2008.4.27

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「あの方はここにはおられない」

廣石 望

イザヤ書65,1-10;マルコ福音書16,1-8

I

どうすれば復活のイエスに出会うことができるか――この問いは、キリスト教にとってたいへん大切です。聖書には、復活したイエスは「40日間」地上でその姿を現した後に天に昇った、つまり見えなくなったとあります(使徒言行録1,3以下参照)。新約聖書に収められたすべての文書は、イエスが見えなくなった後の時代に書かれました。それぞれが独自な仕方で、いわば〈この世の外にいる者としてこの世にいる〉復活者イエスとの交流について語っています。

教会暦によれば、私たちは今週の半ばに「昇天祭」を迎えます。それに先立つ今日の復活後第5主日には、「祈れ」というまことに象徴的な名が与えられています。「祈り」とは直接出会うことのできない者との交流のひとつのかたちに他なりません。

今日はそうした、もはやイエスに直接出会うことができず、祈るほかない時代に書かれた最初の福音書であるマルコ福音書の結びの部分をとりあげて、とりわけイエスに従った男女の弟子たちの姿に視点を合わせながら、復活者イエスとの出会いについて考えてみましょう。

 

II

マルコ福音書によれば、イエスがいわゆる「十二人」の男性を任命して「使徒」と名づけたのは、「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるため」でした(3,14-15)。彼らはイエスと同じメッセージを担う同志たちだったのです。

しかし、ご存知のようにマルコ福音書は、この男性の弟子たちがイエスをちっとも理解しなかったと何度も語ります。たとえばパンの奇跡に関連して、イエスは彼らを叱りつけて言います。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか」(8,17)。

さらに受難物語では、十二人の一人であるイスラリオテのユダの裏切りによってイエスが捕縛されたとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」とあります(14,50)。彼らはイエスの同志でしたが、イエスを理解せず、また彼の十字架の死にいたる道を同行することができませんでした。それは、死ぬまでイエスに従うと誓った筆頭弟子のペトロにとっても同様でした。

他方で女性の弟子たちは、男弟子とは対照的に、イエスをよく理解し、よく従っています。たとえば受難物語の冒頭で、イエスに香油を注ぎかけることで彼をメシアとして叙任し、同時に埋葬の準備をしたベタニアの女性について、イエスはこう賞賛します。「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」(14,9)。

 イエスの処刑を見守ったのも女性たちでした。「また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた」(15,40-41)――マグダラのマリアはご存知ですね。「ヤコブとヨセ」という名前はイエスの実の弟たちのリストに現れますので(6,3)、「小ヤコブとヨセの母マリア」とはおそらくイエスの母マリアです。「サロメ」の素性はよく分かりません。いずれにせよ、すでにガリラヤにいたころから、父の家、夫の家を棄ててイエスに従った大勢の女性たちが、「遠くから」ではあってもイエスの死を見守ったのです。さらに彼女たちは、イエスの埋葬も見届けました。「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」(15,47)。復活の朝、イエスの墓を訪ねてゆくのは彼女たちです。

 しかしその彼女たちも、イエスが復活した――ギリシア語原文では、神によって「起こされた」――という天使の伝言を聞くと、怖くなって逃げ出してしまいます。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16,8)。

 こうしてマルコ福音書によれば、男女の弟子たちは、程度の違いはあるものの、最終的にはどちらもイエスに従い切ることができませんでした。もっとも挫折した男女の弟子たちは、物語の主人公イエスによって完全に否定されているわけではありません。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(13,31)と言うイエスは、「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(14,28)と彼らに再会を約束しています。

 

III

それにしても、イエスの墓を訪れた女性たちが「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」という唐突な物語の結末は、かなり意味深長です。この演出のせいで、イエスの復活は誰にも伝えられることのないまま終わるのか、という問いが浮かんできます。しかもこの問いそのものが、実践的な自己矛盾をきたしています。なぜなら、この福音書そのものが復活信仰の成立を前提にしているからです。さらに最初の読者にはキリスト教徒が含まれていたはずです。つまりこの福音書を書いた人も、読む人や聞く人もイエスの復活を信じた人たちでした。

このような人々にとって、〈イエスの復活は誰にも伝えられることのないまま終わるのか〉という疑問は、〈君たちはどうやって復活のイエスに出会おうというのか〉という問いかけになったと思います。マルコ福音書は、物語の登場人物とりわけイエスと弟子たちについてあえて挫折の物語を語る一方で、イエスの復活顕現については予告するだけで、それ自体として物語ることをしません(16,9以下の顕現物語は、最古の写本群に証言がなく明らかに後代の付加であるため、新共同訳聖書では〔 〕に入れられています)。

イエスが不在である場所について天使はこう告げます。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」(16,6)――女性たちがイエスの墓を訪ねたのは、彼の亡骸に香油を塗って、最後のお別れをするためでした。しかしイエスはそこにはいない。天使のいう「ここ」とは、したがってまずは墓の中を意味します。過ぎ去った者たちの世界にイエスは属さない。イエスの事柄はむしろ継続する。彼の復活は二千年前のパレスチナに生きた人々が経験した、ある途方もない出来事として歴史年表の一項目に収まりきることができません。

さらにもうひとつ、「ここ」とは福音書という物語世界の内側を指します。私たちはテレビやDVDでドラマや映画を見ますが、復活のイエスは、そうした虚構的な物語世界に閉じ込められた存在ではありません。本物のイエスは福音書という物語の外にいます。

 逆に天使は、イエスのいる場所をこう特定します。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(16,7)――ガリラヤがどんな場所であるかは、福音書の前半部分を見れば分かります。それは、イエスが「神の国」の到来という光の下で、虐げられた人々、病気の人、差別された人、貧困と飢餓にあえぐ人々とともに生きた場所です。ですからこの天使の言葉は、福音書を始めから読み直しなさいという指示だとする意見があります。

では、ガリラヤはどこにあるのでしょうか。これがパレスチナの地名であることは誰でも知っています。しかし天使の言葉を、聖地旅行に行きなさいという意味に解釈する人はいません。むしろ復活のイエスが先立って行かれるその場所というほどの意味なのでしょう。でも、それはいったいどこなのでしょうか。いったいどうやって、その場所に行き着くことができるのでしょうか。

IV

観世十郎元雅が書いたお能に、『隅田川』という作品があります。そこには人買いに子どもをさらわれて物狂いとなった女性が登場します。彼女は京都の人ですが、わが子を探し求めて東国に至り、隅田川を渡ろうとします。川を渡るというモチーフは、あの世との交流を暗示しています。

その彼女に向かって、隅田川の渡し守は「面白う狂へ狂わずは、この舟には乗せまじいにて候」と言います。「狂う」とは「舞いを舞う」という意味です。つまり「舞いを舞って見せよ。そうすれば舟に乗せてやろう」というわけです。しかもこの部分は能楽用語で「カケリ」と呼ばれ、それは修羅道の苦しみや狂乱の所作なのだそうです。

渡し守に向かって彼女は、「我が思う人はありやなしや」という伊勢物語の古歌を引用します。有名な業平の歌です。もちろん彼女は子どものことを思っているのですが、私たちは「我が思う人」という表現を、死んだイエスに重ね合わせてみることができるでしょう。それはともかく、歌に託された彼女の思いにほだされて、渡し守は彼女を舟に乗せてやります。こうして、子どもを奪われて我を忘れた狂女は〈向こう岸〉に向かうのです。たいへん宗教的なテキストだと思います。

舟上の彼女の耳に、あちらの岸から大念仏、つまり大勢が大声で唱える念仏の声が聞こえてきます。これは彼女の息子が当地で病没した、その一周忌の回向でした。彼女はその祈りの共同体に参加し、自らも「南無阿弥陀仏」と唱えるうちに、亡き子その人の「声」を聞きとり、ついには息子の「幻」を見るに至ります。さらに「互いに手に手を取りかはせば、また消え消えとなり行けば」とあります。世が明けてみると、彼女が抱きしめたのは墓の上の草だったのですが、二人の身体は消え行く一瞬のうちに「触れ」合ったかのようです。これはまるで、マグダラのマリアと復活者イエスの邂逅の物語のようではありませんか(ヨハネ福音書20,11以下参照)。

この女性は、この世に存在しない者との出会いを求めて、そもそもの〈物狂い〉に加えて、〈舞い〉と〈歌い〉そして共なる〈祈り〉をへて、ついに亡き子の〈声〉を聞き、その〈幻〉を見ることへ、またその手に〈触れる〉ことへと進んでゆきました。

この能作品に触発されて、20世紀のイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)は、教会上演用のオペラ『カーリューリバー Curlew River』(1964年)を作曲しています。その最後の場面で、亡き子の幽霊は、共なる〈祈り〉の輪の中にある母に向かって、「母上、神汝とともにいませ/God be with you, mother」と語りかけます。そのとき母は、長年の狂気から解放されました。

――私たちの「ガリラヤ」はどこにあるでしょうか。いったいどうやって、イエスの不在に耐えて、私たちはガリラヤにたどり着き、ついに復活のイエスと出会い、その手に触れることができるでしょうか。それは『隅田川』の母親がたどったような物狂おしい、そして舞いや歌、また共同の祈りに取り囲まれた道程であるような気がしてなりません。



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