ペンテコステ家族音楽礼拝
2005・5・15

風が運んできた言葉

村上 典子

(キンダーハープ 演奏)

イエスさまがゴルゴダの十字架にかかって死んでしまった時、天がさけ、大地が叫び
川は悲しみのあまり流れるのをやめてしまいました。風が吹くのをやめ、光が届かなくなったので世界は真っ暗闇になりました。
けれども、その三日後、イースターの朝はやく、イエス様は、よみがえられたのです。
それは、世界のすべての新しい命の始まりでした。
よみがえったイエス様は、弟子達のもとに現れて、40日間、神の国についてお話になりまた。そして、「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなた方は、力をうける。」
と、なぞの言葉を残し、天に帰っていかれました。

(キンダーハープ)

五旬祭の日曜日、弟子達は、ひとつになって祈ろうとちいさな家に集まっていました。
集まってはきたものの、イエス様が天に帰ってしまわれた今、出るのは、ため息ばかりでした。祈ろうとは思うのですが、気持は暗く、頭はうなだれ、祈る言葉がみつからないのです。道しるべのように光り輝いていたイエス様は、もうここには、いないのです。

(キンダーハープ)

あ〜、わかる、わかる。その気持。と私は、思いました。
私は、ある出来事を思い出していました。

みんな、おつかいしたことある?迷子になったことはある?9歳の子はいるかな?

私が、9歳の時です。大好きなおじさんが、重い病気にかかりました。
そこで、かあさんは、毎週、土曜日になると、リュックサックに、洗濯したての下着やタオルをつめておじさんの家にお見舞いに出かけました。私と妹は、必ず、かあさんについて行きました。お天気のいい日、雨の日、暑い日もあれば、風の強い日もありました。
おじさんの家は、遠くてね。バスに乗って、電車に乗って、また、バスに乗って、
それから、くねくねいくつも角を曲がった所にありました。
おじさんは、秋刀魚の缶詰が大好きだったので、必ず、おじさんの家のすぐそばにあるお店で、缶詰を2個、かあさんは、買いました。

ある、土曜日のことです。私は、いつものように、おじさんのところに出かけるだろうと
思っていました。けれども、なんだかその日は、ようすが違いました。
かあさんは、真剣な顔で私を見つめ、こう言いました。
「今日、かあさんは、おじさんのところにどうしても行けなくなってしまったの。でも、おじさんはきっと私たちを待っていると思う。だから、お願いがあるの。のりこちゃんにお使いを頼みたいの。あなたは、かあさんと一緒におじさんのところに、何度も、何度も通ったから、きっと、ひとりで大丈夫だと思う。」
えっ?心臓がどきどきしました。
「やってみる。」小さい声で、応えるのが、やっとでした。
それを聞いていた、妹の尚ちゃんは、
「私も、行く!」とのんきに元気よく応えました。
「そうね、ひとりより、ふたりで出かけるほうが心強いわね。助け合っていくのよ。」
とかあさんは言い、いつもかあさんが背負うことになっている、リュックサックを私に
背負わせてくれました。

さぁ!私と尚ちゃんの「お使いの旅」の始まりです。
バスにのって、電車に乗って、バスに乗る。
おじさんの住む町だ!バスを降りよう。うまくいった、うまくいった。
それから、ここの角を曲がって、この角を曲がって、次を曲がって、あれっ?
えっと、ここの角を曲がって、それからここを曲がって、曲がって、曲がって、
あれっ?この角を曲がって、角をまがって、、、、。ついに尚ちゃんが、言いました。
「ねぇ、のんちゃん、まだつかないのぉ?さっきから、同じ場所をぐるぐるまわってる気がする。ひょっとして、私達、まいごになった?」
それは、絶〜対!聞きたくない言葉でした。
「ま・い・ご」その言葉を聞いたとたん、涙がぶぁっとあふれてきました。
となりで、尚ちゃんが、心配そうに慰めの言葉を、言っているようでしたが、
なにも聞こえません。なにも聞きたくない。私は、泣きべそをかいていたのです。
「かあさんがいなくちゃ、なんにもできない。かあさんがいなくちゃ無理だよ。」
光をうしない、世界でたったひとりぼっちになってしまったような気持でした。

(メルヘンクーゲル)

どこからともなく風が吹いてきました。母さんの想いを運んできてくれました。
「しっかりしなさい。大丈夫。かあさんが、大丈夫だと思ったから、あなたに頼んだのよ。
かあさんは、いつもいっしょにいます。」
私のこころに、ポッとちいさな火がともったようでした。
そうだ、そうだった。私は、かあさんと雨の日も、風の日も、この町に来た。何度も、何度もこの道を歩いた。ゆっくり思い出そう。
涙をぬぐうと、なんだか町が、さっきまでとは違って見えました。
あ、そうだ、あの松の木。あの松の木のある家の角を曲がるんだった。
そこを曲がると、いつも缶詰を買うお店が見えてきました。今日は、かあさんの代わりに私が、秋刀魚の缶詰を2つ買いました。

「おじさぁ〜ん、お届け物でぇす。」
おじさんの家に着くと、私と尚ちゃんは、今度は落ち着いて、かあさんが、
いつもやっていたことをゆっくり思い出しながら、おじさんのお世話をしました。
かあさんのようにはうまくいきませんでした。
でも、私のできることをかあさんのようにしてみようと思いました。
そのあいだ、かあさんは、私達といっしょでした。

(キンダーハープ)

五旬祭の日に集まった弟子達は、イエス様を失って、迷子になっていたんだと思います。
祈らなくちゃ、とわかっていても、弟子達には、どうすればいいのかわからなかったのです。泣きべそをかいていたんだとおもいます。
「イエス様がいなくちゃ、なにもできない。イエス様がいなくちゃ、無理だよ。」

(メルヘンクーゲル)

その時、突然強い風が、弟子達の集まった小さな家の周りを吹きめぐりました。
天から降ってくるような、その激しい風の音を弟子達は、聴きました。
「しっかりしなさい。私は、いつもあなたたちと共にいる。」イエス様の声のようでした。
風が運んできてくれた、その声を聴いたとたん、弟子達は、イエス様と一緒にいたときのことを思い出しました。弟子達の心に熱い光がともり、炎のように燃え上がりました。
炎は、分かれて小さな舌のような形になり、弟子達、一人一人の頭の上に留まりました。

(メルヘンクーゲルを鳴らしながら頭の上に)

熱い思いが体の中を流れ出し、いてもたってもいられなくなった弟子達は、外に飛び出して行きました。

外には、たくさんの人たちが集まって来ていました。
風が、全ての国を吹き抜けて集めてきた人達でした。
いろんな国の人がいたので、互いに言葉が通じず、ごちゃごちゃ、ざわざわしていました。
そこに、弟子達は飛び込んだのです。
弟子達は、外の人々に向かって、静かに熱く、神の国のことを話しました。
イエス様と一緒にいた時のことを思い出しながら、弟子達は、それぞれの言葉で、それぞれの方法で丁寧に語りました。もちろん、イエス様のようにはうまくいきませんでした。
それでも、弟子達は、自分の言葉で語ったのです。
そのあいだ、イエスさまは、弟子達といっしょでした。
神の国の言葉は、いつもここからくるのです。(胸に手を置く)

外にいた人たちは、静かになって、弟子達の言葉に耳を傾けました。
多くの異なった、言葉の違う国から集められた人々でしたが、不思議なことに、
「あ、この言葉はわかる。」と思える言葉を、弟子達の言葉の中に見つけたのです。
そこにいる全ての人が神の国の言葉を理解したのです。
みんなは、そのことにほんとうにびっくりしました。
きっと、日本語を話す弟子もいたよ。

勇気を取り戻した弟子達は、「ここからはじめよう。」と思いました。そこで、大地にお願いをして石をもらい積み重ねました。それは、はじめの教会となりました。

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