2004・8・8

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「わたしの呻き」

村上 伸

ヨブ記 3,1-26ローマの信徒への手紙 8,18-25

 広島と長崎、二つの「原爆記念日」の間に挟まれた日曜日に、我々はあの悲惨を思い起こしながら礼拝を捧げる。

 先日、「教会カンファレンス」に赴く途中、我々の多くは丸木美術館で「原爆の図」を見たが、丸木夫妻が絵で表現したことを文章で書いたのが原民喜であった。彼は、30歳ごろから活発な創作活動を始めた作家だが、ちょうど40歳になったとき、故郷の広島で被爆した。それ以後、彼はすべての作品を、被爆体験を軸として書いた。その一つ、『夏の花』の中に印象的な詩がある。被爆直後の光景を、「片仮名で書きなぐる方が応しい」と言って、断片的な言葉を連ねて描写したものだ。

「ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ
パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニオイ」。

『永遠のみどり』という作品には、後に広く知られるようになった詩がある。

「水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダホウガ マシデ
死ンダホウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガナクナリ
川ガ
ナガレテイル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ」。

ニンゲンノウメキ!「呻き」とは、理不尽な苦しみに出会ったときに心の深層から発せられる苦渋の問いである。なぜ、こんなことが起こるのか?

むろん、「呻いた」のは日本人だけではない。丸木さんが「原爆の図」を米国で展示したとき、中年のアメリカ人夫婦に「私たちの息子も広島の原爆で死んだのです」と言われて衝撃を受けたという。調べてみると、原爆のことで米軍を憎んだ市民が、市内に収容されていた捕虜たちを引き出し、その中には女性兵士もいたが、竹槍で突き殺したという。丸木さんは、その残虐な場面も描いている。

広島や長崎の何十万という焼けただれた人々の中には、これら米軍の捕虜たちもいたし、強制連行されて広島で働かされていた朝鮮の人々もいたのだ。彼らの「呻き」をも、我々は聞き逃すべきではない。あるいは、その何年か後、遥か南のマーシャル群島で水爆実験の「死の灰」を浴びて死んでいった人々の「呻き」。さらには、アジアで日本軍によって理不尽な苦しみを加えられた何百万という人々の「呻き」。一体、どうしてこんなことが行われたのか?いかなる権利があって、人間が他の人間の上に、また他の生き物の上に、あのように恐ろしい災厄をもたらすのか?

数年前から、広島の「原爆資料館」の展示には、この町が「日本軍のアジア侵略の基地」であったという「加害の視点」が加えられた。「呻き」が日本人だけのものでないことを考えると、これは正しい。それは「ニンゲンノウメキ」(原民喜)なのだ。今も至る所で人間が、全被造物が呻いている。我々にはそれが聞こえないだろうか?

聖書にも「呻き」がある。ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」(ヨブ記1,1)。「七人の息子と三人の娘」(1,2)に囲まれて祝福された生活を営み、「東の国一番の富豪」(1,3)と称えられ、そして、それは当然だと思われた。

ところが、この義人ヨブを、ある日、異民族が襲って牧童たちを殺し、大切な家畜を奪う。続いて天からの火や、熱風が子どもたちをすべて殺し、家屋敷を破壊した。何もかも一度に失われる。その上、彼は、「頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかかり・・・灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった」(2,7-8)

このような災厄に出遭ったヨブは「自分の生まれた日を呪った」(3,1)。そして「わたしの生まれた日は消えうせよ」(3,2)「なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなったのか」(3,11)と呻く。「日ごとのパンのように嘆きがわたしに巡ってくる。湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない」(3,24)。この「呻き」を、NEB(New English Bible)はgroansと訳している。これは、理不尽な苦しみに打ちひしがれたとき、魂の底から発せられる憤ろしい唸り声だ。広島・長崎の被爆者たちの「呻き」と共通する。

世界には、このような「呻き」が満ちているのである。パウロが、「被造物はすべて共にうめいている」(ローマ8,22)と言い、「わたしたちも体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち焦がれている」(8,23) と言ったのはそのためだ。ルターも、我々の祈りはしばしば「言葉にならない呻きでしかない」と言ったではないか。

だが、パウロはここで驚くべきことを言っている。人類は現在苦しんでいるが、「同時に希望も持っています」(20)。「呻き」は絶望の叫びではなく、「産みの苦しみ」(22)なのだ、と。この点に、我々の救いがかかっている。

原民喜は、「日毎人間の心の中で行われる惨劇、人間の一人ひとりに課せられているぎりぎりの苦悩――そういったものが、今は烈しく私のなかで疼く」と言い、それでも原爆の悲惨を後世に伝えるために作品を書き続けた。だが、被爆6年後に、中央線の吉祥寺・西荻窪間で自ら命を絶つ。結局、彼は絶望したのだろうか?

これについて、大江健三郎はこう書いている。「このような死者は、むしろわれわれを、絶望に対して闘うべく、全身をあげて励ますところの自殺者である」。我々もこれに同意するが、その死が我々を「励ます」ものとなるのは、パウロが言うように、それが「産みの苦しみ」であると信じる時だけではないか。



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