2004・11・14

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「天にある住みか」

村上 伸

ヨブ記 4,12-21コリント第二5,1-10

今日は「召天会員記念礼拝」である。週報の裏にお名前が書かれているのは正規の会員だけだが、もちろん、この他の多くの懐かしい人々も、忘れることはできない(名を挙げる)。これらの方々を記念するために、我々はここに集まっているのである。

さて、先ほど朗読した聖書の中で使徒パウロは、我々の地上の生活は、身体という「幕屋」、つまり「テント」に住んでいるようなものだ、と言っている。新潟県中越地震の被災者たちの多くは、今も繰り返し襲ってくる余震に怯えながら、この寒空の下でテント暮らしを強いられているが、ちょうどそのように、我々はこの世にある限り、身体というテントに住んで「苦しみもだえ」(2)、あるいは、「重荷を負ってうめいている」(4)。だが、時が来れば、我々は「体を離れて、主のもとに住む」(8)。つまり、「天にある永遠の住みかを上に着る」(1)。神の懐に抱かれ、温かい愛に包まれて永遠の休みを与えられる、というのである。先に天に召された我々の愛する者たちは、あらゆる怯え、重荷、苦しみから既に解放されているのである。そのことを信じよう。

カトリックのシスターで、聖心女子大学教授でもあった鈴木秀子さんは、1979年ごろ奈良の修道院で泊まっていた時、真夜中に高い急な階段を廊下と勘違いして真っ直ぐ下まで落ち、5時間近く意識不明の状態だった。その間の「臨死体験」を、彼女は次のように書いている。

「私は、空中から下の方を見下ろしていました。かなり高いところにいて、明確な意識を持っています。下の方に、もう一人の私が、やはり地上から少し浮き上がってまっすぐに立っています。足のまわりを筍の皮のようなものが包んでいます。・・その皮が一枚一枚剥がれ落ちるたびに、私は温かい気持ちで、<ああ、これで人の目を気にすることから自由になった、これで人との競争からも自由になった、これで人を恐れることからも自由になった>と言い、自由というものを実感しているのです。<あと一枚落ちると完全な自由になる>。完全な自由への甘美な期待が訪れたとき、私はすっと天空に飛翔しました。そして天の一角から生きた光が私を包み込んだのです。・・光は生命そのものでした。・・私の全存在を包む温かい光でした。私はその光に包まれて、自分の命が、自分の全存在が、完全な生命そのものによって満たされているのを感じたのです」(『死にゆく者からの言葉』、1993年、文芸春秋社、11頁)。

エリザベート・キュブラー・ロスや立花隆も報告しているように、こうした幸福感は多くの臨死体験者に共通のものらしい。鈴木さんはこの臨死体験の後、死が全く恐くなくなり、そして、どういうわけか人の臨終の枕元に付き添う機会が増える。この経験を通じて、彼女は一つの確信に到達する。すなわち、人は死ぬ直前に、はっきり言葉や態度に表すかどうかは別として「人生最後の仕事」をするということである。それは「自然との一致、自分自身との仲直り、他者との和解」である。これを私なりに言い表わすならば、死んで行く人々は我々に「祈り」を残して行く。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という有名な詩がある。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ
アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシ ワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ茅葺ノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ。

この詩は、1931年11月3日、賢治が死の二年前に病床で小さな手帳に書き付けたものだ。これこそ、賢治が残した「祈り」ではなかっただろうか。

10月16日の朝日新聞に、この詩に関する興味深い記事が載っていた。賢治は花巻農学校の教師だった頃、内村鑑三の弟子であった斉藤宗次郎と親しくなった。この人は花巻で小学校教師をしていたが、子供たちに「非戦論」を教えたために教師をクビになり、その後20年、新聞配達をして生活した。毎朝3時に起き、大風呂敷に十数種類の新聞を入れて駆け足で配達して回る。最初の頃はクリスチャンだということで石を投げつけられたりしたが、病人がいれば見舞い、子供たちには菓子を分け与えたりする彼の態度は次第に人々の信頼を集めた。「国際日本文化研究センター」所長で賢治研究家でもある山折哲雄さんは、この斉藤が詩のモデルに違いないと言う。

斉藤のように、一見この世では全く無力に見える生き方でも、大きな力を発揮する。賢治はそのことをちゃんと見ていた。小さな命を愛しんだイエスや、「平和の祈り」に象徴されるアッシジのフランチェスコの生き方もそうだ。「ミンナニデクノボートヨバレ / ホメラレモセズ クニモサレズ / サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という最後の一節は、賢治の「祈り」であり、人類の「祈り」ではないだろうか。

我々の教会は、これら先人の「祈り」を受け継いでここにある。「だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれるものでありたい」(9)とパウロが言うのは、その意味である。



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