日に起こったのは、差し当たりこのような「言葉の奇跡」であった。

「言葉」は、人間に与えられた最も大切な宝の一つである。言葉によって、お互いのコミュニケーションが可能になる。しかし、「言葉さえ語れば、お互いに確実に分かり合える」というものでもない。いくら多くの言葉を費やしても通じないことがあり、何も言わなくても分かり合えることもある。

旧約聖書・創世記11章に、有名な「バベルの塔」という説話がある。「世界中が同じ言葉を使って、同じように話していた」(1節)頃のことだが、人々は石の代わりにかまどで焼いた煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを使うようになり、この素晴らしい「技術革新」(!)に、すっかりいい気になって、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」4節)という傲慢な野望を抱いた。それを見た神は怒りを発し、「彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)と言って、「全地の言葉を混乱させた」(9節)というのである。傲慢な心があるところでは言葉が通じなくなる、という意味深長な物語だ。

言葉に関しては、もう一つ、木下順二の『夕鶴』という秀作がある。素朴で優しく謙遜な若者<与ひょう>が、鶴の化身である妻<つう>を心から愛して平和に暮らしている。<つう>はこの幸せを感謝して、自分の羽を材料に美しく織り上げた「千羽織」を贈るが、<与ひょう>はいつか悪い仲間に唆されて、それで金儲けをすることを考え始め、もっと沢山織るように<つう>に要求する。その時、<つう>は悲痛な嘆きの言葉を発する。「分からない。あんたのいうことがなんにも分からない。さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいってるんだか・・・ああ、あんたは、あんたが、とうとうあんたがあの人たちの言葉を、あたしに分からない世界の言葉を話し出した・・・ああ、どうしよう。どうしよう。どうしよう」。自分勝手な欲望に支配された人の言葉は、もはや人の心に伝わらない。

逆に、言葉が全く通じない外国でも分かり合えることがある。それは、お互いの善意や愛が信じられる時だ。孫の拓も、高校生の時、ネパールでのワークキャンプに参加して同じ経験をした。ハンセン病患者のお世話をする中で、一人のお年寄りと出会った。「僕には、そのおじいさんが言うことがとてもよく分かった」と彼は言う。

ペンテコステの日に起こったことは、そのような「言葉の奇跡」であった。バベルの塔の時に混乱して互いに聞き分けることが出来なくなってしまった言葉が、ペンテコステの日に再び通じ合うようになった、と聖書は言っているのである。どのようにして通じ合うようになったか? 「聖霊が降る」ことによってである。

そして、「聖霊が降る」とは、今日の説教テキストにあるように、「キリストがあなたがたの内に」10節)来ることであり、「イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿る」11節)ことだ。そのように「聖霊が降る」とき、キリストの愛が私たちの中に生き始める。そして、イエスを死者の中から復活させた神の「いのちの力」が私たちの内に働き始める。私たちは新しい力を受けて生き生きと生き始める。そして、あらゆる障壁を越えてすべての人の心に届く言葉を語り始めるのだ。

主イエスの十字架に際して彼を裏切ったあのペトロでさえ、聖霊を受けた今、力強く語り、その説教を通して多くの人々の心を動かしたと使徒言行録は伝えている。

 

今は、言葉が氾濫しているのに、深い意味ではそれが通じない、孤独が深まっている時代である。貧しい人々、障害者、孤独なお年寄りなど、最も弱い立場にいる人たちの声は周りの人にも為政者にも届かない。ミャンマーでは、何百万という被災者が上げている嘆きの言葉は軍事政権には全く通じない。

こういう時代にあっては、ただ、「造り主なる聖霊よ、来たり給え」と祈るほかはないであろう。



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