2007・7・8

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「神の知恵」

廣石 望

イザヤ書46,3-13;コリントの信徒への手紙一 1,18-25

I

 パウロが宣教した「十字架の言葉」は、人々を二分するものでした。それは滅びる者にとっては「愚かさ」でしかない一方で、救われる者にとっては「神の力」だというのですから(18節)。「十字架の言葉」の内容は、「十字架につけられたキリスト」です。このキリストが、召された者には「神の力」「神の知恵」であるとパウロは言います(23節)。しかし同時に、彼はこの宣教内容を「愚かさ」とも呼んでいます(21節の「宣教という愚かな手段によって」と訳された箇所は、原文を逐語訳すると「宣教内容の愚かさを通して」)。さらには「神の愚かさ」「神の弱さ」といった表現まで現われます。ふつうなら、神は「賢く」「強い」はずです。なぜ、こうした不思議な表現が使われているのでしょうか?

II

 それは「十字架につけられたキリスト」という宣教内容そのものに関係があります。

 優れた新約聖書学者である佐藤研氏が「『洗礼』と『十字架』――訳語はこれでよいか?」というエッセイを書いておられます(新約聖書翻訳委員会編『聖書を読む:新約篇』岩波書店、2005年に所収)。佐藤氏は、そこで「十字架」「十字架刑」という伝統的な訳語に代えて、「杭殺柱」「杭殺刑」という表現を提案します。以下、少し長くなりますが、その要点をお話します。

 まず日本語の「十字架」には、教会堂の白亜の十字架やペンダントといったロマンティックな装飾の連想が強く働きます。しかし紀元1世紀のstauros(「杭」の意)には、ロマンティックな要素はまったくありません。それはローマ帝国で用いられた処刑法だったからです。この刑は重罪を犯した奴隷か、属州民でローマ人でない反逆者に対してのみ執行された、きわめて残虐なものでした。キケロは、自分たちローマ人がこれほどに非人間的な処刑法を持っていることに嫌悪感を示しています。

 Stauroの刑は、次のような手順をとります。まず鞭打ちがなされます。紐の先に鉛などの金属が結び付けられたもので、これで背中を打たれると血と肉が飛び散ったはずで、ほぼ半殺し状態になります。その後、処刑される人はstaurosの横木を背負って、縦木の立っている刑場まで歩かされ、そこで衣服を剥ぎ取られた全裸の状態で、横木に両手首を釘打ちされるか縛られるかし、その状態で縦木の上に固定されます。つまりT字型です。股ないし足の下には体重を支えるための足台がありました。それがない場合は足を重ねて縦木に釘で打ちつけました。この体重を支える工夫がなければ、ぶら下げられた人間は1時間ほどで窒息死するそうです。この後、1-2日かけて呼吸困難、血行障害、衰弱が進み、最後は窒息か血液量減少性ショックで死に至ります。すぐ殺すには、槌などで足の骨を砕いて体重を支えられなくすればよく、死を長引かせるには麻酔薬として葡萄酒を飲ませたり、気絶した場合の気付け薬として酢を飲ませたりしました。そして処刑の執行後、通常、遺体は埋葬されませんでした。ゴミ溜めに棄てられるか、そのまま猛禽類の餌食に晒されるかしたのです。

 以上のような歴史的な事情を踏まえて、佐藤氏は、今日のテキストの22節以下をこう訳します。「ユダヤ人たちは徴を求め、他方でギリシア人たちは知恵を追い求める。それに対して私たちは、杭殺刑に処せられてしまっているキリストを宣教する」。

 「杭殺刑に処せられてしまっているキリスト」は、通常の人間が高く評価する、神を証明する「徴」や、人間の優秀さを証明する「知恵」などから最も遠いものです。それゆえパウロは、彼の宣教内容には「愚かさ」「弱さ」「つまずき」があるというのです。

III

 では、なぜそのようなおぞましい死を死んだイエスが、「神の力」「神の知恵」なのでしょうか。

 パウロはこう言っていました、「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(21節)。

 私の見るところこの認識は、復活信仰をパウロなりに徹底したものです。「杭殺刑に処せられてしまっているキリスト」こそが復活のキリストに他ならないというポイントがあります。イエスの十字架(杭殺死)は、愚かさ・弱さ・躓きとしてのみ「救い」の出来事です。そしてそれは、不屈の精神とか隣人愛の手本といった人間の行為能力が問題になりうる場所では、もはやありません。神だけが行為できる場所です。

 さらに十字架刑(杭殺刑)はロマンティックなファンタジーでなく、殺害されたイエスの具体的な生涯と結びついています。彼の生涯は、マルコ福音書の表現を借りれば、「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た」者(マルコ福音書10,45)、「他人は救ったのに、自分は救えないメシア」(同15,31)でした。

 同様に十字架(杭殺柱)は自分の出自や地位、努力や業績といった通常の人間的な誇りを打ち砕くものです。パウロは別の手紙でこう言っています、「キリストのゆえに、私はすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリピ3,8)。そのようにしてパウロに与えられたのが、「信仰に基づいて神から与えられる義」(フィリピ3,9)でした。

IV

 先月末の6月29日から今月2日まで、私は青年会の中国平和研修旅行に参加して長春を訪ねました。ご存知のように長春は、旧満州国(1932年3月1日〜1945年8月18日、計13年5ヶ月余)のかつての首都「新京」です。現在は、急速な経済発展を遂げる中国、吉林省の州都です。非常に印象深い楽しい旅でしたが、今は一つのことだけ申し上げます。

 長春は「ラストエンペラー」の町です。この町には「偽満皇宮博物館」があります。「五族協和」の理想を掲げた満州国で、皇帝になった元清国皇帝の溥儀が暮らしていた宮殿です。そこには日本人や満州人の閣僚たち、軍人たちがいました。皇帝と后たちがいました。その生活のあとが今でも保存されています。それは独善と矛盾に満ちた、しかしそれなりに華やかでロマンティックな権力者の世界です。

 ところが同じ敷地の中に「日本侵略東北史変展覧」という歴史博物館があり、こちらの雰囲気はまったく別のものでした。この博物館は一般民衆から見た満州国の実態を展示しています。そこを見ると、標榜された理想にはほど遠い厳然たる民族差別、農民たちに対する強制収奪とすさまじい貧困、そして徴用や密告制度によって国全体が兵営国家と化していったさまが、ひしひしと伝わってきます。そして帝国の末期には、無辜の民衆の血がたくさん流されたこと……。

 ラストエンペラーの宮殿の仇花のような華やかさと、一般民衆が体験した塗炭の苦しみの間の落差は、パウロのいうユダヤ人が求める徴・ギリシア人が求める知恵と、「杭殺刑に処せられてしまっているキリスト」の間の落差に類比的であるように感じます。いかなる理想を誇っても、人間の罪深さへの自覚を欠いては、それは容易に倒錯したものに変わるのだろうと思います。「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか」(20節)。このパウロの言葉を、満州国の歴史は実証しているように感じられます。

 翌日の日曜日、私たちは宋さんの母教会である長春教会の主日礼拝に参加し、その後で聖歌隊の皆さんと楽しい交流のときを持ちました。聖歌隊の皆さんは、日本からきた私たちをたいへん暖かく迎えてくださいました。指導者の楊牧師は、「あかとんぼ」の歌をきれいな発音で歌ってくださいました。私たちは返礼に『讃美歌21』388番「主の恵み豊かなり」(儒教の讃歌のメロディーによる)を歌いましたが、それは中国語の『讃美詩・新編』184番「収成謝恩歌」と同じ歌であることが後から判明しました。私たちはそれぞれが日本語と中国語で、同じメロディーの讃美歌を静かな感動とともに一緒に歌いました。

 この讃美歌の日本語版・第2節の歌詞にこうあります。「涙もて蒔く人の苦しみを主は祝し、喜びの歌をもて刈り入れのときは来ぬ」。――「刈り入れのとき」とは聖書では終末の完成をさすメタファーでもあります。そこにつながってゆくのが、今このときに「涙もて蒔く人の苦しみ」なのだと思います。それは「杭殺刑に処せられてしまっているキリスト」という宣教の愚かさに、深いところでつながっているように感じられます。宣教の愚かさとは、人間の独善と暴力の理不尽さを訴え続ける者の苦しみへの連帯です。これこそ「神の知恵」「神の力」であると信じます。


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